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京都桂店
scrollable
Subtle
投稿日:2016/10/27
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Subtle
Photographer: Satsuki Kudo
Coordinater: Kaori Kinoshita
所沢店に来てから、日々が新鮮に感じます。まだ慣れきっていない店舗というのもあるけれど、新しいメンバーと共に、新しい発見をしていくというのはまるでしばらく開かれなかった窓を開いて新しい風を心の中に入れているようです。今まで当然と思って習慣的に行っていた業務を、再度分解し意味を付け、それを人に伝えること。そのことが慣れきっていた日常に再び命を吹き込むことになり、毎日が違う日だという当然のことも忘れていたのだと気を付かせてくれます。
きっと変化をするということは、日常を新鮮に感じて生きることから始まるのだなと、所沢店に来てからよく感じるのです。
それは写真においても感じます。
所沢店が新鮮だと言っても、3ヶ月毎日写真を撮っていれば、合計180件の撮影に入っていることになり、インテリアに慣れ、光に慣れてくるのは当然です。そうして店舗の写真は安定するものですが、安定するということは同時に気付くことに鈍くなることを意味します。気付きに鈍くなると、その場所を自らの固定概念で見るようになり、決まった場所・決まった光で撮影をし、毎日違う人が来ているのにも関わらわず、同じように撮影して自ら毎日をルーティン化してしまう。そうなると、被写体が違う人だということにも気付きにくくなり、いつも撮影している場所を知り尽くした気になってしまう。写真が変化しにくくなる条件がそこにはあります。
つまりマンネリした日常を打破し、写真を変化させるには、自らが「何も知らない」ということを知ることから始まります。
いつも見ているインテリアや光は、私たちが見ているものが全てなのでしょうか。この時間帯に入ってくる光は、本当にいつも撮っている場所がベストポイントなのでしょうか。インテリアは、撮影場所だけが全てなのでしょうか。
誰にも見つけられなかった光と場所、誰も意味を見出すことができなかったもの。それらは、いつも見ている慣れてしまった場所をよく観察することから始まります。今まで見ているものを、敢えて初めて来た場所のように新鮮に見てみる。いつも気に留めていなかったものを細かく見てみると、慣れていた場所と光に新しい意味を見出すことができるかもしれません。そうして、自ら日常を変化させて、外側からの刺激だけではなく、常に自らの中に変化ができるようになる装置みたいなものを身に付けることができるのかもしれません。
『観察する』。ただそれだけの基本的なことです。基本的なものであるからこそ、日常的に継続して取り組みやすいことでもあります。今回の主題は、『光を観察する』こと。ひとえに『光を観察する』と言っても、良く観撮影をして、いつも撮らない光で撮ることもありますし、スタジオを観察しいつもは気付かなかった光に気付くということもあります。この写真は、後者の観察を意味します。
よく晴れた日でした。
カウンセリングでよく使うこの部屋は、朝になると気持ちのいい朝日が差し込み、部屋全体を暖かなオレンジ色の光で満たします。朝の掃除をするときもこの部屋を掃除するときは、爽やかな気分になりますし、朝一番のお客様をカウンセリングしているときは、とても穏やかで気持ちのいい空気が流れます。7歳のとても落ち着いた大人っぽい雰囲気が先行するイメージを持った女の子。大きなアーモンド形の目が少しミステリアスな雰囲気を作っていましたが、話してみると7歳らしい恥ずかしがりやの女の子でした。
この年頃の女の子は、大人と接するのが恥ずかしくなるような子もいてこの子も例外ではありませんでした。特に、歯の生え変わりで口元を気にしてあまり喋らず、笑顔も口角のみを上げ口を開けることが少なかったように見えました。
実際、精神的に子どもから女性になりつつあるなかで、歯が抜けることは多少表情を出すのが恥ずかしくなる要因のひとつになるでしょう。この女の子は特に、精神的な成長が早い印象を受けたので、このときは恥ずかしかったのだと思います。
7歳の頃、少し女性に目覚め始めたころ、もしも自分の美しい部分を発見できたなら、きっとこの子は歯を気にすることなく堂々と笑顔になれるのではないか。そう思いました。そして、カメラマンである私にはその女の子の持つ特有の美しさを最大限表現したい、その子自身に美しいということを伝えたいという欲求にかられました。そしてそれは、今この時間、この場所で、ここにしかない誰にも見つけられなかった美しい光で。
カウンセリングをしたこの部屋にいたときに、この部屋の光にあたる瞳がとても美しかったのが、とても印象的でした。それは、この光だからそう見えるのか、そもそもこの女の子の持つ魅力なのか。そんなことをばんやりを考えながら、『あぁそうか。その子も、この光も、ふたつの要素が新しく見えるから、もともと美しかったものが、より際立って美しく見えるのか。』と気付きました。
『光を観察すること』を意識してから、いつもなら七五三は、和室から撮ることが多かったのですが、今回は和室だけではなく、この部屋を使ってみようと思いました。この部屋の光は午前中しか入らない陽光。太陽側の窓から入る光は強くけれど柔らかく入っているように見えました。この光を知ってはいたけど、撮影場所ではないからと決めつけてよく見てはいませんでした。よく見てみると、自然とイメージが湧いてきました。
その特徴的な光が入る窓を見るように被写体に立ってもらい、声をかけ少し振り向いてもうと、美しい瞳と鼻筋に綺麗な輪郭を描くように光が当たります。また、この強烈な光が床に反射して優しい照り返しが頬のラインを描きます。この照り返しの光をメイン光にして、被写体を動かし、インテリアの少しオリエンタルな雰囲気を活かすように末広を広げて口元に当ててもらい、質問を投げかけ考え事をしてもらいます。照り返しの光と窓から入る逆光、インテリアの線状のカーテンの雰囲気に、その表情とポージングがマッチし、その子の持つミステリアスな雰囲気をより際立たせます。
また、被写体に左側に向いてもらい、カーテンの左側がピンクで右側が緑なので、写真の右側が重たく重心がそちらに傾くように見えるのですが、帯にカーテンの一部を掛けることにより、画面全体の重心を調節しました。またこのことは平面的な背景を立体的に見せる効果と共に、この被写体がここにいるという存在感をより際立たせるようにしました。
またトリミングも、敢えて上を空け被写体の上半身だけを写すことで、窓の桟と空間のバランス、被写体の大きさのバランスを調整することにより、まるで洋画に出てくる和服美人のオリエンタルな雰囲気を出し、着物とインテリアの違和感がないように自然に見えるように調整をしました。また、画面の左下5分の3くらいのバランスに被写体を配置すること、目線の反対側の空間を空けることでこの被写体が考えていることを想像させ、被写体自身の持つミステリアスな雰囲気を表現しようと思いました。
『光を観察する』ということに意識を向けて撮影されたこの写真のポイントは、
1.いつもは使わない部屋で、誰も使わなかった光を使うこと。
2.メインの光をいつもよく使う光ではない光を使うこと。(この写真のメイン光は逆光ではなく、照り返しの光です。)
3.被写体の雰囲気と光を組み合わせて、美しく自然に撮れるように工夫をすること。(画面全体に広がるオレンジ色の光と着物を自然に見せること、インテリアの重心と被写体の配置のバランス、立体感を出すための工夫をすること。)
ここで観察して実際に行っている工夫は僅かでとても繊細なものです。しかしそれは、今まで見慣れていたものをより繊細に見てみることで、今までに無かった観点が生まれます。新しい気付きは、写真に新しい意味を付けることになり、それが変化になります。見慣れているものをより繊細に観察し、既存のものから新しい何かを見つけていくというサイクルが、外的な刺激のみではなく自分の内側からの変化の装置になります。そして、自らの写真を完成させるために、画面の隅から隅までどんな意味を持っているのかを考え、組み立てることによってその写真は偶然に撮れた1枚ではなく、意志を持った1枚になります。
『観察する』ということを通して、写真に関することだけでなく、日常的に毎日を過ごしていくことや、いつも当然のように会っている同僚や、毎日・毎回変わるお客様、恋人、家族、普段当然のように私の周りにいてくれている人たちも、当然のように接するのではなく、毎日よく観察し繊細に気付くことで、いてくれるありがたみに気付き、また今まで知らなかった新たな魅力を発見できるかもしれません。だとすると、『私はあなたのことを何も知らない』から『知りたい』というようになり、毎日人に会うのがワクワクし楽しくなります。
写真を撮るということはなんだか、生きる上で大切なことを私にひとつひとつ教えてくれるようで…。『人を撮る』という行為に真摯に向き合うことが、人生を豊かにしていくことに繋がるような気がして、私はそれを止めることができないのです。
Photographer: Satsuki Kudo
Coordinater: Kaori Kinoshita
所沢店に来てから、日々が新鮮に感じます。まだ慣れきっていない店舗というのもあるけれど、新しいメンバーと共に、新しい発見をしていくというのはまるでしばらく開かれなかった窓を開いて新しい風を心の中に入れているようです。今まで当然と思って習慣的に行っていた業務を、再度分解し意味を付け、それを人に伝えること。そのことが慣れきっていた日常に再び命を吹き込むことになり、毎日が違う日だという当然のことも忘れていたのだと気を付かせてくれます。
きっと変化をするということは、日常を新鮮に感じて生きることから始まるのだなと、所沢店に来てからよく感じるのです。
それは写真においても感じます。
所沢店が新鮮だと言っても、3ヶ月毎日写真を撮っていれば、合計180件の撮影に入っていることになり、インテリアに慣れ、光に慣れてくるのは当然です。そうして店舗の写真は安定するものですが、安定するということは同時に気付くことに鈍くなることを意味します。気付きに鈍くなると、その場所を自らの固定概念で見るようになり、決まった場所・決まった光で撮影をし、毎日違う人が来ているのにも関わらわず、同じように撮影して自ら毎日をルーティン化してしまう。そうなると、被写体が違う人だということにも気付きにくくなり、いつも撮影している場所を知り尽くした気になってしまう。写真が変化しにくくなる条件がそこにはあります。
つまりマンネリした日常を打破し、写真を変化させるには、自らが「何も知らない」ということを知ることから始まります。
いつも見ているインテリアや光は、私たちが見ているものが全てなのでしょうか。この時間帯に入ってくる光は、本当にいつも撮っている場所がベストポイントなのでしょうか。インテリアは、撮影場所だけが全てなのでしょうか。
誰にも見つけられなかった光と場所、誰も意味を見出すことができなかったもの。それらは、いつも見ている慣れてしまった場所をよく観察することから始まります。今まで見ているものを、敢えて初めて来た場所のように新鮮に見てみる。いつも気に留めていなかったものを細かく見てみると、慣れていた場所と光に新しい意味を見出すことができるかもしれません。そうして、自ら日常を変化させて、外側からの刺激だけではなく、常に自らの中に変化ができるようになる装置みたいなものを身に付けることができるのかもしれません。
『観察する』。ただそれだけの基本的なことです。基本的なものであるからこそ、日常的に継続して取り組みやすいことでもあります。今回の主題は、『光を観察する』こと。ひとえに『光を観察する』と言っても、良く観撮影をして、いつも撮らない光で撮ることもありますし、スタジオを観察しいつもは気付かなかった光に気付くということもあります。この写真は、後者の観察を意味します。
よく晴れた日でした。
カウンセリングでよく使うこの部屋は、朝になると気持ちのいい朝日が差し込み、部屋全体を暖かなオレンジ色の光で満たします。朝の掃除をするときもこの部屋を掃除するときは、爽やかな気分になりますし、朝一番のお客様をカウンセリングしているときは、とても穏やかで気持ちのいい空気が流れます。7歳のとても落ち着いた大人っぽい雰囲気が先行するイメージを持った女の子。大きなアーモンド形の目が少しミステリアスな雰囲気を作っていましたが、話してみると7歳らしい恥ずかしがりやの女の子でした。
この年頃の女の子は、大人と接するのが恥ずかしくなるような子もいてこの子も例外ではありませんでした。特に、歯の生え変わりで口元を気にしてあまり喋らず、笑顔も口角のみを上げ口を開けることが少なかったように見えました。
実際、精神的に子どもから女性になりつつあるなかで、歯が抜けることは多少表情を出すのが恥ずかしくなる要因のひとつになるでしょう。この女の子は特に、精神的な成長が早い印象を受けたので、このときは恥ずかしかったのだと思います。
7歳の頃、少し女性に目覚め始めたころ、もしも自分の美しい部分を発見できたなら、きっとこの子は歯を気にすることなく堂々と笑顔になれるのではないか。そう思いました。そして、カメラマンである私にはその女の子の持つ特有の美しさを最大限表現したい、その子自身に美しいということを伝えたいという欲求にかられました。そしてそれは、今この時間、この場所で、ここにしかない誰にも見つけられなかった美しい光で。
カウンセリングをしたこの部屋にいたときに、この部屋の光にあたる瞳がとても美しかったのが、とても印象的でした。それは、この光だからそう見えるのか、そもそもこの女の子の持つ魅力なのか。そんなことをばんやりを考えながら、『あぁそうか。その子も、この光も、ふたつの要素が新しく見えるから、もともと美しかったものが、より際立って美しく見えるのか。』と気付きました。
『光を観察すること』を意識してから、いつもなら七五三は、和室から撮ることが多かったのですが、今回は和室だけではなく、この部屋を使ってみようと思いました。この部屋の光は午前中しか入らない陽光。太陽側の窓から入る光は強くけれど柔らかく入っているように見えました。この光を知ってはいたけど、撮影場所ではないからと決めつけてよく見てはいませんでした。よく見てみると、自然とイメージが湧いてきました。
その特徴的な光が入る窓を見るように被写体に立ってもらい、声をかけ少し振り向いてもうと、美しい瞳と鼻筋に綺麗な輪郭を描くように光が当たります。また、この強烈な光が床に反射して優しい照り返しが頬のラインを描きます。この照り返しの光をメイン光にして、被写体を動かし、インテリアの少しオリエンタルな雰囲気を活かすように末広を広げて口元に当ててもらい、質問を投げかけ考え事をしてもらいます。照り返しの光と窓から入る逆光、インテリアの線状のカーテンの雰囲気に、その表情とポージングがマッチし、その子の持つミステリアスな雰囲気をより際立たせます。
また、被写体に左側に向いてもらい、カーテンの左側がピンクで右側が緑なので、写真の右側が重たく重心がそちらに傾くように見えるのですが、帯にカーテンの一部を掛けることにより、画面全体の重心を調節しました。またこのことは平面的な背景を立体的に見せる効果と共に、この被写体がここにいるという存在感をより際立たせるようにしました。
またトリミングも、敢えて上を空け被写体の上半身だけを写すことで、窓の桟と空間のバランス、被写体の大きさのバランスを調整することにより、まるで洋画に出てくる和服美人のオリエンタルな雰囲気を出し、着物とインテリアの違和感がないように自然に見えるように調整をしました。また、画面の左下5分の3くらいのバランスに被写体を配置すること、目線の反対側の空間を空けることでこの被写体が考えていることを想像させ、被写体自身の持つミステリアスな雰囲気を表現しようと思いました。
『光を観察する』ということに意識を向けて撮影されたこの写真のポイントは、
1.いつもは使わない部屋で、誰も使わなかった光を使うこと。
2.メインの光をいつもよく使う光ではない光を使うこと。(この写真のメイン光は逆光ではなく、照り返しの光です。)
3.被写体の雰囲気と光を組み合わせて、美しく自然に撮れるように工夫をすること。(画面全体に広がるオレンジ色の光と着物を自然に見せること、インテリアの重心と被写体の配置のバランス、立体感を出すための工夫をすること。)
ここで観察して実際に行っている工夫は僅かでとても繊細なものです。しかしそれは、今まで見慣れていたものをより繊細に見てみることで、今までに無かった観点が生まれます。新しい気付きは、写真に新しい意味を付けることになり、それが変化になります。見慣れているものをより繊細に観察し、既存のものから新しい何かを見つけていくというサイクルが、外的な刺激のみではなく自分の内側からの変化の装置になります。そして、自らの写真を完成させるために、画面の隅から隅までどんな意味を持っているのかを考え、組み立てることによってその写真は偶然に撮れた1枚ではなく、意志を持った1枚になります。
『観察する』ということを通して、写真に関することだけでなく、日常的に毎日を過ごしていくことや、いつも当然のように会っている同僚や、毎日・毎回変わるお客様、恋人、家族、普段当然のように私の周りにいてくれている人たちも、当然のように接するのではなく、毎日よく観察し繊細に気付くことで、いてくれるありがたみに気付き、また今まで知らなかった新たな魅力を発見できるかもしれません。だとすると、『私はあなたのことを何も知らない』から『知りたい』というようになり、毎日人に会うのがワクワクし楽しくなります。
写真を撮るということはなんだか、生きる上で大切なことを私にひとつひとつ教えてくれるようで…。『人を撮る』という行為に真摯に向き合うことが、人生を豊かにしていくことに繋がるような気がして、私はそれを止めることができないのです。
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