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京都桂店
Photo: 願わくば、君が奏でるその音色まで。
投稿日:2018/8/29
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Photo: Satsuki Kudo / Coordi: volvo
私はなぜ「写真」が好きで、なぜ「フォトグラファー」になりたいと思ったのだろう?
若かったあの頃を遡ってみる。
あの頃は、写真とは関係のない仕事をしていたのだけれど、
なぜかある日、「写真を仕事にしたい」と思ったのだ。
なぜか、写真で生きていかないといけないという衝動が沸き上がった。
そんな25歳の初春のこと。
きっかけが何の写真だったのか、それは忘れた。
だけど、私が知っている写真は、生々しいほどの生命力と力強さ、
そして、体温や息づかいまで聞こえてきそうなものだった。
それを撮る人間になりたいと思ったのだ。
それから10年が経った。
果たして私は「フォトグラファー」なんてたいそうなものになれているのかは、わからない。未だに25歳の頃に憧れた写真を追い求めているような気がする。
果たして、私には体温や質感・音まで生き生きと伝わるような写真が撮れているのか。
それは、いつまで経ってもわからないのだろうけれど…。
出会いは、夏の終わり。とても蒸し暑い日だった。肌からじんわりと滲み出る汗を止めることができず、じめじめとした湿気を感じながら撮影をしていた。その姉妹は、そんなじめじめとした陰鬱さを打ち消すようなエネルギーを持っていた。人懐っこく、明るく、誰とでも5秒以内には友達になれるような開放的な心を持っていた。
この子たちを見たときに、すぐその人となりがわかるような印象を受けた。とにかく、今が楽しいのが伝わってくる。私たち大人が忘れかけていた感覚を呼び覚ましてくれるようだった。大人になると先を見るのに必死で、今を味わう暇がないかのように思えることがある。しかし、彼女たちが教えてくれるのは、未来というのは今の連続でしかないということ。今を楽しめなければ、未来を楽しむことができないということ。ありがたいことに、今の私には少し救いになるようなことを教えてくれた。
そんな撮影の中で、太陽のような妹の撮影のあとに同じように明るく見える姉の撮影に入ったときだった。姉である被写体は8歳で、明るい性格とそれを象徴するようなスポーティなショートカットが魅力だった。ただ、妹と違っていたのは明るいけれどどこか深みのあるような眼差しがあることだった。中性的とでもいうのだろうか、少女のように優しくときに少年のような鋭さがある。彼女のイメージが安定しない。そんな感覚だった。
それはきっと、8歳特有の成長過程の中の揺れ動くものが佇まいから出始めているのかもしれない。私と彼女の人格は別なので、一概には言えないが、私が8歳の時もショートカットで女の子の自覚はあるのだが、どこか男の子に憧れているような子だった。彼女がどうなのかは知らないが、ただ無邪気ではなく抑えるものが何かあるように見えたのだ。
そのように見えたから、撮影場所は敢えてガレージを選んだ。私が彼女から感じる一種の「かっこよさ」は、ガレージの雰囲気と光の方が丁度よく表現できるかもしれないと思ったからだ。ガレージに入った時に、ピンと目に入ったのがアンプと古いギター。彼女はギターを弾いたことなどないが、敢えてアンプに座らせギターを構えさせてみる。
さすがに、初めてのギターで戸惑いが隠せないようだったが、「弾いてみて」と声をかけると、楽しそうに弾き始めた。実際には、わずかな音が出ているだけだったが、私には彼女の中に流れている音楽が聞こえるように感じた。
日に焼けた肌に、風の流れるようなショートカット、そして楽しそうに彼女の心の中に流れるメロディーを、生き生きと感じるような写真だったらどんなにいいだろう。そう思って、レンズは85mmの単焦点を選んでいた。単焦点レンズを使うことで、ピントが合う幅が狭まり周辺が美しくボケる。ガレージの雰囲気が生かしつつ、ガレージ特有のごちゃごちゃ感は排除したいので、このレンズを選ぶ。彼女の演奏している姿を、まるでステージの上でスポットライトが当たっているように表現したい。ガレージの大きく開いた入り口から入る光を限定し、彼女へ半逆光として当たり彼女自身の輪郭を出すようにする。そうすることで、写真を見ている人に、彼女の体温と息づかいと、そしてメロディーが聴こえるように、表現できたらいいなと思った。果たしてそれが成功しているのかは、見ている人にしかわからないが…。
そうした写真を撮りたいと思うのは、ライフスタジオに来る前から何となく感じていたのだが、ライフスタジオで様々な勉強をするうちに、その欲求が明確に高まった。「美しい関係を撮影するのではない。関係を美しく撮影するのだ。」という言葉は私がライフスタジオで学びずっと抱いているポリシーだ。関係というのは、被写体である家族の関係だけではない。撮影者と被写体との関係のことも言う。かみ砕くと、撮影者である私が撮影を通して被写体と築いてきた関係を美しく写真で表現することでもある。撮影者である私が、被写体を虚飾がなくまっすぐに、そして最大限に表現しようとするのは関係性への誠実さの表現であると信じている。
そのためには、その人のことを先入観や私だけの主観にとらわれてはまっすぐに表現することができない。と同時に、被写体の存在を認識する私自身の目がないと表現することはできない。そのどちらに偏ってもいけない狭間の中で、目の前の被写体の内側へ入っていこうとすることが、関係を築いていくことなのだと思う。そのためには、言葉の数や自分自身の表現、そして彼女を取り巻く家族との会話と時間、そのすべてを以て彼女の深さを表す写真となっていく。
私の目で実際に見えている彼女の肌の色、肌に近づくと感じる体温と息づかい、その眼差しから感じる透明感。
そして、願わくば、君が奏でるその音色まで、私たちが撮影という空間と時間の中で築いてきた関係を、自由にまっすぐに、最大限に美しく表現することを、私はずっと望んでいる。
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