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P.O.P 〜RE:constitute your AURA〜 Yoko Moriya ”AFTER"
投稿日:2017/7/16
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TOKOROZAWA 写真プロジェクト
P.O.P
〜Prove Our Photophilosophy〜
write by Satsuki Kudo
P.O.P
〜Prove Our Photophilosophy〜
write by Satsuki Kudo
気付けば、いつの間にか夏の日差し。
彼女に会ったのは、確かとても寒かったはず。
寒さの中で、深く固まった氷のようなものを心の中に感じていたのに、
あれ、いつの間にかそれが溶けている。
水の流れをせき止めていた氷が解けて、前にも増してすらすらと流れるように
言葉を紡ぐ彼女の声の中には雪解け水みたいに澄み渡るように晴れやかな音が響く。
彼女に会ったのは、確かとても寒かったはず。
寒さの中で、深く固まった氷のようなものを心の中に感じていたのに、
あれ、いつの間にかそれが溶けている。
水の流れをせき止めていた氷が解けて、前にも増してすらすらと流れるように
言葉を紡ぐ彼女の声の中には雪解け水みたいに澄み渡るように晴れやかな音が響く。
P.O.P第1回目を終えた日から、彼女の何かが変わった。
何が変わったのか。
話す言葉や内容は少なくとも前とほとんど変わってはいない。
だけど私が彼女のことを変わったと思うのは、
彼女から出る雰囲気がこちらにもたれ掛かるような感じになったということだ。
以前と同じタイミングで笑い、笑顔も同じだ。
しかし、合間に感じる寂しそうで距離感のある表情をしなくなった。
きゅっと口を結んだり、眉間に少し皺をよせ、乾いたような視線を
ほとんどと言っていいほど見ることが無くなった。
彼女を撮影している中で、印象的なのは彼女のポージングのうまさ。
被写体として撮られ慣れている彼女は当然のことのように、言われた要求を叶えてくれる。
そんな撮影の中で、私が撮りたかったのは私のイメージしていた氷のような盾を纏った彼女と、
撮影していく過程で発見する彼女。
会話をしながら撮影が進むと、彼女のぎこちなさは薄れていく。
撮影を楽しんでくれているのと、写真がどんな風に撮られているのかをワクワクしながら
被写体になってくれているのが分かる。
日頃から彼女の写真が好きという言葉の真を表す様子で、
そこが第一の彼女に入るためのポイントだった。
撮影していく途中のどこかで人懐っこい犬に出会った。
その犬をなでる彼女の表情は、穏やかで店舗ではあまり見たことのないくしゃっとした笑顔だった。
「ああ、それか。」
常々、彼女は動物が好きで(特に猫が好き→私も)ペット撮影に積極的に入ってくれていたのだが、
何も飾らず気を張らず笑う彼女が新鮮だった。
今までにない柔らかさと“自然さ”を感じた。
私は、写真分析やフォトジェニックで一度、“自然さ”についてこう定義したことがある。
「人が在るべき自然な姿とは「人」に作用し作用される姿である」
この場合は犬であるが、自分が何かに触れ作用し作用される中で自分の自然な姿は出てくる。
それは、その対象が何者であるか何であるかを知ったうえで、だ。
この時の撮影の様子を言葉にするなら、私はとても変な人だと思う。
厳密にいうなら、写真を撮っている時の私のテンションはだいたい変だ。
写真を撮るのは楽しいし、興奮する。
だから、「泣きそうな顔をして」とか「その窓を氷みたいに冷たいと思って触って」とか。
変な指示を出しながら撮影していた。
その写真が撮れるたび、私は変な笑みを浮かべていたのだろう。
彼女が楽しそうだった。私が巣を出したからだろうか。(笑)
そこに、愛くるしく人懐っこい犬。
そこで、とうとう私は彼女のピンと張った糸を突破できたような気がしたのだ。
(気のせいだったらごめんね笑)
何かを彼女の隠そうとしていた彼女は、あの日から何も隠そうとしなくなった。
むしろ堂々と、自分を出そうとしている。
趣味の話もよくする。その話をすることが自然であるかのように。
アニソンカラオケ行きたいとか。
長瀞でかき氷食べましょうとか。
自分を出すことを恐れなくなっているような気がした。
それが、彼女の本当の主題であることがわかった。
自分の自信の無さ、自分を出すことに何か恐れがあったりすると、淀む空気。
それは誰にでもある。彼女はそれが如実でわかりやすかった。
ただそれだけのことなのだが、彼女の意識の中ではそれが大きな壁なのだと思った。
それが、ここ所沢店では最近感じない。
まるで、我が家の勝手知ったる猫のように。
そんな印象を受けた。
それはとても嬉しい。
私は彼女(だけじゃないけど)には、ここが、所沢店が、家のように感じてほしいと願っている。
気を許せる仲間がいて。
善いことも、うまくいかないことも、話せる場所。
仲間がいて頼れる場所。
自分が誰かと一緒に、自分以上の実力を発揮できる場所。
自分が誰かの人生に関われる場所。
本気で、人間として生きることができる場所。
そんな風に、感じてもらいたいと願っている。
あれから、ようちゃんはアイスをよく買ってくれる。
この暑い時期にとても嬉しいと思うが、ようちゃんは暑いとお昼過ぎくらいにお腹がすいてアイスが食べたくなるそうだ。
今まで、自分と他人をわけていたように見えた彼女は、
自分のそういう楽しみを仲間と一緒に分かち合うようになったと感じる。
また時にはコーラ買ってきてほしいとか、仲間に甘えたりとか。
最近は、彼女が兄弟の中にいる妹のように見えてくる。
そのアウラを壊すことが写真の味なのだという。
このアウラを壊すということは、言い換えれば固定概念を壊すということだ。
撮影者にとってアウラを壊す作業は、被写体の纏うアウラを再考することから始まる。
「第一印象や周りから聞くこの人はこうであるが、本当にそうか?」
固定概念を壊すとは、その人に私自身が感じる壁を壊すこと。
いつも見ているその人、もうできあがってしまったイメージ。
私と彼女の間に在る氷のような壁。
これを溶かすには、開放的な屋外、そして撮影者と被写体として語り合うこと。
その中で、新たに発見する彼女の要素を取り入れ、彼女自身のイメージを再構築する。
そういった空間で人は打ち解け関係性が始まるのを私は普段の撮影で常々実感していたはずなのに。
一番身近な彼女を撮ることでさらに痛感する。
撮影をするという行為の本質は関係づくりであると。
そして今回得られたのは、彼女が「素」でいられる関係と空間づくり。
そのことが最近の所沢店の、よい風通しを作っているような気がする。
ようちゃんは、相変わらず空気を読む。
しかし、近頃は無理にポジティブなことばかりではなく、
やめてほしいことやつい言わずにはおられないようなことも言ってくれる。
ようちゃんの意思が伝わるような日が続く。
価値観や人へ向ける眼差しも見えてきている。
「私はここを大切していて、こういうような職場にしたくて、
こういう関係になりたい」という声が聞こえてくるようだ。
正直、このような変化をしている彼女を尊敬している。
そして気付く。凝り固まっているのは私自身なのだと。
彼女はP.O.Pを通して私に大切なものを思い出させてくれた。
これから、どのような関係を彼女と築いていけるだろう。
少なくとも、ぎこちなさはもうない。
お互いに一緒にいることが自然な関係になっていけるように、これからもよろしく。
被写体になって私と向き合ってくれて、心からありがとう。
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