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P.O.P ~Figure the TRUTH: Takumi Yoshizawa~

投稿日:2017/12/27

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Tokorozawa Photo Project
P.O.P
Prove Our Photophilosophy


Figure the TRUTH

Photograph and Text :Satsuki Kudo


真理とは何か。
主観的でもなく。
客観的でもなく。
しかし、同時に
主観的であり。
客観的である。

 
「私」に偏らず、「誰か」に依存せず。
  
彼のことを写真に撮るということは規定。
「彼が誰か」という規定を、私自身が下すこと。
その前に、私は「彼が誰なのか」知っているのだろうか。

 


ほら、例えば彼の場合。
私はいまだに彼に手こずるし、考えていることがわからないときもあるし、時々反抗される。笑
それは、まだ私が彼の真実に到達できていない証拠だ。

思えば、出会ってから長い。
昨年の5月の越谷店。
彼の第一印象は、「ちゃんとしようと頑張る人」。
彼は言わずもがな、アラサーが平均年齢のライフスタジオでは群を抜いて若い方だ。
だからか、誰にも弱く見られたくないという意志を感じた。
雑な言い方に言い換えれば、誰にも舐められたくない、見くびられたくないという方が強いかもしれない。
「ちゃんとしなきゃ」という意志があり、言葉も自分で考えた上で発する。
しかし、社長にその内容を否定されればわかりやすく落ち込む。笑


彼は、弱い。
急に落ち込んでいるから理由を聞けば、ほんの些細なことや浅いこと。
または、自分自身のこと。
誰かに認められない、自分を認められない。
そのまま放っておけば、ずるずる落ちてしまうような危うさがある。

彼は、優しい。
植物に接している姿、子供に接している姿を見ても彼は生きているものを基本的に善いものとして見る。
そして言葉も優しく、争いごとを好まない。

そんな彼の真実は、「弱くて優しい未知数の人」

当時、彼の撮影はなにかにとらわれていた印象が強かった。 
もちろん元気よく常に笑ってはいたのだが、撮影に向かい合う対象は「人」なもので、
彼の持っているバリエーションではたびたび通用しない時もあった
そんなとき、撮影中は落ち込む暇も止まる暇もないのだけれどかれはたびたび落ち込んでいた。。

通用しないのは当たり前だ。
だから、「知る」必要があるのに。

 

そんなことをアドバイスされる彼は落ち込みはするが、
試行錯誤の上ちゃんとアップデートされて戻ってくる。

ああ、これは哲学的だ。
なんて、当時の私は思ったものだ。

哲学の目的は、なんらかの「真理」を得ることだと言われている。
「真理」とは物事や世界の真実であり、それはひとつのものをたくさんの方向から見たり何巡にも巡りながら、
考え否定したどり着く「本当の姿」。
それには、「主観」を持ちながら「主観」を否定続け、「客観」を持ちながら「客観」に依存しない考えと視点を持ち、
より広く深く物事を知っていくことが重要だ。


「人」1人にしてもそうだ。
たった一人の人を知り深く入るということは、その人の真実を知るということ。
いや、「知っていく」ということと言える。
そのためには、立ち止まることはないし「知る」ということになんの躊躇もいらない。
「知る」過程には、「主観」なんていうのが邪魔くさい時もあるし、「客観」を認めたくない時もある。
それでも立ち止まらず、まっすぐに「人」を知って接していくこと。
これがライフスタジオの撮影なのだが、たくみの撮影での落ち込みと成長を見ているとその過程が手に取るように見える。

カメラマン練習の時もそうだ。
ただ言われたことだけをやるのでは足りない。その瞬間、彼は落ち込む。
だから、努力といけないと「知る」と彼の行動は早く徹底している。
「知らない」彼は弱い。しかし、「知った」彼は強い。
さらに言うならば「知ろう」とする彼は美しいのだ。たとえ、悔しくて涙を流そうともね。

カメラマンになってからの彼は、本当に悩む日々を送っているようにも見えるし、
まだ本当の悩むべきことに気付いていないようにも見える。
「知らない」ことと「知り始めた」ことの間にいるような。
この過程の彼を見ることは本当に楽しい。
だけど、「知る」ことをやめる瞬間ももちろんある。
その時彼は分かりやすいくらい停滞する。
この法則に彼自身が気付いているのかどうかは知らない。
だけどこのサイクルに気付き、この健康的なサイクルを自分で作れたら、
間違いなく急成長株No.1になりえる存在だろうななんて。

 

 

そんな彼の姿は、無機質に見えて有機体だ。
無愛想に見えて、愛されキャラ。
本当は誰よりも負けたくないのに、争わない。
現代の若者らしくマットでツルッとした無欲そうな表面の中には、
たくさんのフツフツとした欲求がある。

それは彼の生きている時代に合わせてそうなっているだろうし、
そんなことは関係なく彼の存在がある証拠だ。

そして転んでは立ち上がる。
知らないことに関しては謙虚で、知っていることに関しては自信家で。


「主観」と「客観」が矛盾している。
だけど、そんなこと関係ない。
そんな彼の存在を写真で表したかった。

 
今は自分よりも大きな世界で生きる小さな彼は、何もないようで誰よりも何かある。
テレコムセンターは、広く無機質でたくみには意外にも似合うと思った。
今の彼と、未来の彼。
そしてまだ私が知らない彼を撮るには、小さくて、中身があって、時々鋭い面を撮る。
人間とは、世界の中で生きるもの。
だから、たくみも世界の中にいて、真実に向かって歩くことを意味するような写真を目指した。
それがうまく撮れているのかは分からないけど...。

「若い」と言われることを彼は嫌がるが、「若い」というのは良いことだ。
むしろ羨ましいくらい。
いくらでも転べるし、いくらでも立ち上がれる。
だから思い切り走れるし、なによりも未来へ期待しかしないので生きてるだけで毎日ポジティブだ。

だけど、頑なに彼はそのことを嫌がる。
不思議だった。
舐められたくないのはわかる。
でも若さは否定することではなく、味方につけることだ。
でもまぁ、今ならなんか理解はできる。
若さに甘えたくないんだなとか、早く一人前に認められたくないんだなとか。
平成生まれなのに、昭和っぽいのな。
そういうところが、成長する種なのかなって思う。


だからたくさん肥料をあげたくなる。
本を読んでほしい。人とたくさん話してほしい。
人生は知っても知っても足りないことだらけなんだっていうことを知ってほしい。
真実に到達することは簡単ではなく、硬くなったら歩みが止まることを知ってほしい。
プライドと意地の正しい使い方を知ってほしい。
誰かがいつもそばにいることを知ってほしい。
「ほしいほしい」ばかりな私は、とても「主観的」で、彼にそんなことは関係ないのかもしれないけれど。
それでも、彼の真実に到達しようと繰り返し歩むことをしていこうと、彼が生きている姿を見るとそう思うんだ。

成長してほしいと望めば、私自身が成長することを要求される。
まったく、一番の先生かもしれないよ君は。

 
これも、「写真を通して関係を作る」っていうことなのかもしれないね。
 

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