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京都桂店
NEIGHBORS vol.5 at Musashi Hall
投稿日:2018/8/23
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project NEIGHBORS
vol.5
at Musashi Hall
「芸術とは何か?」
写真館で商業写真を日々撮っている私たちだが、私たちが目指しているものは「芸術」だ。
商業写真と芸術の明確な違いは、その写真を撮る人のモチベーションが自身の「外側」にあるのか、それとも自身の「内側」にあるのかだと思う。それが、「道具」と「作品」の明確な違いだ。根本から「使われる」という自身の「外」にある理由で作られるのが「道具」。根本が「表現」という自身の「内」にあるものが「作品」だと思う。それは、「情熱」とか「魂」とか、「人の体温」を感じられたりとか、ただの物質にはない「何か」がそこにある。私たちはそのような写真を目指している。
それは決して、「写真」だけではないのだと思う。「音楽」もそうだ。私には音楽に集中した時期がないので、演奏したりすることはできないし、歌は下手だし、厳格な音の違いなどはわからない。だけど、表現に懸ける情熱や、音に懸ける繊細さ、音で何か感情的なものを読み取ったりするのは、そこに人の魂が宿らないと伝わらないものだと思うのだ。写真も専門家しかわからないものではなく、普通の、写真を勉強したことのない人でも、誰にでも伝わるような写真を撮りたいと思うように、音楽もその音を聞いたら誰でも心打たれるような奥深さのあるものこそが、より「人間らしい」のかもしれない。
出会いはライフスタジオの撮影でのことだった。お客様とスタッフの関係からスタートした。とても幸せな家族だったのを覚えている。スタジオの隅々にまで関心を持ってくれて、撮影に入っていない私にまで声をかけてくれて、まるでスタジオに人の手によって血が通っていることを感性的に見抜かれているようだった。それが、末永ファミリーとの出会いだった。その後、スタジオへNEIGHBORSの依頼が来た。音楽ホールの人たちとの関係性を写真にしてほしいと。
正直緊張していた。
今回NEIGHBORSをさせていただくことになった武蔵ホールには、ベヒシュタインというヨーロッパでは有名で貴重なピアノがあるというのだ。そんなにすごいピアノを前にして、一介のスタジオプロジェクトを行っていいのかという不安。あとは、私なんかでうまく深いインタビューができるのかという不安。とにかく、いろんな不安を抱えながら当日を迎えた。
武蔵ホールにつくと、まずは二人の女性が出迎えてくれた。白水(しろうず)さんと岡本さん。二人は、てきぱきと大きなベヒシュタインを出したり、照明などを調整してくれていろいろ気を配ってくれた。私たちがどのようにインタビューと撮影をするのかを、想像してたくさんの提案をしてくれる姿勢からすごくこちらに近寄ってくれるなぁと感じた。
そして今回ご依頼いただいた末永さん。撮影時はパパさんと呼んでいたけれど、ここでは末永さん本人にフォーカスさせていただくため末永さんと呼ばせていただいている。
簡単に今回の登場人物である3人について紹介しておこうと思う。
末永さん:ピアニスト
世界各国でコンサートしている。ドイツに留学経験あり。レッスン、教育なども精力的に行っている。
https://tdsuenaga.wixsite.com/official
白水さん:NPO法人 武蔵ホール代表
もともと別企業が経営していた武蔵ホールをオーナーが逝去されたため無くなる危機に、このホールの温かい雰囲気をつぶしたくないという思いからNPOを立ち上げ、管理を任される。何も知らない状態で代表になったので、ホール運営の右も左もわからず、照明のスイッチの位置もわからない中で、武蔵ホールを愛してくださっているお客様たちに助けてもらいながらやってきた。
岡本さん:副代表
音大出身。最初はお客さんとしてきたが白水さんに紹介してもらい、バイトから始めた。白水さんがNPOを立ち上げた時に一緒に武蔵ホールを存続させるべく副代表になったそう。本人曰く白水さんだから一緒に働いていきたいと思ってここに残った。
そんな武蔵ホールはピアノ、しかもベヒシュタインがメインだ。(ベヒシュタインとは何か?はこちらを。https://www.bechstein.co.jp/)末永さん曰く、ベヒシュタインは飾らないまっすぐで繊細な音が特徴だそうで、ちゃんと弾けば深く味わいのある響きが聴こえるそうだ。白水さんは、ベヒシュタインは自分のその日の調子が真っすぐ出てしまうので、体調が悪かったりすると音に出るのだそうで、本当に技術の高い人でないと弾きこなせないと言う。
また武蔵ホールの形状も独特だ。逆すり鉢状というのだろうか。八角形をしていて、ピアノを囲むように客席がある。客席数はそんなに多くないが、その分ダイナミックに音が聞こえることだろう。武蔵ホールは「音降りそそぐ」という冠詞がついている。その名の通り、音が舞い上がって降ってくるような、そんな風に聞こえる。末永さんがその中で弾くベヒシュタインの音色には、穏やかな末永さんの内面の燃えるような情熱が音として響いてくるようで、なるほどその人の内面を繊細に表してくれる名器であることを素人の私でもひしひしと感じた。
そんな武蔵ホールとその人となりを、身体で感じながら、私たちはインタビューを始めた。
Q. 末永さんと武蔵ホールの出会いは?
白水さん(以下:白水):あれはたしか2014年の4月でした。武蔵ホールのオープニングコンサートに末永さんが出演したのがきっかけだったと思います。
末永さん(以下:末永):ホールの名前の方は知っていました。他にも大きなホールとかはあったけど、このホールは雰囲気が違うのがすぐわかりました温かい、人のぬくもりが感じられて、いい意味で緊張感がない。このホールには人の想いが宿っているように感じました。ようやくくることができたって感じですね。最初は上の階から見ていたので。観客席と演奏者との距離感の近さがファーストインプレッションです。ピアノを囲むように席があるので、観客の表情もわかるんですね。魅力的なピアノもあって、一見ビルの上にあって。隠れ家的とでもいうのでしょうか。。
Q.武蔵ホールへの想いを聞かせてください。
白水:4年間の間で色々ありましたね。(笑)
末永:プレイヤーとホールの関係性は意外と簡単では無いんです。ホールの運営者とプレーヤーは一緒の気持ちになることが難しいという感じです。基本通常のホールは企画など事務的になりがちなんですが、ここは親身になってくれる。夜な夜な企画会議を、ああでもないこうでもないと言って一緒にやることもあるんです。公開レッスンもします。最初は3時間のつもりだったんですが、会場にいる人が一緒に熱く盛り上がってしまって最長11時間レッスンになりました。どうしてもレッスンを見たい人が多くてそうなっちゃった。(笑)だけど公開レッスンが終わった後はなんともいえない達成感と一体感が生まれました。お客さんもレッスン終わってもなかなか帰らない。そんな風にこのホールはプレイヤー・観客両方の想いを汲み取った人の心があると感じました。仕事という形式的な部分だけじゃなくて、ホールを通じて人と人とが繋がるというようなそういった部分があると思います。
Q.武蔵ホールはNPO団体という形式をとっていますがコンセプトはどんなものがあるのでしょうか?
白水:こうしたいという決まった概念はなかったです。だけど、初めてみていろんな人と出会いました。最初は何もわからなかったけれど、このホール独特の形状からの音響を活かし、魅力を活かして生け花と。わからないなりにホールととも育っていけばいいと考えています。ホールというものは使う人次第でどうにでもなると考えています。一緒に歩みたいと思えば、そのように観客と演奏者とともに育っていくようになります。このホールと一緒に育っていっているという感覚を持っています。思いを汲み取るというよりは、何もわからないから聞く、わからないままコンサートをすることはできないから聞く。そうすることで自然に人と人とが繋がれるようになったと思います。
工藤:音楽を共通項にして人がつながるのですね。
末永:観客にとってはホールに入る時ってある種の緊張感があると思うんです。でも、気軽にホールに来てもらい、音楽を楽しんでいただけるようにと思いますね。ある日、演奏中に赤ちゃんが泣いていることがあった。でも、赤ちゃんの時は誰にでもあるし、泣くのは当然です。わざわざ気にして出ていくことの方がおかしいと思うんです。そうやっていろんなことに対応していって、観客・演奏者・運営側と、お互いにとって勉強になればいいと思います。
Q.岡本さんにとって白水さんはどんな人ですか?
岡本:細かい気配りがすごくて、そんな大人になりたいと思える人です。そんな風に思える大人はあまりいないので。
末永:娘みたいなんじゃ無いの。(笑)
白水:岡本さんはそんなこと言ってるけど、実は彼女すごいんですよ。ホームページも岡本さんが一人で作ったし。私はああしたいとか口を出すだけ。岡本さんに気づかされることも多いですし。3年やってるとある程度固定観念が作られ、視野が狭くなるんですけど、岡本さんがいるとふっと疑問を投げて気づかせてくれる。そういう面では彼女はいなくてはいけない人です。
末永:私も岡本さんのことをそう思います。鋭いところがあると思うんです。別のホールのコンサートにも岡本さんを譜めくりや音の調整で呼ぶことがあるんです。いわゆる指名というんですか。弾いてる時にホールのいろんな場所で音を聴いてくれて、ここだとこういう音で響くと教えてくれる。譜めくりがとにかくうまいです。案外これって難しいものなんです。演奏者とのタイミングを合わせるので、演奏者の気持ちを察してくれないとうまくいかないですよ。岡本さんは演奏者と一体になってくれる感じがあるんです。それは武蔵ホールにいるとすごく感じます。「箱とピアノと人」これが一体となる場所がとても少ない。でもここにはそれがある。白水さんと岡本さん二人に会うためだけにホールにくるお客さんもいる。
白水:昔、このホールが無くなるかもしれないというタイミングの時に、お客さんがエレベーターのホールまで登って、扉が開いて私がいたらこのホールは存続するという賭けをされた方がいて、その時エレベーターが開いてたまたま私が待っていて、だからこのホールは存続しますって言われたんです。その通りになりました。
末永:ファンがいるのは人柄ですね。このホールには人と一緒に歩むというコンセプトがあるから、ファンがついてきてくれる。
Q.皆さんのお話を聞いていると、お互いに感じるものを一緒に見つめあいながらともに創っていく印象を受けました。共感がキーワードになっているんでしょうか?
末永:共感ですね。実は自分の熱量だけが空回りして失敗することもありました。でもこの二人はついてきてくれる。完全に同じものは見つめられなくとも、見ようとしてくれる。それが今の関係になっているのかもしれません。
白水:末永さんの演奏後の懇親会も実はすごいんです。是非そこもみてほしいです。末永さんを取り囲む輪が途切れないですから。
末永:地域との一体感が重要ですね。ホールに人が来てくれる。観客と演奏者と運営スタッフという壁があるようで本当はないんです。結局は何やってても人だから、一緒に創り上げようとすれば一緒になってくれる。
白水:電球交換もお客さんがやってくれたり、カメラ撮影とかもお客さんがやってくれるんです。そんなホールだから、緊張するというよりも居場所みたいに感じてくれる人もいるのかもしれません。来た方が緊張だけでなくほっとする場所になれることを目指しています。
Q.ベヒシュタインとはどんなエピソードがありますか?
白水:立ち上げメンバー(現理事)がプロジェクトの一環でヨーロッパで選ばれたピアノです。ある日、ピアノが売りに出される機会があり、売られるならうちで使いたいなと。
末永:ベヒシュタインは実は歴史的な背景から日本のホールにはあまりないと思います。ベヒシュタインはドビュッシーなどが愛用していたことで有名です。昔はたくさんの音楽家に愛された名器です。ベルリンのベヒシュタイン本社に、歴史上の名だたるピアニストが使ったベヒシュタインが置いてあります。ベヒシュタインを使う人はこだわりが多いと思います。それだけ、幅が広く正確で繊細でまっすぐな音を出すピアノだからだと思います。ドイツ在住時、ブラームスの家に住むという機会があって、100年もののベヒシュタインを使ったのがきっかけです。
白水:ベヒシュタインは実は扱いが難しいと思います。ちゃんと技術がないと使いこなせないですよ。まるでピアノに下手と叱られているようです。調子が悪いのもばれますし、「こうでしょ?」なんて語り合いながら弾くこともあるんです(笑)。
工藤:それはカメラも似ていますね。体の調子が悪いと写真に出ますし、気持ちが微妙に下向いても出ますから。
末永:それは興味深いですね!カメラマンのインタビューもしたいな笑。
末永:実はベヒシュタインでやりたい事がある朗読に即興を合わせるのはあるが、逆に即興ピアノに朗読をあわせてもらうというのをやりたいんです。どんな化学反応が生まれるのかわくわくしますね。人と人の感性をぶつけて何かを生むということをやってみたいんです。
Q.皆さんはお互いのことをどのように思っていますか?
末永:最初は一ホールにいる二人という認識でした。正直、最初は「大丈夫かなあ」という思いもありました。しかし4年の中で変わっていって、言うのは恥ずかしいんですけど…、水を吸収するように、変わっていく姿というのを二人に見ると、もっと知りたいと思うようになりました。次第に頼もしくなっていく姿を見ることができました。実は厳しいメールを送った事があるんです。そういういえる関係性があるということ自体が、よりよくしていきたいという共通認識があると思うんです。
Q.二人から見た末永さんは?
白水:第一印象はダンディーで俳優でもいけるんじゃないかという雰囲気でした。ある日、なんでも気にかけてくださることに気づきました。本当にいろいろご提案をしてくれる。とにかく人に対しても、音楽に対しても真摯な姿を目の当たりにしています。ホールにここまで向き合ってくれるプレイヤーもいない。普通嫌だったら離れるだけですが、厳しいメールの件も、ホールへの想いがあるからこそであると思っています。。
岡本:とにかくエネルギッシュだなぁと。そしてロマンチスト笑。末永さんといると、見えない世界が見えてくる。
白水:末永さんと一緒にいると岡本さんがきらきらして帰ってくるんです(笑)。それだけ吸収するものがあるんですね。
末永:自分としてはエネルギッシュだとは思っていないんです。それは、今というこの時はは当たり前じゃない。この瞬間にも何が起こるかわからない。だから今自分にできることを精いっぱいやりたいんです。日本の裏では戦争が起こっている。所沢にいるという感覚ではなく、地球にいるという感覚で生きていたいです。人とは限られた存在であり、有限である。多様性に満ちたこの瞬間で共感できるというのは偶然であり、尊い。だから特別にエネルギッシュというよりは当たり前であるという認識なんです。譜面も、ただ音符の羅列だけではなく、その裏に深い世界がありますから。世界の中の一部だと思わなければ、音楽は深くなりません。
Q.皆さんの関係を一言でいうとしたら??
末永:一言…。難しいですね。感覚でいいですか?ろうそくの火を見るときは、とても集中すると思うんです。その火は優しく温かい。華々しいわけでもないし、豪華でもないが、暗闇の中ではものすごく尊い。暖炉の炎とは少し違う。暖炉は少し強くて、リラックスしすぎている。このホールが存続の危機という暗闇に見舞われたNPOというろうそくに小さな火が灯ったような感じですね!音楽を奏でる感覚というのは、ピアノの技術とか学校で習ったことに無いんです。その人の感覚や記憶の中に表現の根源があります。僕の場合は幼少期にある記憶が強いかも。森の中で動物などと自然の中で暮らしていた時、雪が降って時間が止まったような白い雰囲気を目の当たりにしたんです。その時に感じた感覚が今でも鮮明に覚えている。無音の中にツーンとした音が聞こえるような錯覚がして、その中にしんしんと雪が降る音や、足跡だけがする、視覚だけじゃないものすごく美しい風景。これが僕の音楽のことになっています。
本来ならば、ここでインタビューは終わりだったのだが、次から次へと出てくる話は止まらない。昔、末永さんはドイツで暮らしていたそうだ。
末永:ドイツ生活時代、ピアオを引きたく無い時期がありました。カウンセリングも受けて、それでも改善しなくて、ピアノがある部屋のドアノブさえも触りたく無い時期があったんです。カウンセラーの言葉も届かず、ただ葡萄畑を自転車で走っていました。ピアノをやめるかどうかも視野に入れていた時期でした。そんな諦めがよぎるある日、何の気なしにピアノをひとつ押してみました。その当たり前の音を聞いた瞬間、ピアノが待っていてくれた事を感じたんです。自分がどんな状態であっても、ピアノは弾けば変わらない音を出してくれる。自分の将来など背負ってしまった重りがいろんなことが邪魔をして、ピアノに対する思い自体を忘れていました。今でも覚えてる。シとレのフラットです。その時の感覚を追いかけるように今でもピアノを続けているんです。
聴いているとこちらが涙ぐんでしまう。末永さんの言葉は率直で何よりも温かく時に熱い。表現者とは生活から表現者なのだと、自分を振り返ると嘘が多いことも明らかになる。そして、白水さんと岡本さんは武蔵ホールに火をともし続けてくれる人だ。私はこの3人は、火を灯し続けていける関係性だと思った。お互いに作用して、お互いに火を灯して、そして多くの人を温かくさせるような「優しい炎」。3人を見ていると、3人とも人とつながることで人という真理を何か得ているのではないかと思った。それをホールを通じて、音楽を通じて、表現している。本当の芸術家の姿を、体感することのできた日だった。
「また、会いに行こう。」
そう思える場所と人でした。温かな空間と時間を、本当にありがとうございました。
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