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写真 × 人文学 = ???
投稿日:2017/5/18
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人文学ってなんでしょうか?
簡単に言えば、人間が作ってきた文化の意味をその根本から立ち返りながら追求する学問のことです。その学問へ取り組み姿勢は、「人間とは何か?」「人間はどのようにして歴史を形成し、なぜこのような文化になったのか?」という疑問と驚き、そして好奇心がもとになっています。
好奇心を礎にしているので、実用性に乏しくちょっとばかり高尚な趣味程度にしか認識されない人文学ですが、私はそう思えません。なぜならば、その「人間と何か?」という問いや、「なぜこのようになったのか?」を紐解くことは、人間という驚くべき存在に感動することだけでなく、これからの文化の創出や新たな問いの創出をすることができると私は考えます。そのことは、未来を創ることにほかなりません。人文学には、そんな意味があると私は思うのです。
写真人文学という学問は、写真の技術的なことや物質的なことを学ぶことではありません。実際に撮影をするときに構図はこうだとか、光の使い方はどうだとか、レンズはこうで、絞りやシャッタースピードはこうだ、という解決をすることを目的とした科学的な問いは範疇ではありません。
では、何を学ぶのかというと、写真の歴史を学び、人が写真に何を見出し、写真という形式にどんな意味を与え、写真から人間ならではの文化を付与し、いかにして写真を現在の地位まで引き上げたのかを学びます。そこから導き出されるのは、私たちライフスタジオの写真とはどう在るべきなのかということだと考えています。
写真とは、人が撮るものです。それは、ロボットがスピード違反車を撮影する写真では見出すことのできない味わいがあり、人が撮る写真には必ず意図があります。意図があるものは意志があるもの。意志があるものには、人が形成しているがゆえに文化を創出するものになります。
シャッターを切る。
こんなシンプルで簡単な行為の中には、人の意志が宿ります。写真という現実的で、手の届く形式だからこそ、人の意志が宿ったものには体温を感じ、言いも言われえぬ不思議な感動を呼び覚まします。写真から見えるのは、撮影者が被写体から何を感じ、被写体をどのように見て、どのような形式を選んだのかということ。
そう、写真人文学で学ぶのは、結局人文学の基礎である「人間とは何か?」なのかもしれません。写真という一つのツールのすべての基準が人に在るということは、私たちがいるライフスタジオの理念と酷似しています。ライフスタジオで写真を撮るということは、すべての基準を人に置いた撮影・写真・関係づくりの実践だとして、そのためには単なる技術の向上や知識の蓄積ではなく、こういった哲学だったり人文学だったりを実践することが主要なことだったりします。今までの私たちは、その実践をどうしていいのかわかりませんでした。知識だけを蓄積し、日常と哲学を分離しているためです。しかし、哲学そして人文学は現実からしか派生しないものです。だから、日常に密接した思考をし、人文学で学んだことを実際に自分自身で思考し、実践していくために私たちは一緒に考え歩んでいきます。
小難しいという人もいるかもしれません。頭でっかちと皮肉も言われるでしょう。しかし、それが真実かどうかは、私たちが実際に撮った写真が証明してくれることでしょう。ライフスタジオの文化を、未来を、写真で創出していくための試み。よろしければお付き合いいただければと思います。
簡単に言えば、人間が作ってきた文化の意味をその根本から立ち返りながら追求する学問のことです。その学問へ取り組み姿勢は、「人間とは何か?」「人間はどのようにして歴史を形成し、なぜこのような文化になったのか?」という疑問と驚き、そして好奇心がもとになっています。
好奇心を礎にしているので、実用性に乏しくちょっとばかり高尚な趣味程度にしか認識されない人文学ですが、私はそう思えません。なぜならば、その「人間と何か?」という問いや、「なぜこのようになったのか?」を紐解くことは、人間という驚くべき存在に感動することだけでなく、これからの文化の創出や新たな問いの創出をすることができると私は考えます。そのことは、未来を創ることにほかなりません。人文学には、そんな意味があると私は思うのです。
写真人文学という学問は、写真の技術的なことや物質的なことを学ぶことではありません。実際に撮影をするときに構図はこうだとか、光の使い方はどうだとか、レンズはこうで、絞りやシャッタースピードはこうだ、という解決をすることを目的とした科学的な問いは範疇ではありません。
では、何を学ぶのかというと、写真の歴史を学び、人が写真に何を見出し、写真という形式にどんな意味を与え、写真から人間ならではの文化を付与し、いかにして写真を現在の地位まで引き上げたのかを学びます。そこから導き出されるのは、私たちライフスタジオの写真とはどう在るべきなのかということだと考えています。
写真とは、人が撮るものです。それは、ロボットがスピード違反車を撮影する写真では見出すことのできない味わいがあり、人が撮る写真には必ず意図があります。意図があるものは意志があるもの。意志があるものには、人が形成しているがゆえに文化を創出するものになります。
シャッターを切る。
こんなシンプルで簡単な行為の中には、人の意志が宿ります。写真という現実的で、手の届く形式だからこそ、人の意志が宿ったものには体温を感じ、言いも言われえぬ不思議な感動を呼び覚まします。写真から見えるのは、撮影者が被写体から何を感じ、被写体をどのように見て、どのような形式を選んだのかということ。
そう、写真人文学で学ぶのは、結局人文学の基礎である「人間とは何か?」なのかもしれません。写真という一つのツールのすべての基準が人に在るということは、私たちがいるライフスタジオの理念と酷似しています。ライフスタジオで写真を撮るということは、すべての基準を人に置いた撮影・写真・関係づくりの実践だとして、そのためには単なる技術の向上や知識の蓄積ではなく、こういった哲学だったり人文学だったりを実践することが主要なことだったりします。今までの私たちは、その実践をどうしていいのかわかりませんでした。知識だけを蓄積し、日常と哲学を分離しているためです。しかし、哲学そして人文学は現実からしか派生しないものです。だから、日常に密接した思考をし、人文学で学んだことを実際に自分自身で思考し、実践していくために私たちは一緒に考え歩んでいきます。
小難しいという人もいるかもしれません。頭でっかちと皮肉も言われるでしょう。しかし、それが真実かどうかは、私たちが実際に撮った写真が証明してくれることでしょう。ライフスタジオの文化を、未来を、写真で創出していくための試み。よろしければお付き合いいただければと思います。
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