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京都桂店
Break
投稿日:2016/11/25
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Break
Tokorozawa Photo
Photographer: Sastuki Kudo
Coordinater: Kaori Konoshita
『いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。』 パブロ・ピカソ
いかなる創造も破壊から始まる。このピカソの言葉は、高校生のころ私の心に響いて仕方なかった言葉だ。そして大人になった今でもこの言葉が頭の中に常に息づいている。
創造とは、今まですでに在ったものからの変化だ。変化とは、日常からの脱却だ。日常からの脱却とは、自らの固定概念を破壊することだ。
人は、安定をしてくるとそれを崩すのが怖くなる。せっかく掴んだ安定を、せっかく信じた概念を崩すというのはまた再び一から組み立てなおすということだから、勇気がいる作業だし、それはとっても面倒に感じてしまう。しかし、この世のすべては変化するし、人はみな違うという事実しかない世界の中で、本当の安定とは留まることではなく、固執することでもなく、壊しまた創ることの繰り返しである。
日常生活の中で変化のない毎日というものはない。季節も人も天気もすべてが刻々と変化していく中でその流れに抗って生きようというのは人間だからなのかもしれない。だけど、変化に抗って生きる先にあるものは停滞である。マンネリである。だから、いつも傍にいる人を新鮮に思えなくなり、話すことが少なくなる。インテリアにも疑問を持たなくなる。写真もパターン化し、固定化することに固執する。無意識に、自然に抗うということは、ゆくゆくは人特有の「考える」という特性自体を失わせる結果になる。
「人」として生きるということは「人」として在ると言ったのはアンナ・ハーレントだったが、ライフスタジオの理念も、私たちがまずは「人」として在るということが重要だ。だから、変化を常に求めるし、自然の変化をしてから変化するという受動性よりも、自ら意識的に変化をするという主導性こそが「人」として生きることに誠実であることだと私は信じている。
撮影の現場では、変化を自ら求めていく必要がある。そのことを知らないと、自らをシステム化・機械化してしまいがちだ。私たちは道具ではないし、ロボットではない。だから、日常をまず打破し、昨日までの自分を突破しよう。それが人間だ。
ここは午前中に大きな窓から強烈な太陽光が入る。きらきらとした光に引き寄せられて、大きな窓をメインにしたい欲求に駆られて、所沢店に来て以来、この場所のこの窓を撮ることが多かった。その理由の一つは、やはり溢れんばかりの自然光。燦々と降り注ぐ光はサイド光にしても逆光にしても、安定的な美しい光を味わうことができるポイントだ。
しかし、ここでよく撮る理由は逆を返せばそれしかない。意味づけを常にしていくには何の論拠もなくただ感覚的なものに頼るのみだ。そのことに気付いていながら無意識に変えることができないのは、先ほどの「人」としての悪習ゆえか。
ある日、同じように燦々と降り注ぐ光のこの場所であることに気付く。それは床に映る光の模様だ。その模様はくっきりと、そして力強く、輝いている。その日、私はこの光に気付くと同時にこの光が急に美しく感じた。だから、この光をメイン光にしたらどうなるかを考えた。それが変化のきっかけのひとつとなった。
もうひとつのきっかけは出会いだった。この仕事をしてるといつだって出会いに満ち溢れている。ご家族に出会い、被写体に出会い、毎回の撮影を新鮮な気持ちでいられるのは、こうした出会いの機会を常に与えてくれるシステムのおかげかもしれない。この撮影で出会った被写体もまた個性的で独特の雰囲気を持った女の子だった。
この子を見ていると「人」というものは面白いと感じさせてくれる。くるくる変わる表情、話したいことを話したいだけ話したいという欲求。そのすべてが、「人」と生きるということを自然に知っていて、何も知らなくても「人」は関係性を築きながら生きていくのだなと感じる。
その姿が一生懸命で、可愛くて、愛おしくて、私もまた「人」であることを実感する。「人」と「人」の出会いとは、このように「人」と接し、「人」を感じ、「人」として在ることを常に意識させてくれる。
その変化のきっかけを与えてくれるのは他者との出会いかもしれないし、そもそも変化するだけの感受性や欠乏感が敏感に反応するのかもしれない。変化とは、外側の刺激だけでは足りず、内側の要素のみでも足りず、両方在ってこその変化であると感じさせてくれる。
このように、外的な要因と内的な要因が常に在る中で意識的に観察し、変化をしていこうとすることで写真にも変化が生まれる。
この写真で意識したポイントは2つである。
1 アングルの変化2 光の使い方の変化
まず一つ目のアングルの変化である。私は基本的には被写体のアイレベル撮影することが多いが、今回は俯瞰で撮影している。俯瞰で撮影することによって、光で作られた模様の美しさを写すことができ、かつこの被写体の視線と仕草から出る存在感を床の模様と統一して表現することができる。この構図が表すものは、横写真にし目線の先に空間を持たせ模様を入れることで、被写体の独特な愛らしい雰囲気を表現した。全体的にその被写体がその場所にいるということを写すことに意味がある。
二つ目に光の使い方を変化させた。この強烈な光を見たら、太陽光をメイン光にして撮りたくなるし、実際そう撮っていた。しかし今回は床の反射をアッパーライト気味に優しく顔に当てることにした。そうすることで、この表情と仕草に神秘的な要素を組み込むことができるからだ。実際、このきょとんとした被写体の表情と仕草のみよりもこの光を選ぶことで、見ている人に想像をさせる写真になった。
このようなサイクルを日常的に習慣化させていく必要がある。ある程度のレベルまで行くと人は後ろしか見ないし、過去を振り返り、自分の現状を肯定したがるが、常に前を向き今の自分を否定し、創造を繰り返していける人間になりたいと常に感じる。そのことが人生を輝かせ、「人」として生きる実感を持って生きていけるからだ。
私は常に「人」として在りたい。
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