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京都桂店
scrollable
"Scintillator"
投稿日:2017/1/31
1483 2
"Scintillator"
Photo by Satsuki Kudo
Coordinate by Takumi Yoshizawa
よくよく見よう。
ちょっとの変化も見逃さないように。
いつもそこにいても、いつもと同じことなんて何一つないのだから。
いつも同じ時間に起きて、同じ時間に電車に乗っても、いつもと同じ日なんて一日だってないのだから。
朝、
所沢店に入り、今は何にも無くなった柿の木を大きな窓から見て、
リビングを抜けて決まって目にするようにしているのは、砂利と木のステップの道が続くバルコニー。
バルコニーの様子で、その日のスタジオの機嫌が伺えるようで、決まってそこを目にするのだ。
何を見るのかというと、真っ先に目に入る赤いミニクーパーでもなく、ただ陽の光を見ている。
朝の陽の、キラキラとした光を。
その光によって、庭の木々も、赤いミニクーパーでさえも、なんだか笑っているように見える。
だから、バルコニーの様子でその日のスタジオの機嫌を象徴されるような錯覚に陥るのかもしれない。
冬の陽。
遠く、白く、優しく丸みを帯びた光。
外は寒いけれど、光だけは女性的な温かみのある体温を感じる。
その下にいる人を、柔らかく抱きしめるような光。
慈愛に満ちたような光。
その人の全てを愛し、認め、許すような光。
季節によって光が違う。
それは、私が幼い頃から屋外にいることが多かったから、なおさら敏感になるのかもしれない。
写真を始めてから、寒い日に食べるシチューみたいな冬の優しい陽の光が好きになった。
その光をよくよく見てみる。
毎朝、よくよく見てる。
ああ、今日の陽はきらきら笑っているな、とか、
今日の陽は、少し困り顔、とか。
陽の光をまるで生き物のように、毎朝見るのがとても好きだ。
いつも見ている光。
だけど、いつも初めて見るように新鮮に見えるのは、毎日毎日ご機嫌を伺うようにバルコニーを見ているからなのか。
だからか、今日の陽は、ことさら眩く見えた。
冬にしては温かみのある日に感じた。
それは、陽の光のせいか、それともきゃっきゃと笑い声を出しながらはしゃぎ回るあなたのせいか。
天真爛漫で、くるくると表情を変えながら、私とたくみの2人の反応を見ながら、その度に悪戯っぽく走り回る。
まるで、困ったように笑う私たちの表情をもっと見たいかのようだった。
とても眩く見えた。
その笑顔が、その動きが、自由で何にも縛られることもなく、私たちに触れにきては、離れていく。
寄せては返す揺らめく波間のように見えた。
外に出たいとせがまれ、冬の陽がキラキラと輝くバルコニーへ足を運ぶ。
室内から既に黒いエナメルの靴を履いて、バルコニーへ行くガラス窓を開けたら一目散に飛び出していったあなたを、
私たちは少し困りながら追いかける。
ハッとした。
きゃっきゃとはしゃぐあなたの笑顔を、自由に走るあなたの動きを、あなたの存在そのものを包み込むような冬の陽は、
あなたの美しさを増幅させた。
寄せては返す揺らめく波間は、朝の陽の光を浴びて、煌めく海面に見えた。
白金色に光を纏い、バルコニーではしゃぐあなたは、まるで前からここにいるように、
あたかも当たり前のようにそこにいた。
自然にそのバルコニーに溶け込み、あなたが美しいということがさも当然かのように、私たちに見せつけていたようだった。
黄土色の優しいステップも、アイボリーのベッドも、少しくすんだ緑も、いちごみたいに赤いミニクーパーも、その世界観が、冬の陽とあなたの存在があることで、ぴったりはまる。
その世界観を表現したいがために、一瞬だけどよくよくバルコニーを見てみる。
いつも見ている場所を、一度バラバラに分解してそのひとつひとつに意味と役割を与える。
白金色の冬の陽は優しく彼女を見つめる母親のようなもの。
それを、目に見えるようにリンクさせるのはベッドのアイボリー。
車の赤は、彼女の活発な内面をほのめかすように。
プレートの青は、ワクワクするような意味合いを。
それらを彼女を引き立たせるために組み立てるには、望遠レンズを使い、ぼかしながら存在を大きく見せること。
こうして、頭の中で世界を作ってゆく。
そして、彼女だ。
彼女のタイツとリンクするような黒のハット、何か秘密の楽しいことを探すような意図が見えるランタンを持ってもらい、
ベッドの上で寝っ転がってもらう。
「良いお天気だから、お昼寝しちゃおぅか。」
なんて、私の言うことに乗ってくれつつも、
「やーだよ!」
と、たくみと話しながら動く。
美しいと思った。
その瞬間、左奥から昇る陽の優しい逆光と、ベッドから反射した煽られた光に挟まれ、彼女の動く髪が、キラキラと輝く。
表情は右上を見て、何かを追っているようだ。
ハイキーさは生き生きとした生命力を表すために、敢えて光を跳ねさせる。
その一瞬で、バラバラに分解した世界を、再び組み立てるように私はシャッターを切る。
それでこの一枚に、彼女の存在と、彼女だけの世界を表現する。
彼女が天真爛漫で、少し悪戯っぽいのも、お母さんから揺るぎない愛情を注いでもらっているからだろう。
彼女が、生き生きとしているのは、目の前に広がる世界にワクワクしているからだろう。
だから、冬のおおらかで優しい陽の光と、色が生きる世界が融合するこのバルコニーが、
彼女のイメージと合っていたのかもしれない。
まぁ、せがまれて外に出たのに、「さむーい。」なんて言われてしまったけど。
私は写真を撮る。
それは、一期一会で、同じものは二度とは生まれない。
写真を撮るということは、彼女を表現するということ。
写真を撮るということは、彼女の世界を私の目を通して作ること。
だから、一期一会。
そのために、身近なことから、些細なことから、気付き、拾い、人に感動し、
毎日に感動することから始めようといつも心がける。
それは、いつも見ていることを新鮮に見つめること。
固定概念の眼鏡を作ると便利で効率的だけど、
その眼鏡だと、疲れないけど自分の目で見れないでしょう。
その眼鏡だと、人の心がこんなにも色づいていることに気が付かないでしょう。
その眼鏡を外すと、意外なほど全てが色めいて見えるんだ。
ちょっと大変な時もあるけどね。
だから、私は毎日スタジオのひとつひとつのご機嫌を伺う。
毎日、たくさんの出会いの感動を、本人に伝えたいから。
Photo by Satsuki Kudo
Coordinate by Takumi Yoshizawa
よくよく見よう。
ちょっとの変化も見逃さないように。
いつもそこにいても、いつもと同じことなんて何一つないのだから。
いつも同じ時間に起きて、同じ時間に電車に乗っても、いつもと同じ日なんて一日だってないのだから。
朝、
所沢店に入り、今は何にも無くなった柿の木を大きな窓から見て、
リビングを抜けて決まって目にするようにしているのは、砂利と木のステップの道が続くバルコニー。
バルコニーの様子で、その日のスタジオの機嫌が伺えるようで、決まってそこを目にするのだ。
何を見るのかというと、真っ先に目に入る赤いミニクーパーでもなく、ただ陽の光を見ている。
朝の陽の、キラキラとした光を。
その光によって、庭の木々も、赤いミニクーパーでさえも、なんだか笑っているように見える。
だから、バルコニーの様子でその日のスタジオの機嫌を象徴されるような錯覚に陥るのかもしれない。
冬の陽。
遠く、白く、優しく丸みを帯びた光。
外は寒いけれど、光だけは女性的な温かみのある体温を感じる。
その下にいる人を、柔らかく抱きしめるような光。
慈愛に満ちたような光。
その人の全てを愛し、認め、許すような光。
季節によって光が違う。
それは、私が幼い頃から屋外にいることが多かったから、なおさら敏感になるのかもしれない。
写真を始めてから、寒い日に食べるシチューみたいな冬の優しい陽の光が好きになった。
その光をよくよく見てみる。
毎朝、よくよく見てる。
ああ、今日の陽はきらきら笑っているな、とか、
今日の陽は、少し困り顔、とか。
陽の光をまるで生き物のように、毎朝見るのがとても好きだ。
いつも見ている光。
だけど、いつも初めて見るように新鮮に見えるのは、毎日毎日ご機嫌を伺うようにバルコニーを見ているからなのか。
だからか、今日の陽は、ことさら眩く見えた。
冬にしては温かみのある日に感じた。
それは、陽の光のせいか、それともきゃっきゃと笑い声を出しながらはしゃぎ回るあなたのせいか。
天真爛漫で、くるくると表情を変えながら、私とたくみの2人の反応を見ながら、その度に悪戯っぽく走り回る。
まるで、困ったように笑う私たちの表情をもっと見たいかのようだった。
とても眩く見えた。
その笑顔が、その動きが、自由で何にも縛られることもなく、私たちに触れにきては、離れていく。
寄せては返す揺らめく波間のように見えた。
外に出たいとせがまれ、冬の陽がキラキラと輝くバルコニーへ足を運ぶ。
室内から既に黒いエナメルの靴を履いて、バルコニーへ行くガラス窓を開けたら一目散に飛び出していったあなたを、
私たちは少し困りながら追いかける。
ハッとした。
きゃっきゃとはしゃぐあなたの笑顔を、自由に走るあなたの動きを、あなたの存在そのものを包み込むような冬の陽は、
あなたの美しさを増幅させた。
寄せては返す揺らめく波間は、朝の陽の光を浴びて、煌めく海面に見えた。
白金色に光を纏い、バルコニーではしゃぐあなたは、まるで前からここにいるように、
あたかも当たり前のようにそこにいた。
自然にそのバルコニーに溶け込み、あなたが美しいということがさも当然かのように、私たちに見せつけていたようだった。
黄土色の優しいステップも、アイボリーのベッドも、少しくすんだ緑も、いちごみたいに赤いミニクーパーも、その世界観が、冬の陽とあなたの存在があることで、ぴったりはまる。
その世界観を表現したいがために、一瞬だけどよくよくバルコニーを見てみる。
いつも見ている場所を、一度バラバラに分解してそのひとつひとつに意味と役割を与える。
白金色の冬の陽は優しく彼女を見つめる母親のようなもの。
それを、目に見えるようにリンクさせるのはベッドのアイボリー。
車の赤は、彼女の活発な内面をほのめかすように。
プレートの青は、ワクワクするような意味合いを。
それらを彼女を引き立たせるために組み立てるには、望遠レンズを使い、ぼかしながら存在を大きく見せること。
こうして、頭の中で世界を作ってゆく。
そして、彼女だ。
彼女のタイツとリンクするような黒のハット、何か秘密の楽しいことを探すような意図が見えるランタンを持ってもらい、
ベッドの上で寝っ転がってもらう。
「良いお天気だから、お昼寝しちゃおぅか。」
なんて、私の言うことに乗ってくれつつも、
「やーだよ!」
と、たくみと話しながら動く。
美しいと思った。
その瞬間、左奥から昇る陽の優しい逆光と、ベッドから反射した煽られた光に挟まれ、彼女の動く髪が、キラキラと輝く。
表情は右上を見て、何かを追っているようだ。
ハイキーさは生き生きとした生命力を表すために、敢えて光を跳ねさせる。
その一瞬で、バラバラに分解した世界を、再び組み立てるように私はシャッターを切る。
それでこの一枚に、彼女の存在と、彼女だけの世界を表現する。
彼女が天真爛漫で、少し悪戯っぽいのも、お母さんから揺るぎない愛情を注いでもらっているからだろう。
彼女が、生き生きとしているのは、目の前に広がる世界にワクワクしているからだろう。
だから、冬のおおらかで優しい陽の光と、色が生きる世界が融合するこのバルコニーが、
彼女のイメージと合っていたのかもしれない。
まぁ、せがまれて外に出たのに、「さむーい。」なんて言われてしまったけど。
私は写真を撮る。
それは、一期一会で、同じものは二度とは生まれない。
写真を撮るということは、彼女を表現するということ。
写真を撮るということは、彼女の世界を私の目を通して作ること。
だから、一期一会。
そのために、身近なことから、些細なことから、気付き、拾い、人に感動し、
毎日に感動することから始めようといつも心がける。
それは、いつも見ていることを新鮮に見つめること。
固定概念の眼鏡を作ると便利で効率的だけど、
その眼鏡だと、疲れないけど自分の目で見れないでしょう。
その眼鏡だと、人の心がこんなにも色づいていることに気が付かないでしょう。
その眼鏡を外すと、意外なほど全てが色めいて見えるんだ。
ちょっと大変な時もあるけどね。
だから、私は毎日スタジオのひとつひとつのご機嫌を伺う。
毎日、たくさんの出会いの感動を、本人に伝えたいから。
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