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写真人文学 第4章②:主題

投稿日:2018/4/27

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お久しぶりです。
月に1度の写真人文学の時間です。
今回は、実際に写真人文学を撮影という現実で実践するために皆さんで考えていただきたいと思います。
 
まず前提として、写真人文学では写真を芸術としてどう考えるかを基軸として話が進みます。
なぜ、「芸術」として考えるのか?については、第1章・第2章あたりでもお話をしましたが、簡潔に言えば写真には「人の意志」が介入しているかに依るからです。「人の意志」のもと、何をどう撮るかを判断していることは写真がただの道具としてのモノならばここまで美しく撮ることができるのか、写真が美しいと感じるならばそれは「人の意志」によって撮影されたものだからです。よって、ここでは「美学」や「芸術」、「哲学」の観点から写真というものを考えていきたいと思います。
ライフスタジオの写真もそうですよね?

 
まずは前回の用語の整理から。↓
 
古典主義:美しさとは「本質の顕示」。美しさの本質とは「完全性」である。よって、美しさは数値や規則・法則のもとにあるもの。当時は「神の御業」によるものが芸術的であるという考えがもとになっている。美しさの基準は、自分自身ではなく「神」。つまり、決められたものであった。美しさとは本質を顕示するための「手段」であった。Ex.ミロのヴィーナス、黄金律など。
 
モダニズム:美しさは「自ら決めるもの」。個人の五感の深さは違うので、美しさも人によって違う。宗教や道徳などに依ってではなく自ら立てた基準のもとに決める「自律的」なもの。美しさは「手段」ではなく、芸術を行うための「目的」である。
 
芸術の実存的意味:「実存」とは文字通り実際に存在することであるが、サルトルが言う「実存」とは、「現象」であって本来はそこに何の意味もない。意味をつけるのは自分自身であり、その存在という「現象」は自らが作ったものである。よって、誰かから縛られるものでもなく自ら打ち立てていくべきもの。モダニズム的美学の根源的考え方。
 
時代の変遷とともに、「人」の在り方や「人」をどう見るのかが変わっていきます。その時代の流れは、簡潔に言うならば因習にとらわれた「人」という概念の解放だったのかもしれません。「生きる」ということは誰に望まれているわけでも、誰かに縛られているわけでもありません。だから、自分で何が良くて何が悪いかを決めて「意志」を持って生きていくことを望まれている時代でした。
とはいえ、当時の哲学者たちはなにも古典主義のすべてを否定していたわけではありません。古典主義の定義は「神の定めたもの」でしたが、「神が定めた」という言葉を使っていただけであって、「神が定めた」と人が感じたのにも理由があります。人の考えが及ばぬくらい美しいと感じるものが自然界にあったからです。なので、古典主義とモダニズムの美学は根源は同じです。「美しいもの」は古典主義から見てもモダニズムから見ても「美しい」からです。
何が違うかと言えば、「人」へ向かう考え方なのではないのでしょうか。しかし、考え方が違えば目的も変わります。古典主義がひたすらに規則・数値に忠実であったのは目的が「神が定めた真理の顕示」のため、モダニズムは「人間という存在・自分という存在の賛同」のためです。
 
想像のオブジェ:実際に在る物質を媒介として、想像したイメージを現実に反映させること。実際に在るものでしか、人はそのものを見ることも触れることもできないのでそのオブジェがどういう意図で作られたのか、このオブジェで表そうとしている作成者の思う真理とは何かを読み取り受け取る。
 
実存主義:実際の存在。生まれてきたことには何の意味もなく、ただ存在しているということにも何の意味もないとサルトルは言いました。それは、自分の存在・人生に意味を付けていけるのは自分のみであり、その人の生き方や存在自体にその人の内容が現れるという考え方です。当時は自分の運命も人生も神が定めたと信じる人は多く、それは一方では幸せな生き方かもしれませんが、自分の人生を何かに人の力が及ばぬところへ預けるというような感覚だったのかもしれません。人が自由かどうかはその人次第とも言えますし、幸せがどうか、その人の存在が何なのかは存在している当人次第ということです。
 
ドキュメンタリー写真:インターネットで検索をかけると記録写真と出ていますが、ここでは世界のあらゆる事象に対して撮影者の視点であるコンテクストを切り取る写真ということにしておいてください。つまり、撮影者がその世界を見ている視点です。写真には記録という概念が付いて回ります。いくら芸術写真といえども、実物の被写体を撮影している以上は記録という側面から逃れられません。しかし、いくら事実だけを記録しようとも撮影者の視点から逃れることはできません。客観的にその事象を記録しようとも、真に客観的などということはあり得るのでしょうか。そういった意味でも、ドキュメンタリー写真は主観によって芸術の目的を果たそうとするモダニズムに近いものです。ドキュメンタリー写真には撮影者が何を伝えたいのかが明確に現れます。記録だけど「真実」を表そうとする写真であることから、芸術写真の領域であるとここでは定義しています。
 
ポストモダニズム:モダニズムという熱狂的なムーブメントが去った時のこと。それは現代、私たちが生きている世界がまさにそうかもしれません。モダニズムは自分自身の規律により自律することを目的としていたので、誰かと「違う」ことを気にしないことであったかもしれませんし、とにかく人間を縛るあらゆるものから解放することを基盤としていたので因習の打破ということが重要でした。しかし現代に生きる私たちはモダニズムの人と「違う」ということだけ見ていて、より「違う」ということだけに着目しているのではないでしょうか。そうなってしまったら、バリエーションの世界でしかなく、新しいものにしか目が行かなくなりがちです。そこに、芸術の目的や信条はあるのでしょうか。
 
ここまで用語の整理をしてきたところで、ライフスタジオでの話をしてみましょう。
「ライフスタジオの写真はどうあるべきか?」を考えた時に、人によって答えは異なるのかもしれません。なぜならば、私たちは写真館という形態を取っている以上は「商業写真」から抜け出すことができないからです。ここで言う「商業写真」とは、撮影者の意図があるかどうかは問題ではなくて、依頼人がいて撮影者はその依頼人から依頼されるように写真を撮ることです。よって、その時、その依頼人によって写真を変えなくてはいけません。大体の写真館は大きなカテゴリーがあるとしてもほとんどが「商業写真」です。テイストや形式の打ち出しは主体的にできるとしても、その写真は望まれることを望まれるように撮るということでは、撮影者の技術は必要ですが意図や意志は時には邪魔にあることがあります。評価するのはお客様だとしても、撮りたいかどうかではなく、その写真の基準は世間やお客様にすべて丸投げということになります。
しかし、ライフスタジオの写真の核心は「人」です。その被写体を真に表す写真を、撮影者である「人」の視点によって撮ることが理想とされています。流行りや一方的な意見に左右されず常に「人」の真実を表していこうとする写真こそが普遍的で価値があるという概念が核心です。そのために、関係性を通じて私たちのことをよく知ってもらったり、お客様のことをよく知ったりしながら、お客様も私たちと一緒に時間と写真を作り上げていきます。その時間がどこにもないただ一つの時間となるように全力を尽くし、この世でたった一つの写真を撮っていくこと。ただ3万円をいただいて要望通りの写真を撮るというだけの関係性ではなく、その時間に対して対価をいただくという撮影がライフスタジオの核心であると思います。
 
そういった毎日を送っていく中で、撮影者はそれぞれの視点で写真を撮ることを価値とし、自らの基準と哲学を確立していきます。そうした自律した写真の概念を持つことで、「ライフスタジオの写真とは何か?」という目的のもとで変化発展していくのだと思います。
そのことを写真と文章で表現していくことが「フォトジェニック」の場ではないでしょうか?それぞれの撮影者が、「ライフスタジオの写真とは何か?」を考え撮影し文章化していくことで、どんどんライフスタジオの写真が作り上げられていきます。
 
さて、ここで今回の主題です。
1.ライフスタジオのフォトジェニックでは何が最も重要でしょうか?
2.ライフスタジオのフォトジェニックにふさわしい写真とはいったいどんな写真なのでしょうか? 



余談ですが、
この間、髪を切りにいった美容室で出会った美容師さんが言っていました。
「ぼく、流行が好きじゃないんです。本当にその人の生活に密着してその人だけに似合う髪形を提案したい。たまにお客様で自分の要望を突き通さないと気が済まない方もいますけど、なにか既存の型にその人を当て込むよりもその人だけに似合う髪形にした方が本当の意味でその人が自分自身好きになれるような気がします。そのきっかけを作れる美容師になりたいなぁ…。だからたくさん話します。雑誌なんか読ませません笑。」
あぁ、ライフスタジオの写真もそうあるべきだなぁと思いました。その人のことをちゃんと見つめて、その人だけの美しさの写真を撮ること。どんな人にでもそういうことができるカメラマンに私はなりたい。なんて思ったのでした。

 
Let’s enjoy thinking‼

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
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