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京都桂店
Photo: 糸を紡ぐように。
投稿日:2018/6/23
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Photo: Kudo
Coordi: HIRO
最近カフェで書き物をしていると、ガラスの漏斗にアイスコーヒーを水出しで淹れられている光景を見ます。じっくりと時間をかけて丁寧に水出しされている様子を見ていると、もう夏だな、なんて季節を実感していたりして。ぼんやりと水出しコーヒーがゆっくりと落ちていく様を眺めていると、撮影はまるで水出し珈琲を淹れるようだと思います。
コーヒーは、厳選された豆を丁寧に焙煎することで豆自体の独特の風味を引き出し、細かく挽くことで味わいを深くさせ、冷たすぎず熱すぎない常温の軟水を使い、8時間かけて冷蔵庫でゆっくり水出ししていきます。その過程は、自分の視点を人へ向けた情熱を持って深くしていき、その想いを言葉にして根拠を持ち、細かく具体的に論理化することで技術で味付けをして、冷静な客観と情熱的な主観を行ったり来たりしながら思考と経験の中で、ゆっくりと写真を撮りながら人との関係性を規定して写真を撮っていくことに似ているな、と思いました。
私は6年間ライフスタジオで写真を撮らせていただいていますが、私たちと人との関係性を作りながらその中での体験を持って被写体の存在の美しさを表現していくのが、ライフスタジオの撮影であり、その結果物がライフスタジオの写真であると信じています。毎日同じ人が来る訳では無いので、その人ならではの撮影を毎日することは、どうしたら被写体らしさを引き出せるのか試行錯誤をしながら、その被写体が美しく見えるのはどの瞬間でどんな表現方法が最適かを考えながら、直感と洞察、哲学と論理を駆使しながら撮影をしているので、日々たくさんのエネルギーを使います。
1人として同じ人がこの世にはいないように、同じ場所・同じ時間に撮っても、被写体が違えば同じ写真にはなりません。それは、撮影者の主観というアンテナが被写体の存在がどこに出るのかを丁寧に洞察し、ゆっくりと、時には大胆に引き出すからです。アプローチの方法も、写真の表現方法も、撮影者の数と被写体の数だけ、組み合わせも無限に存在するので、ひとつとして同じ写真は無いのです。
「あなたと私の出会いの数だけ、写真は違う。人生と人生の出会いから生まれるonly oneの写真。
それがライフスタジオである」
それが、6年間ライフスタジオにいて、得てきた確信です。そのため、私たちは「自分」という個を大切にします。また、「あなた」という個を同じように尊重します。「私」と「あなた」を同じように大切な「個」として同じ眼差しで見つめ、同時に「私」と「あなた」という違う人としての出会いから生まれる未知の可能性を作っていくこと。そうして丁寧に作っていき、大切に積み上げていく関係性から生まれる写真こそが、ライフスタジオの撮影で生まれる価値だと思っています。丁寧にひとつひとつ、一日一日を、概念も技術も磨き燻し、人と向き合うことを丁寧に行うことで、まるでコーヒーを水で少しずつ長時間かけて一滴一滴を抽出するようにしてきたのが、私の写真です。
前置きが長くなりました。
今回、この写真を撮るときに考えていたのも「彼らしい」写真を撮るということです。赤ちゃんの写真は一般的に笑顔の写真が好印象であると思います。私ももちろんそう思います。赤ちゃんの笑顔は、リラックスしていて本当に楽しい時にしか出ないので、嘘のない笑顔であることが多いからです。しかし、ライフスタジオの価値において重要なのは、「被写体らしさ」を「美しく写し出すこと」です。この写真の被写体は、撮影ではなかなか笑いませんでした。怖がっているわけでも、警戒しているわけでもありません。ただ、彼の存在の表現方法が笑顔ではないだけです。75カットの原本を作る中で、もちろん笑顔を引き出す努力を全力で行いますが、同時にその子らしさを探し出し美しく表現することも考えます。その時に重要なのは笑顔ではなく、「らしさ」です。
動きと動きの隙間には、その人らしさが如実に出ると思います。
仕草には、その人の経験や文化・人生を垣間見えることがあり、その人となりを覗き見ることができます。なので、大人でもキッズでも赤ちゃんでも、何かをしてもらったり、反応をしてもらうような投げかけをしたりします。その反応の隙間の中に、その人となりを解く糸口が見つかります。
被写体を観察し、投げかけ、何にどのような反応を示すのか。その中で、その人自身を顕す瞬間を見つけ、最適な方法で表現するにはどうしたらいいのか。そんなことを考えながら、シャボン玉に反応し、それを捕まえようとするしぐさの中に彼自身を見つけます。それにはある一定の距離感が必要でした。そこで選ぶレンズは望遠レンズ。彼が私を気にしない程度の、でも私の存在を認識させる程度の距離感の中で、彼を自由にさせることが必要でした。望遠レンズを使った理由は、距離だけではありません。緑が生い茂った背景を優しく滲ませ、微弱な自然光が逆光になるように、彼の輪郭を繊細に出すように、表現したいと思いました。その中で、シャボン玉と彼自身の関係性を表すように横の写真で画角を設定しました。
写真を撮るということは、その被写体の素材を解いていって、糸を紡ぎ、一枚の布にしていくような作業です。さきほど関係性のたとえで水出しコーヒーの話をしました。コーヒー豆を加工し、下準備をして、香りと味わいを出すことは撮影者の下準備であり、関係性を丁寧に抽出していくことは過程です。その結果物がコーヒーであるというたとえでした。その撮影をしていく瞬間瞬間を、被写体という繭から糸を紡ぎ、美しい一枚のシルクの布にしていくことが一枚の写真を作ることであると感じました。6年間の経験の中で学んだことは、概念と技術の一致と、哲学と経験が本当に重要だということです。
コーヒーを一滴一滴抽出するように、糸を紡市で行くように、写真を撮ることが本当に大切だなぁと感じる今日この頃です。
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