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P.O.P ~JIVE!! with your Studium and Punctum.~ HIRO
投稿日:2017/8/27
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TOKOROZAWA Photo Project
P.O.P
Prove Our Photophilosophy
Photo & Write by Satsuki Kudo
彼はいったい何を追い求め、何を越えようとしているのか?
1年以上も彼と働いている。
越谷店で、所沢店で、ここ最近で一番長く一緒に働いているのは、彼だ。
思えば昨年の8月に、一番多く撮影に入ったのは彼とだし。
哲学講義のプロジェクトや写真人文学にも、彼を巻き込み続けている。
そんな彼と共有する時間は長いものの、彼が見ている景色を知っているようで知らないような。
浅いようで、深いような。
いることが当たり前のような、そんな関係性だった。
とは言え、彼にはこの一年たくさん助けてもらっていた。
発想はできても、発信する技術が無い私には、この一年間で彼に助けてもらったことは数多くある。
TED、動画、哲学講義の発表、HP関連のデザインや、配布物と展示物の製作、そして写真。
所沢店がよりよく見えるなら、それはきっと彼のおかげだろう。
そう、彼にはセンスと経験による表現の技術がある。
よく彼は自分自身を器用貧乏と呼んでいるが、私から見たら彼は物事のコツを掴むのが上手いのだ。
言い換えれば、多角的に、総合的に、物事を把握する能力に長けている。
だから、多才に見える。
そう、彼にはセンスと経験による表現の技術がある。
よく彼は自分自身を器用貧乏と呼んでいるが、私から見たら彼は物事のコツを掴むのが上手いのだ。
言い換えれば、多角的に、総合的に、物事を把握する能力に長けている。
だから、多才に見える。
そしてライフスタジオ。
これほどクリエイティブな経歴を持つ彼が、なぜ今写真を選んだのか?
彼から見る写真とは、何なのか?
そして、クリエイティブな仕事を転々とした彼が求めているのは何なのか?
それには、彼のストゥディウムの意味を知る必要があるみたいだ。
ストゥディウムとは、いわば構成要素。
彼を構成する1つの要素である写真の側面から、彼の中のプンクトゥム即ち血の通った情熱を見てみよう。
正直、一年以上の付き合いがありながら、私には彼のストゥディウムしか見えていなかった。
いや、正確には見ようとしてこなかったのかもしれない。
彼を深く見ようとしても、それ以上先があるのか無いのかわからない不思議な感覚に捉われてしまい、掴めそうで掴み所が無いように感じてしまうからだ。
そんな雲のような存在の彼に関するストゥディウムは思いのほかたくさんある。
。
サッカー、ベース、動画、デザイン、旅、写真、etc…
彼は言う。
「自分は、その分野そのものがとびきり好きと言うよりは、誰かと一緒にやるのが好きなんです。」
と。
例えば、ベースギターもベースを極めたいわけではなくて、バンドを誰かとやりたいから始めたと言っていた。
まぁ、そのモチベーションでここまでできるようになるには努力と情熱が必要だか、きっと彼にはそれが苦とも思わないのだろう。
写真についてはどうか?
彼の返答は、写真は好きです。ということだった。
ライフスタジオに入社前にヨーロッパを旅行した彼は、重くて大きい中盤フィルムカメラと6Dを持って行ったという。
バックパッカー並みの旅で、そんな大荷物を持っていく情熱には驚く。
ヨーロッパに行くからには、異国情緒溢れるロケーションを撮りたいという気持ちは痛いほどわかる。
しかし、高価なカメラを2つも持ち(しかも重量もあるものを)、バックパッカーみたいな旅に持っていくのは危険極まりない。
それだけ良い写真を撮りたいのかと、私は当初は感心したものだ。
そんな彼に、写真はほかの分野とは違う性質を持っているのか聞いた。
「まだわかりません。」
と彼は答えた。
少し寂しい気持ちと共に、本当にそうなのか少し疑ってみた。
私は彼の姿を毎日見ている。
写真に真剣に取り組み、何かを得ようとする姿を。
彼の写真分析は非常に、システマチックでメカニズム的な視点から始まる。
しかし、そこから何か深く入ろうとしている姿も見受けられる。
そこにはどんな意味があるのだろうか?
彼は、なぜそんなに様々な分野に挑戦するのか。
誰かと一緒に何かを共有したい。
自分自身の世界観を誰かに伝えたい。
私にはそんな風に見える。
そしてそれは、写真においても同じなのかもしれない。
少なくとも、私にとって写真とは自分と他者をつなぐツールであるので、共感できることではある。
でも、なぜだろう。
彼が超えたいのは、そこじゃない気がするのだ。
おそらく。
きっと限りない「おそらく」だろうけど、
彼は、誰かと自分を接続し共有するためのツールとしてだけではなく、
そんなことは気にしないほど、自分自身と一致する「何か」を探しているのだと、そのように見える。
「何か」は心を揺さぶるほどの情熱と、命を懸けるくらい一生懸命になれる強さを含むもの。
きっとそれを、「プンクトゥム」と呼ぶのだと思った。
その「プンクトゥム」を、彼は写真なら得られるかもしれないことをなんとなく感じているのかもしれない。
彼自身の「プンクトゥム」を探し生み出すのが、彼の人生の旅。
「プンクトゥム」を生み出すには、まずは自分の可能性でもあるストゥディウムを知ること。
きっと、彼はそれを繰り返している。
写真は、デザインや動画に比べたら制限の多い分野だ。
もともと存在するものを被写体として、主題として、画になる写真は、自分ではどうにもできない領域がどうしてもある。
それでもあきらめずに自らの世界観を表現しようと挑戦し続ける人だけが、写真という分野の中で自由を得ることができる。
彼の日々の姿勢を見ていると、写真で自由になろうとしているような気がしてならない。
撮影者の視点が、そのまま写真になり、
撮影者の認識の深さが、写真の深さになる。
撮影者の意志が、写真の味になる。
それだけに、奥が深く、さらに撮影者の内面に在る「プンクトゥム」にかかっている。
そんな彼の姿を見つめていると、写真という分野が、彼の人生の「プンクトゥム」を生み出す要素になることを願ってしまうのは私が写真によって人生を変えられた一人だからか…。
こうして文章を書いてみると、彼ほど「ストゥディウム」と「プンクトゥム」という主題に合っている人もいないのかもしれないと、少し笑ってしまう。
彼はわかりやすいほど「ストゥディウム」的であり、「プンクトゥム」を探している。
今、彼が真剣に見つめている写真だからこそ、私たちはこうして結び付くことができるのかもしれない。
そういつだって。
「写真を通して関係を作る。」
そのことに尽きる。
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