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京都桂店
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P.O.P ~For unseen you: for ME~

投稿日:2017/10/31

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Tokotozawa Photo Project
P.O.P ~For unseen you: Satsuki Kudo~

Reply for Tokorozawa Members!!

 


 
いつもは企画してきた側のP.O.P。
ですが、今回は私が被写体と言うことで、かなり不安でした。
ようちゃんもヒロもきっと通った感情だったのだろうなと思いながらも、今回が着物だったのが余計にそう感じたのだと思います。
 
みんな記述してありますが、着物は私にとってはなかなかのトラウマです。
あまりの日本髪の似合わなさに絶望した7歳の七五三では写真館のトイレからプリズンブレイク並みの脱走劇を演じたり、成人式の写真は自分のあまりの写真写りの悪さに絶望し、もう二度と写真は見たくありません。
 
それは、ただ自分の容姿が好きではないという単純な理由ではないことは自覚しています。
7歳の七五三のときも、20歳の成人式の時も、何が嫌だったかと言えば、その写真館にいた人たちは七五三撮影・成人式撮影のベルトコンベアに私を乗せていたことです。
七五三のときは、私が写真館に着いた時には誰が選んだわけでもなく赤と黒の古典柄の着物が決められ、髪形も日本髪と決められていました。
当時はそれが当たり前だったのかもしれません。ですが、7歳の私はそこに我慢ができませんでした。
成人式の撮影の時も同じです。
着物は余りものの中からピンクと黄色の着物を選ぶしかなく、着付けの人も美容の人も私の顔を見ているわけでもなく、
カメラマンは煙草をくわえながら無表情でただ「笑って」と言うだけの人でした。
7歳の私も20歳の私もそこに嫌悪感を感じるあたり進歩がないのかもしれませんが、そこに共通した嫌悪感とは、「人の無関心さ」でした。
別に写真館の人たちは、「私の七五三」や「私の成人式」を撮っていたわけではないのです。
ただ、仕事で「いつもの七五三」や「いつもの成人式」を撮っていたに他ならなかったのです。
私はシーズンにたくさん来るお客様の一人でしかなく、別に被写体は私じゃなくても同じなのです。
それは、当たり前のことなのかもしれませんが、私にとっては人生で一度だけのものです。
たぶん、そういった「無関心さ」に昔から敏感なのだと思います。
 
さて、私の過去の話はそのくらいにして、今回のP.O.Pの話をしようと思います。
今回の主題は「存在」です。
 
「存在」には、一人の人間をよくよく見てみるとたくさんの面があります。
まず、自分自身で自覚している「存在」
家族から見た「存在」
幼馴染から見た「存在」
現在の友人から見た「存在」
恋人から見た「存在」
そして、同僚から見た「存在」
その「存在」の数を見れば見るほど、その人の「存在」に近づいていきます。
しかし、見ようとしなければその人の「存在」はただそこに在るだけの「存在者」に過ぎず、
それは「無関心さ」を生みます。

 
誰かの「存在」を見たときに、数多にある「存在」をすべて見るのは不可能です。
それは自分自身でもわかりえないものです。
 
今回のP.O.Pはまさに私の「存在」について、所沢店のメンバーが撮影をしてくれました。
まず、みんなには私の不安を打ち明けました。
被写体が私で本当に大丈夫なのか。そして、着物撮影にはかなり苦い思い出があるということ。
もちろん、そんなこと気にしているのは私だけなのですが…(笑)。
 
当日、まず最初に前に出てコーディネートしてくれたのはようちゃんでした。
私自身の好みというよりは、私に本当に似合うものをコーディネートしようとしてくれました。
なので、私が普段あまり選ばないからし色の着物を選んでくれました。何がびっくりしたって、ようちゃんがぐいぐいとリードしてくれたことですかね笑。
その熱心さのおかけで、自分が予想していたよりもかなり似合っていました。
ようちゃんは写真でも私の角度を探して、撮影をしてくれました。
同じ女性で、彼女もブライダルにいたこともあるので、大人を撮ること、そして人を撮るということの重要性をよく理解していたと思います。
 
そして、ヒロ
彼は彼が新人の頃から長く一緒の店舗にいますが、最近は慣れもあるのかマンツーマンで話すことはあまりなかったのですが、
撮影になるとずっと「可愛い」を連呼していました(笑)。
自分もカメラマンなので、普段彼の撮影する姿を被写体として見ることはないのですが、彼もまた私の「存在」を彼なりに規定をして熱心に撮ることが伺えました。
彼の特徴としては、人の「良いところ」しか見ないことだと思います。
だから、写真でもその人の「いいところ」を見つけ、そこに盲目的に集中する。それは人を美しく撮るカメラマンには非常に重要なことです。
被写体になって、たくさん褒められて、私という「存在」を善いものであると規定しながらシャッターを切る彼の姿を見て成長したなと感じました。
何よりも被写体へ熱心に向かう姿は素直に嬉しかったです。
 
たくみはロケハンを入念におこなってました。
そして、着物を着た私に合う場所を決めてくれ、何よりも少し疲れてきた私のことをよく気遣ってくれていました。
ラムネをごちそうになりながら、不器用ながらもまっすぐに人へ向かう優しい彼の姿勢を客観的に見ることができました。
素直に彼の撮影は、楽しかったです(笑)。
彼の写真を見たときに、露出や構図、着物と京都の町の雰囲気を丁寧に捉えていたので、誠実だなと感じました。
彼は、普段の撮影もそうですが被写体を笑わせようとします。それは、私に対しても同じでした。
撮影中の空気を和やかにすることが、被写体の良さを開放する第一歩。その基礎をちゃんと踏んでいるのだなと被写体になって感心していました。
 
うちのラスボス。Volvoさん
Volvoさんは、私のことを良くも悪くも知っている人です。喧嘩もすれば爆笑もします。
なので、私の「存在」の数多くある面をライフスタジオでは一番知っている人かもしれません。
彼の撮影もみんなと同じように一生懸命なのですが、何が違うかと言えば、表現を私専用にしてくれるところです。
オーソドックスでも、ちゃんと根拠があります。ベーシックでもちゃんと私に合わせてくれます。
奇を衒うことはしませんが、それに頼らないスタイルであると言えます。結果、普通だけど普通じゃない「私専用の写真」ができあがります。
それには、私の「存在」に深く入り、私だけの美しさを見つけてくれる。
だから、彼の撮影は魅力的なのです。私の不安や弱さも知っている人なので、いろいろ言葉なきメッセージを彼の撮影から感じ取れました。
「大丈夫、あなたの存在は確かにここに在る」と言ってもらえたような感じでした。
 
私の「存在」へ向かって、熱心に、一生懸命に、素直に、誠実に撮影をしてくれた所沢メンバーには本当に感謝しています。
そして、写真人文学が浸透していることもじわじわ嬉しかったです…。感無量…。
 
おかげさまで、着物撮影に対する私の結論は、
「ライフスタジオの人ならば、所沢メンバーならば、着物撮影welcomeです!」
と変化しました。
 
そして、「ここにいる」という私の「存在」を写真で美しく証明してくれたこと。
写真とは、「存在」を追い求め、ひとつの「真理」として規定するものだということを改めて実感しました。
「いる」という事実から、「在る」という真実へ、深く入っていくこと。
それは他者の「存在」への規定とアプローチを必要とするので、私が大嫌いな「無関心さ」がない過程なのですね。
それが、「関係性」を作るということ。
「写真を通して関係を作る。」良い内部文化ですね、やっぱり。

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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