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Project NEIGHBORS vol.1 :きみどりカフェ ②
投稿日:2017/11/11
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Tokotozawa Photo Project
"NEIGHBORS"
at Kimidori Cafe
Interview, Text and Photo by Satsuki Kudo, volvo, takumi
前回の続き。
"NEIGHBORS"
at Kimidori Cafe
Interview, Text and Photo by Satsuki Kudo, volvo, takumi
前回の続き。
親しい二人。
私自身、埼玉へ異動になったこともあり、時間も距離を離れてしまった二人には、知ることができそうでできない部分がある。
私は、きみどりカフェをオープンするということを聞いた時からの疑問を二人に思い切ってぶつけてみた。
「なぜりかちゃんとみさとは一緒にカフェをやろうと思ったの?」
他の誰でもなく、なぜこの二人でやろうと思ったのか私は純粋にそこが疑問だった。
皆が来れる場所にして、ライフの皆も、お客さんも、親しい人もみんな。
ただ一緒の場所を見つめてくれるみさとと一旦その基盤を作りたいって思っただけ。
オープンは夢の達成ではなくて、皆が来てくれる空間にしていくことが夢。
本当はまた皆と働けたらベストだと思っています。
みさとは思いに賛同してくれて一緒にやることになりました。
気付けば一緒にやってくれていて今があるって感じです。」
自覚してなかっただけかもしれないけれど。
だけど、篠原さんは自分の望みを気付かせてくれました。
そして同じ方向を向いてくれたのも篠原さんでした。
だから一緒にやっていると言えるのかもしれませんね。」
ただ、二人だけというわけではない。
本当は今まで携わってきた皆と一緒にいたい。
ライフスタジオから離れても、人生の中で本当の仲間でいたい。
そんな思いからきみどりカフェをオープンして、そしてこれからがスタートだという二人。
篠原:「愛美(越谷店の斎藤愛美さん)が、青葉を退職したことがきっかけだったかな。
たった一度の人生だからやりたいことをやりたいと言って出ていった彼女がかっこいいと思いました。
そんな彼女を見て、私も動かないといけないと思いました。」
動かないといけない。
人生というものは、動きながら何かを始めていくことに意義があるのかもしれない。
自分の意志を表すということは、何かを決断し動くことなのかもしれない。
ライフスタジオは人の動きの多いスタジオだ。
それが悪いというわけではない。
「人」が「人」として在るのは、いつだって自分の意志を表明することから始まるので、「人」として在ることを説くライフスタジオでは、自分の意志を表すようになるスタッフが自然と増える。
それは、寂しさとともに喜ばしいことなのかもしれない。
りかちゃんとみさともそんな人たちだ。
ライフという枠から離れるだけ。
そして何かを始めることで、彼女たちの人生は本当に動き出したのかもしれない。
篠原&大橋:「特にないかなぁ。意外ということもなかったし…(笑)。」
二人は言う。
「友達という感じでもないし、今以上深く知りたいと思うわけでもないし(笑)。何かを約束したり過干渉したいわけでもない。だから、ある程度距離がある状態でやっていますね。常に一緒にいたい仲のいい友達ってわけでもないし、友達とも言えないかもしれない。気が合ったからというわけでもないんです。
たまたまかな?(笑)
言葉にすると軽く思えますが、軽めの友人ですかね?(笑)」
工藤:「それは一言で言うと?」
「濃いめのお隣さん?あ、だからNEIGHBORSっていうプロジェクト名に最適なのかも、私たち。(笑)」
大橋:「いつだったか、飲み帰りにおんにと二人で行ったラーメン屋がおばあちゃんふたりでやっているお店だったんですね。
そのおばあちゃんたちが仲良さそうにお店をやっているわけではなくて、ただ隣にいて当然のようにラーメンを出している姿をみて、私たちもそうなるんじゃないかなって(笑)。」
篠原:「うん(笑)。あとは、ライフスタジオの皆の中から二人になって始まってきたものが、二人からみんなの輪ができたら理想的だと思います。」
その言葉にはっとする。
そう、りかちゃんは私がライフスタジオ横浜店に入社してから言っていることを今も考え、実践してきている。
当然であり自然にできる人と人とが繋がるということを、いつも私に示してくれるのはこの二人だ。
実際に、私はきみどりカフェにいて家に帰ってきたような不思議な安堵感に包まれる。
そんな空間を作りたいと言っていた彼女たちが自分たちを定義したのは「濃密なお隣さん」という言葉。
お隣さんだけど、一緒にいることが当然で一緒に創ることが当然で、それがなぜかなんてどうでもいいのかもしれない。
二人を見ていると、大袈裟ではないし仰々しい言葉で飾り立てたりはしない。
普通は、物々しい物言いをしてしまうものだし、それは自らの承認欲求を満たすためのものだ。
二人からは、そんな欲求をどうでもいいものだと思わせてくれる何かがある。
それは、二人の人生観から現れているものだし、それは思いのほかシンプルだ。
Project NEIGHBORSの第1回を終えて、私からこの二人の関係性について言えることは、
「人の中で生きることを自然にしている人たち。
善く生きるということを知っている人たち。
ただ隣にいて当たり前のように生きる。
そんな関係性。」
善く生きるということを知っている人たち。
ただ隣にいて当たり前のように生きる。
そんな関係性。」
羨ましくもあり、また帰ってきたいと思う人たちです。
私と出会ってくれて、心からありがとう。
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