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Project NEIGHBORS vol.3: LIFE STUDIO下関店
投稿日:2018/3/31
2355 3
NEIGHBORS vol.3
at LIFE STUDIO Shimonoseki
TEXT: Satauki Kudo
PHOTO: volvo & Takumi
“It’s Only LIFE STUDIO”
at LIFE STUDIO Shimonoseki
TEXT: Satauki Kudo
PHOTO: volvo & Takumi
“It’s Only LIFE STUDIO”
70年代のRolling Stoneの曲に“It’s Only Rock’n Roll”というタイトルの歌があった。
私がそれを初めて聞いたのは、たぶん中学生だったかな。
「たかがロックンロール。だけど俺はそれがたまらなく好きだ。」
という歌詞の曲は、原点的でシンプルなRock’n Rollが流行りに負けてしまいそうな時代に作られた。
若者は、新しく煌びやかで洗練されたクールでおしゃれなシンセサイザーを用いた音楽に傾き、
感情的で人間臭すぎるRock’n Rollが古い人間の虚しい遠吠えに聞こえてしまった時代だ。
私はシンプルで武骨なこの曲が好きだった…。
思い立ったように下関へ赴いた2月後半。
私はこの二人に会いに行った。
“河野智美”
“手塚瑶”
本州の西の端、関東からは遠く離れている場所でこの二人が構えるのは、
「ライフスタジオ下関店」
私はこの二人と一緒にいると、Rolling Stonesのその曲が頭の中を流れる。
「たかがライフスタジオの言う理想かもしれない。でも私はこれがたまらなく好きなんだった。」
そう思って凡庸な私はハッとするからだ。
日々せわしなく押し寄せてくる常識と固定概念の波に飲み込まれている場合じゃない。
孤独でいることを恐れるな。
そうすれば本当の絆は見えてくる。
私がそれを初めて聞いたのは、たぶん中学生だったかな。
「たかがロックンロール。だけど俺はそれがたまらなく好きだ。」
という歌詞の曲は、原点的でシンプルなRock’n Rollが流行りに負けてしまいそうな時代に作られた。
若者は、新しく煌びやかで洗練されたクールでおしゃれなシンセサイザーを用いた音楽に傾き、
感情的で人間臭すぎるRock’n Rollが古い人間の虚しい遠吠えに聞こえてしまった時代だ。
私はシンプルで武骨なこの曲が好きだった…。
思い立ったように下関へ赴いた2月後半。
私はこの二人に会いに行った。
“河野智美”
“手塚瑶”
本州の西の端、関東からは遠く離れている場所でこの二人が構えるのは、
「ライフスタジオ下関店」
私はこの二人と一緒にいると、Rolling Stonesのその曲が頭の中を流れる。
「たかがライフスタジオの言う理想かもしれない。でも私はこれがたまらなく好きなんだった。」
そう思って凡庸な私はハッとするからだ。
日々せわしなく押し寄せてくる常識と固定概念の波に飲み込まれている場合じゃない。
孤独でいることを恐れるな。
そうすれば本当の絆は見えてくる。
声をかけたのは、1月の末頃だったか2月の初めだったか。
とにかく思い立ったら吉日という言葉が当てはまるほど、思いついてから行動したのが早かった。
河野さんに連絡を取り、すぐに日程を決め、飛行機のチケットを取った。これは1週間以内の出来事の話。
単なる思い付きというわけではなかった。
きみどりカフェ・.withでの2回のNEIGHBORSは、どれも内容が充実していて価値のある時間だったので、またすぐにでもNEIGHBORSをやりたいという私たちの興奮と、本当に人生を交え関係性のもとに生きている人は誰かという話をしたときに、volvoさんから「下関店の二人はどうかな?」という提案があり、その言葉に私は妙にしっくり来てしまったからだ。
下関店の二人は、たった二人だけれど純粋にまっすぐにライフスタジオを体現している。
ライフスタジオはすべて「人」を基準に、関係性の中で組織を運営しようとしている。
それを体現しながら自らの意志と思考を持ち運営しているのは、下関店だけだと思った。
だから、話を聞きたかった。
私がそう思ってしまったのだ。
そんな中で迎えた2月20日。
朝早くの飛行機で、宇部空港に着いたのは午前9時。
空港の到着口に、見覚えのある独特の佇まいできょろきょろしている人がいる。
河野さんだった。
私たちを発見した瞬間、懐かしい笑顔で迎えてくれた。
空港の外に出れば、車の中から携帯のカメラを構えている潔い髪形の人が待っていた。
手塚瑶ちゃんだ。
この二人に連れられて、初日は車で観光させていただいた。
今回は、NEIGHBORSの形式を少し変えて自然に話を聞きたいと思っていた。
スタジオでカメラが回る緊張感のある中ではなくて、旅をしている中で自然に二人の関係性が見えたりとか、核心を話せたらと思っていた。そのほうが、飾り気なくすらすらと話せると思ったし飾り気のない言葉のほうがこの二人らしいかな、なんて思ったからだ。
秋吉台にある鍾乳洞「秋芳洞」、から、元乃隅稲成神社、角島、そして河野さんの実家の近くの海。
碧く美しい海をドライブしていただき、夜は焼肉・そしてチーズダッカルビのはしご。
遊び倒し食い倒した一日目に感じたのは、話す話題も連れて行ってくれた場所も、すべてが私たち中心にしてくれていること。下関女子二人とほぼ初めて絡むたくみにも探りながらもものすごく気を使ってくれていたのがわかるし、私やボルボさんは顔見知りとはいえ、最大限楽しめるように配慮してくれている。下関の状況を話しながら、さりげなく所沢店の話もさせてくれる。
その日は近くの温泉に行き、私は河野さんと瑶ちゃんと一緒にスタジオに泊まった。
寝る前に何か話したいと思っていたが、話したのは所沢店のプロジェクトの話。最初は瑶ちゃんが直に、「P.O.PとかNEIGHBORSって何ですか?」と聞いてくれた。P.O.PとNEIGHBORSの原点的な軸は「写真を通して関係を作る」ことでありそのための思考軸は写真人文学であること。その内容を話したら、「めっちゃいいです!!是非これからもどんどんやってもらいたい!」というこれまた率直な言葉だった。なんだか、私たちの話ばかりで申し訳なかったけれど、写真館業界でリアルに生きている人たちの言葉や感覚はやっぱり深い。皆考えているのは、「どうしたら商売になるか」よりも「どうしたら写真で人間らしいことを伝えられるか」なのだ。それが、コスパや効率を超えた新しい価値になる。下関店の人間臭いこの二人は少子化が進む下関で、自分たちが写真を通して何ができるのかを真剣に考えていた。そのことが私の体の真正面から感じ取ることができた。そして同時に反省する。「私たちは、机上の空論から抜け出していないのではないか。早く社会で実践しないといけないのではないか」と。
「写真を通して人間的な価値を創出する」下関の二人にたくさん話を聞きたいと感じさせる夜だった。
NEIGHBORSが始まっていたと言えば自然に翌朝始まっていたが、翌朝、壇之浦の前の風情のある喫茶店でモーニングを食べながら、インタビューを始めさせていただいた。
河野:この間さ、スタジオにある本を子どもが開けたら「あ、お金あるー!!」って言って5000円出てきたんです(笑)。あぁ、私しおり代わりにお金挟んでたんだって。何年ぶりかの5000円で(笑)。多分関東にいたときに挟んでたお金だった気がする(笑)。
手塚:そう、この人スタジオにたくさん「へそくり」隠してる(笑)。
そんなことを笑いながら話して、モーニングを食べる。
かしこまってインタビューなんて形式ばったことをするのが少々不自然に感じてきた。
考えてきた質問には意味があるのだけれど、そんなことよりも話の中で自然に聞くことにしようと思った。
■究極、写真じゃない。関係が残ればそれでいい。
工藤:最近下関どうですか?スタジオもそうですが、下関全体というか。下関から見た社会というか。
河野:相変わらずといえば相変わらずですけど(笑)。でも、ワンピク(ワンデイピクニック。詳細はリンクへ)とかウシロック(詳細はリンクへ)とか、地域に密着することは絶えずしています。おかげ様で写真館業界というよりも、外の世界とつながることが増えてきたように思います。
手塚:そう、昨晩工藤さんからNEIGHBORSの話を聞いて、そんなことをやってくれって女社長がいたなって思ったんですよ。その人、もともとフレグランスの会社を東京でやっている人で、「五感から人の人生を豊かにしたい」って言っている人で、香りから人がいる空間をコーディネートするような仕事をやっている人なんですけど。その人に、下関の二人が写真で人の関係を再認識させて関係性を良くできることをやってくれって言われてまして。昨晩の工藤さんの話を聞いたら、それってNEIGHBORSなんじゃないかって思ったんですよ。写真館が人のためにできることって、結局は関係性を良くすることなんです。関係を美しく撮ることでプラスの意味で自分たちの姿を客観視させて認識できるって、すごいこと。それには目の前の人たちのことを初対面でもそうでなくてもまっすぐちゃんと観察してその人たちのこととか関係とかを知らなきゃできないし。それならライフスタジオはできるんじゃないかって思いますね。
河野;なんかね。私たちは幸せなことにそういう女社長みたいな人たちに会うことが多くて。この間もスタジオに来てくれる気のいいパパが下関の地域活性化とかやってくれている人で、あまりにも普通だから市役所の人かなーって思っていたんですが、東京に帰るっているからなんやろって思っていたら実は官僚の人で…。
手塚;びっくりしましたよ。私たち官僚の人と普通にしゃべってん(笑)。
河野;しかも、私たちが出会う人たちは本当に社会における人が作る価値について真剣に考えている人ばかりで、みんな関係性の話をするんですよね。不思議だけど。でもおかげ様で社会へ対する視野が広くなったし、広く保てている。
手塚:スタジオに来るお客さんたちも社会に対して敏感な人も多くて。政治とかみんなすごい意見持っていますよ。
河野:下関に来て、写真館に求められているものが関東と違うって思いました。少子化もありますし、写真館でカジュアルに写真を撮るって文化がなかったし。だから最初は遺影撮影とかよくありました。徐々にファミリー撮影も多くなっていったけど。でも、すごい皆私たちのことを覚えてくれるし見てくれている。写真を撮りに来ているんだけど私たちにも会いに来てくれている。なんか図書館みたいな所になったらいいなって。だからスタジオにたくさん本置いているんです。撮影の空き時間に気軽に手に取ってほらってもいいし。写真撮りに来なくていいから本読みに来たよって関係がいいかなと。本もこどもたちに読んでもらいたい本を置いているので、哲学でもなんでも自分たちの人生を考えるきっかけの場所でもいいし、いつでも帰ってこれる場所になったらいいなって思うんです。
手塚:子どもたちが思春期になって家族と喧嘩して、家出先がウチだったらいいですよね。「どしたん?喧嘩したん?なんかあったかいもん飲む?」みたいな。ほんとに図書館の人みたいになれたらいいな、なんてね。
河野:究極、写真じゃないんですよね。きっかけは写真館だったってだけで。たとえ写真がなくなったとしても関係が残ったらいいと思うんですよね。
手塚:それに下関の人たちってすんごい人に興味あるし、関係性ってわざわざ作らなくてもそこに在るものなんですよね。この間大掃除してたら、通りがかったおばあちゃんに「どしたん?!もういなくなってしまうん?!寂しいからやめて~!!」って(笑)。店じまいだと思われたんですね(笑)。自分たちが知らない間に、おばあちゃんたちがそう思ってくれてるんだと思ってね。本当にここは人と人の距離感が近いし、孫みたいに思ってくれてるんじゃないですかね。
河野:そうそう(笑)。おばあちゃん写真館(笑)。
工藤:下関店は少子化という問題もあったり、ライフスタジオ自体が新参店だったので最初は営業が大変だったりお客様の認識も関東とは違っていたと思うんですけど、3年経った今はどうですか?変化してきていますか?
河野:最初一年は下関のお客さんが来なくて、元々関東でお世話になったお客さんばかり。わざわざ下関に来てくれたりとか西の出身人たちが帰省で寄ってくれたりとか。最初は月に7件とかでした。苦しかったですよ。給料なんて無いし。ワンピクとかウシロックとかやって、フットワーク軽くするためにキャラバンみたいに最悪車で寝泊まりしてもいいように車買って、地元のラジオにも出て(笑)、いろんなところに出てくるようになってだんだん周知されてきてお客さんも増えてきました。去年から下関近辺の人が増えて、関東から来る人は月に5組くらいですね。
手塚:伝えたいこととニーズがマッチしてきてるんだと思います。いろんな人ととにかくたくさん話すので、写真館だけど写真っていうのは入り口で、この社会に必要なことを伝えたいんです。
河野:そう。今この社会に何が必要かを考えたら、モノではないんです。お金でもない。人間的な当たり前のことなんです。私たちがどこから生まれて、どこへ行くのか、どう生きていくのか、誰と生きているのかとか、普通に考えたら当然わかっていることなんですけど、本当にわかっている人が何人いるのかって思います。「わかっているよ」っていう人は、じゃあ今自分が生きている社会や政治のことや、今世界で何が起こっていて、いやそもそも今こんな世界があるのはどんな歴史があるのかって聞きたい。それが写真館でやることかどうかというよりは、そういう風に人間的なニーズにこたえる入り口が写真館であってほしいって思います。例えば、撮影じゃなくても話したいから来店されたり、本を借りにきたり笑
工藤:この間、.withでNEIGHBORSやっていたときに聞いたんですが、東京の写真館の状況は写真をやっている人ではなくてお金のある資本家たちが参入しているから、顧客が写真館を選ぶ基準がとにかくコスパになっているって聞きました。顧客が写真館を選ぶ入口がまずは安さだって。そうなると悲惨ですね。東京だけじゃない。関東はもうすぐ価格競争になりそうです。写真館の内容ではなくて、深層心理で本当に人が求めているものにも顧客は気が付かず、お金が基準になっている。
河野;顧客の反応が、安いからとかコスパいいからとか言われ始めたらやりにくいでしょうね。そうならない為にひたすら喋る。お客さんに本当の価値の話をします。私たちもいろいろやりますけど、売り上げを上げるキャンペーンなんかじゃない。入口になってくれればいい。
北九州も詳しいですよーということで、唐戸港からフェリーに乗って焼きカレーを食べに門司港へ。
福岡が本当に近い。そこで少し写真撮影をさせてもらった。
「バグダッドカフェ」は古民家を改装して作られたカフェだ。ここで下関店の写真展もやっていた。馴染みの二人が来たとたんにスタッフの人たちが友達かのように二人を迎える。
ここで焼きカレーを始め、お腹がすいていた私たちは大量の料理を注文し、食べながらインタビューを再開した。
■二人の関係性の始まり。
工藤:二人の出会いは?
手塚:草加のインテリアだったかな。その時は河野さんのことはインテリアの人だと思ってたんですよ(笑)。
河野:それ、私が社長に感じたことと同じ印象だわ(笑)。社長に近くなってきたんかな(笑)。
手塚:その日の飲み会では何もなかったけど、帰りにフェイスブックで急に「出身福岡なん?」て連絡がきたんです。そのときの河野さんに対する印象がいろんな意味で変な人だなぁって。何が変かなぁって見ながらブログとか見てましたね。そのとき、私はいつか河野さんは地元に帰るんじゃないかなあとは思ってた。そこからはしばらくほとんどからみはなかったですけど。
工藤:河野さんから見たようちゃんの印象は?
河野:ブログとかみてても、この人は出してないなぁって印象だった。で、Bチームの会議に参加した時にいろいろ話しました。Bチームどうするの?って聞いてた気がする。それまでは撮影も入ってないし、共にいたわけではないです。そこから一年後くらいに私が下関に戻る発表があったときにたまたまようちゃんもいてね。
手塚:その時に「とうとうきたかー」と思ったんです。みんなが河野さんにねぎらうなか、河野さんが急に私にハグをして「待ってるよ」と一言あって。意味深だなぁ~って思った。
河野:その後、下関に帰る前にようちゃんから話したいと声をかけられました。そもそも、下関に帰るのも準備してきたわけではなく急展開で。自分のおばあちゃんが亡くなって、それまでいつかおばあちゃん孝行するために学んだら帰るつもりだったから自分の中で何もなくなってしまった。論文が終わった頃くらいですね。
もう続けられないと社長に打診して、下関に帰って整体師になるって言ったんです笑。
手塚:私は全てを捨ててまで行くつもりはなかったですよ。ソニさんさんのおかげでライフに入ったから、きちんとソニさんと何度も話し合いを重ねて決断をしました。営業があったから3月1日まで自由が丘にいて、3月2日に下関ですね。
工藤:なぜようちゃんは下関に行こうと思ったの?
手塚:変な人についていかないでどうする?って思ったからですよ(笑)。日本人フォーラムの時から人を深く見てくる河野さんが変な人だな~って思ったけどなんかついていきたいって思ったんです。
河野:ようちゃんきてくれてなかったら新人雇ってでもやるって思ってたけど、ライフが無名な下関で集客しながら教育してってしたら多分死んでた(笑)。ようちゃんには本当に感謝しています今でこそこんな明るいようちゃんだけど、ようちゃんの下関初めての夜、宿で一緒にいたとき、すごい距離をおいて座ってた。
ウーロン茶を入れてあげたんだけど、なかなか渡せなくて(笑)。
手塚:そう河野さん三回くらい温めて(笑)。
河野:ようちゃんは元々は人と距離置く人なんです。
手塚:河野さんは人を深く見る人。私は最初それがすごく嫌だった。それは自分もそうだから。人を観察してしまうし。
工藤:いつから二人は打ち解けたの?
河野:二人ともお酒をたくさん飲むから(笑)。
手塚:初めて河野さんが人に頼れる瞬間が生まれたんです。河野さんが初めて私の前で酔っ払った(笑)。私が介抱して、、、てことが、それから何度も生まれた
河野:下関の初期は元気がなかったんです。おばあちゃんが亡くなって人としての欲がなくなったんだと思います。食べ物を食べても味を感じない。だからずっと音楽を聴いてました。音楽聞いて何にも感じなくなったら終わりだと思ったから、そうならないようにしてました。そんな私の内面を気付かれないようにずっと気を張ってました。パク社長も助けないといけないし。関東にいると、地元とライフとふたつ頭の中にある状態だった。ライフで責任もってやらなきゃいけないけど、地元にいる家族のこと、いつか帰っておばあちゃん孝行したかったからね…。
工藤:今はどう言う存在ですかか?
手塚:河野さんはやっぱり変な人ですよ。お腹が黒いところもありますし笑。私は人の黒いところというか、人間味のあるところを知りたい。表面的に人はいくらでも取り繕えるから、正直そんなものじゃその人はわからないし、興味ないんです。私はみんなから好かれて頼られて笑っている皆の河野さんというイメージを壊したかった。一人の人間として河野さんを見たかったんです。
河野さん:ようちゃんは神様。いてくれるだけでありがたいし(笑)。信じることもあれば疑うこともある。ようちゃんはぶつかることを恐れないけれど、ほんとはぶつかりたく無い。なんとかぶつからない方法はないかなとは思うけど。。だからネイバーズがいいな!笑
手塚:ぶつからずになあなあで済ませるという考えは無いんです。なぁなぁが一番悪い!
■社会を変えるには。
工藤:他の誰でもなくこの2人でやってるのは、ようちゃんが軸を持っていて、よく考えていて、、、社会の話や、地域の話とかよくするし。他のスタジオではそんなに広い視野で見ている人は無いと思うけど?
河野:会社のあり方が社会、世界を変えるから、つながりがあるのは同然。自分が楽しければいいという考えは古いです。フランスは三十代が首相ですよ。若者に目を覚ませとビンタしたいけど、できないから写真を撮んだと思います。
工藤;そうですね。私は思考を変えないといけないのは子供ではなく大人だと思います。大人がそれをわかってなくちゃ子どもに教えられない。だからNEIGHBORSをやるんです。関係を認識して自分の意志で望むものを作っていかなきゃいけないのは大人だから。
河野:そうそう、与えられるものではなく自分たちで作らないといけないことですよね。今の教育にはゴールが無い。目的がないっていうのかな。こういう人間にならなくちゃいけないっていうのがないんです。だから、ただ決まった要綱や知識を押し付けるだけが教育だって思っているんじゃないですかね。先生だってわからなくなっているのでは。昔は悪い面で目的もあったので。戦争に行かせるための教育があったり。だから人を育てるってちゃんとした目的がないといけないし、ちゃんと人を教育すれば確実に人としての中身になりますし。この間カンボジアに行ってきたんですけど、ポルポトもクメール・ルージュとかでたくさんの学者とか知識人とか殺してます。ポルポトの場合は大人はもう考えが出来上がっていて、国を変えるには子供だけにしないとダメだっていうんで、自分たちの思想に反する人を殺しました。しかもただ殺すんじゃなくて拷問にかけて、惨いことをして、哲学を全て奪ってから殺す。自由な思想を持った者への見せしめですよね。人に対する尊厳がない。教育においては人の尊厳が重要だったけど、逆に日本には尊重しすぎて尊厳が何かもわからない雰囲気が漂ってる。日本は常識的に生きたり、外れないように生きる風潮が漂っていて、教育も個性を重視されると同時に凡庸な人生を送るようにできている。人生が大量生産された商品のようにパッケージされてるんですね。良い大学行って、就職して、結婚適齢期とかいうのがあって。それができないと劣等感を抱いたり、焦ったり。そういうのがあったほうが生きやすいのかもしれないけど、ほんとに人というのは何か?が感じられないんじゃないですかね。
手塚:そういう意味では、下関の2人はあんまり流されないかな。ある意味頑固です(笑)。前職ではほんとに駒のように働くだけだったから自分がどのように生きるかというのを考える暇すらなかったです。ライフスタジオは哲学をやったり歴史とか人文学が基礎になっていたりいろんな考えがある。だから自分たちから切り込んで行かないといけない。
工藤:偶然かもしれないけど、下関という土地からは明治維新の中心となった人を輩出しているし松陰さんもいるし、人の自由な思想や行動を起こした人たちが多いですね。
河野:今の教育者たちは松陰先生に習って(笑)!!私は下関店のメニュー表の最後に、私は100年先の未来が見たいと書いてるんです。歴史は回ってる。だから私たちが作っている今は100年後になって結果でわかるんじゃないかなって思います。だから100年後が見てみたい。過去の歴史があるから今がある。そう思うと、今の時代が、日本が、未来にどのようになっていくのかが興味がある。
ボルボ:日本の事まで考えて生きてるのはすごい…。
■生きている。生きていく。
工藤:下関店はどんなところにしたいですか?
河野:家みたいなスタジオ。今撮影にきてくれる子供達が大きくなって、人生が嫌になった時に立ち寄って昔の写真見れるような場所になればいいな。私が出張撮影でもなくスタジオを持った理由は、いつもそこにある場所を持ちたかったから。お酒飲みにきてもいいし、育児が嫌になったママが来てもいいし。本来の町の写真館はそうあるべきじゃないかな?地域と家族の歴史見届け人。だから最初の年は写真展も「生きる」がテーマだったんですけど、今年のテーマは「生きている、生きていく」にしました。「生きる」は自分の意志の話なんですけど、「生きている、生きていく」は今ここにちゃんと足を踏みしめているうえで生きている事実の中でどう生きていくかとか、現実的なことを受け入れたうえでの「生きていく」テーマですよね。
手塚:この間、遺影写真を撮ったおじいちゃんの遺影をお葬式に使ってくれた写真を送ってきてくれたお客さんがいて、悲しかったけど嬉しかった。お葬式って普通悲しいじゃないですか。でも遺影の顔がいい顔で、そういう写真をお葬式に使ってくれて、それでも写真送ってくれるんだなぁって。
河野:でもそういう人たちの写真を見ると「生きてるんだな」って実感しますね。お葬式が悲しい場所なだけじゃなくて、最後に写真が撮れてよかったと笑顔で送り出せるのは良いことだなって。だからこそ全ての撮影が誰かの人生と結びついていて、すごく大切で、すごく重い仕事と実感しています。
工藤:二人は二人でずっと一緒にいるじゃないですか。もう嫌だってなることはないんですか?
河野:2人が口きかないくらい喧嘩することありますよ(笑)。報告書も別々の部屋でやるし。でも撮影は喧嘩してても一緒に入らなきゃいけなくて。
手塚:撮影での子供がめっちゃひょうきんで喧嘩しているんですけど一緒に吹き出してしまって助けられたことが何度もありますね。撮影して同じもの見て笑っていると「あれ、どうして喧嘩してたんだろうな」って思います。その度に神様はいるんだなぁと(笑)。
■需要を追いかけるのではなく、必要性の創出をすること。
工藤:最近のライフスタジオの写真についてどう思いますか?
河野:技術は上がったかもしれないけど、本質的なものが抜け落ちているような気がします。人とか概念的な核心的な部分が知る必要があるのではないかなって。そもそも、目の前にいる被写体がどんな人かわかってるのかって。人に興味あるのかってことですよね。
手塚:だからP.O.Pいいわー(笑)。無理やりにでも目の前の人について観察してちゃんと考えなきゃいけないんだもん。ライフスタジオの撮影で毎日やらなきゃいけないことですよね、本当は。しんどいけど。
ボルボ:人のことを知る必要性を感じてないのではないかな?だから自分の中に他人を入れないし、入れたがらない。
手塚:普通、成長って、自分に客観を入れてのことだけど、なんか最近の人ははガードが固く、人の客観を入れようとせず「私はこうですから」と決めてしまう人が多いですね。自分と他人との枠なんて本当はないのに、枠を作りたがる。そもそも自分をどのくらい知っているのか疑問ですし、なのに人の違いばかりを気にしている。成長にはそんなんいらないです。違いを受け入れて自分のものにしていってなんぼですから。
河野:最近の歌もね。なんか常識のトリセツみたいな。同じ曲調で金太郎あめみたいだし。実感してないのに実感して気になってしまいますね。自分をよく知らないのに知ってると思う人が多い気がします。人の顔色ばかり見てるから、人の事ばかり見てる。だけど線引きしているから人に深く入るわけではない。
工藤:人とは何だと思いますか?
河野:なんで私「人間」に生まれたんだろーって思います(笑)。なんで蟻とかバッタとかじゃないんだろーって。人間に生まれたからには「人間」を知らなきゃいけないと思います。「人」が何なのか知るのは怖いけどまだまだ知り切れない。人間ってもっとなんかできるんじゃないかな。怖いけど知りたい気持ちが今はあるかな。
手塚:私は「怖い」って常に思っている。興味があるから今の仕事ができるし人と関われる。かかわってみるといろんなことが知れるしいろんなことが見れるし自分も見えてくる。こんな風に思ったりこんなところにこういう風に感じるんだって。だから人に寄り添いたいって気持ちが前に出てる。
河野:「一人」だけど「一人じゃない」し、今まで生きてきたにも歴史があるだろうし、私一人が生まれる前から「人」がいてそれもひっくるめて全部自分という「人」だと思います。時間を超えても、空間を超えても、どこまで行っても「人」です。私思うんです。今はそのことが自分の存在と断絶されている時代だと。だからわけわからなくなるし。知りたいと思う以前の問題で。だから写真館は人の「欲しい」という需要ではなく、「欲しい」「なくてはならない」と思わせる必要性を生み出すことが重要じゃないかなと。それが新しい価値になると思います。まずは、私たちの存在とは何かを「知りたい」「知らなきゃいけない」と思わせる必要がある。関係性とか社会との繋がりを「見たい」「知りたい」、「私たちの未来について考えたい」って思う必要性を創出することで、需要はそこから出てきます。
場所をライフスタジオ下関店へ移して、最後の質問を投げかけてみた。
工藤:二人の関係性を一言でいうと。
手塚:「人」です。「人」。それに尽きます。
河野:うちの法人が「JIN」って言うんですけど、その「JIN」にはいろんな意味がある。「人」・「仁」・「尽」。「人」はわかると思うんですけど、「仁」は慈しみとか思いやり、他人と一緒に生きること、「尽」は目の前に人に一生懸命になることですね。私たちは一人だけど一人ではないですから。
「人」・「仁」・「尽」=JIN
日本語の妙で、JINという一つの発音の中にたくさんの意味がある。
「人」が「仁」を「尽」くすこと。
「人」は、私たちが思う「人」。「個」であり「集」であるもの。「唯」であり「普」であるもの。
「仁」は、思いやりの心のこと。自分と他人を分けない慈しみと情け。
「尽」は、尽くすこと。常に全力であること。
この3つのJINを合わせると、「人らしく生きていく」ということになる。
キャッチーでわかりやすくシンプルなこの言葉の組み合わせのセンスは、
関東にいた時から感じていたけれど、さすがのさすが。
センスというのは、人生や生活に密接して生まれるというから、
きっとこの美しい言葉に実感を以て生きてきたのだろうな、と思わせる。
本来は、「人」とはこう在るべきだと思う。
ライフスタジオで提唱している理念もこういったことなのはわかっている。
だけど情けないことに、私たちは自分たちがどこから来て本来ならばどこへ向かうべきなのかを
知らずに生きてきたものだから、この言葉が美しいものであるということは理解できても、
実際にそう生きられるかと言えば自信がない。
なぜならば、私たちはすっかり無関心と無頓着と無責任の培養液に浸されてしまっていて、
自分の存在という当たり前のことにすら目を向けることが少なかった。
本来は、こうして生きることは当たり前であって特別なことではない。
本来は、この言葉を「美しい」と感動する心持ち自体がもう既におかしいということに
気が付いて途端に恥ずかしくなる。
あの二人と話すと、なぜか心が洗われるような、
少し叱られているような感覚になる。
この3つのJINを体現している二人。
ここに私が忘れてはいけないライフスタジオの姿は間違いなく生きていたと
そう思った2日間だった。
たくさんのおもてなしと温かい言葉をありがとうございました。
インタビュー動画の様子もご覧ください。
「人」が「仁」を「尽」くすこと。
「人」は、私たちが思う「人」。「個」であり「集」であるもの。「唯」であり「普」であるもの。
「仁」は、思いやりの心のこと。自分と他人を分けない慈しみと情け。
「尽」は、尽くすこと。常に全力であること。
この3つのJINを合わせると、「人らしく生きていく」ということになる。
キャッチーでわかりやすくシンプルなこの言葉の組み合わせのセンスは、
関東にいた時から感じていたけれど、さすがのさすが。
センスというのは、人生や生活に密接して生まれるというから、
きっとこの美しい言葉に実感を以て生きてきたのだろうな、と思わせる。
本来は、「人」とはこう在るべきだと思う。
ライフスタジオで提唱している理念もこういったことなのはわかっている。
だけど情けないことに、私たちは自分たちがどこから来て本来ならばどこへ向かうべきなのかを
知らずに生きてきたものだから、この言葉が美しいものであるということは理解できても、
実際にそう生きられるかと言えば自信がない。
なぜならば、私たちはすっかり無関心と無頓着と無責任の培養液に浸されてしまっていて、
自分の存在という当たり前のことにすら目を向けることが少なかった。
本来は、こうして生きることは当たり前であって特別なことではない。
本来は、この言葉を「美しい」と感動する心持ち自体がもう既におかしいということに
気が付いて途端に恥ずかしくなる。
あの二人と話すと、なぜか心が洗われるような、
少し叱られているような感覚になる。
この3つのJINを体現している二人。
ここに私が忘れてはいけないライフスタジオの姿は間違いなく生きていたと
そう思った2日間だった。
たくさんのおもてなしと温かい言葉をありがとうございました。
インタビュー動画の様子もご覧ください。
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