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Photo: 『美しいということを、知っていくこと』
投稿日:2016/8/10
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Photo at Koshigaya
Photo by Kudo / Coordinate by Takako
その瞬間、彼女の持つ世界がこの世で一番美しいと感じた。
天真爛漫な彼女の表情も、少しウェーブがかったその髪も、自由でしなやかな彼女の動きも、そのすべてがこの世界に既に在ったものなのに、その当たり前に存在する美しさに、ハッとさせられた瞬間は、彼女が誰なのかを知りゆく過程の中のある瞬間だった。
彼女の美しさは、彼女を知れば知るほど深く感じる。
深く感じればただ彼女が美しいというだけでなく、彼女の持つ世界が美しいと感じる。
会ったときにはまだ謎めいていた彼女の存在から、彼女が誰なのかを知っていけば、その存在の美しさがどうして美しいのかがわかってくる。
彼女の特徴を見つめて、彼女に合わせて話して、私たちの投げかけを受け止めてもらい、それから彼女の発したものを受け取り、シャッターを切る。
その連続の中で、私の心に広がっていくのは彼女だけが持つ世界。
私の心に写ったその世界を、どのくらい形に残せるのか。
彼女の世界を、彼女の存在を、その美しさを誰でもわかるように伝えることは、どれほど技術を磨けばできるのだろうか。どれだけ感性を高めればできるのだろうか。
そんな終わりのない探求をしていると、よく海の絵を描いていた幼い日を思い出す。
幼いころ、よく海の絵を描いていた。
美しい海の青と、寄せては引く波の動き、水面に煌く陽の光がこの世で一番美しいと信じていた。
海の色と、海の波、海の光。
私の心の中で見ていたそれらを画用紙の上で現すには、ただ絵の具を重ねればいいというわけではなく、実際に海の中に入って、海の温度を知り、波の感触を知ることと、陽の光が煌くわけを実際に触れてみないとその絵に私の心に写っていた美しさを本当に描くことができないと思っていた。
海に触れて描いた絵は、絵の具で色を足さなくても、心なしか深みを増していたような気がした。
それは、海が何なのか自ら知る行為を通じて海の美しさをより深く認識する行為だ。
美しさとその存在の深さを知れば、目に映るもの美しさだけではなく、その存在がなぜ美しいのかを知ることができる。
そうして、知れば知るほど絵の深みは増していった。
ライフスタジオで写真を撮るという行為は、その時の感覚を呼び起こされる。
被写体は「人」だ。その「人」の存在を美しく残すということがライフスタジオの撮影者に求められる。
それはただ目に映る美しさのみではなく、その「人」を知っていく過程で生じるその「人」の深みを知るということである。
それは、私たち撮影者自身がその場で自分を投げ出し、被写体であるその「人」からの反応を得て、また投げ出すという繰り返しの行為である。その行為の繰り返しの中で、撮影者である私は被写体である彼女が誰であるかを知るし、彼女も私のことを知る。
その行為がとても人間的であると感じるのは私だけだろうか?
彼女は5歳の女の子。
少し茶色がかったウェーブのロングヘアー。うすく小麦色に焼けた肌。
その何とも言えない美しい瞳に惹かれた。
最初は恥ずかしがっていたけれど、話していけば、徐々に彼女の情報を引き出せる。
何が好きか。何をしたときに笑うのか。ママがどれだけ好きなのか。
そうして情報を引き出せば、なぜ彼女のウェーブヘアーが美しいのかを知る。それはママが彼女のことを世界で一番美しいと思っているからだ。
そのママの意思を現実に反映するように、彼女の髪の美しさは堂々とそこに在る。
その笑顔も、その瞳も、すべては彼女の生きてきた世界を現していた。
彼女は、彼女のことを世界で一番美しいということを知っている両親の愛情に包まれ生きている。
そのことを知った瞬間、彼女の持つ世界がこの世界で最も美しいと私も感じることができたのかもしれない。
彼女の持つ世界をより美しく現すには、彼女が彼女として生き生きとした瞬間を引き出すことが必要で、それにはさらに投げかけることを必要とする。
「お日様が気持ちいいと感じるように、その花のにおいをかいで」
そう投げかけたとき、彼女だけの美しい世界は煌いた。彼女だけの表情が、彼女だけの動きが、彼女を写した写真に唯一無二の美しさを与える。
ママが彼女を美しいと思うように、私も彼女のことを美しいと感じたから、その瞬間が煌いて感じたのかもしれない。
ライフスタジオの写真の被写体の概念とは、「存在の美」の表現であり、それは当たり前のように存在する「人」の深さを知る行為であり、その「人」が誰かを知る行為が必要なのである。
他者が誰かを明らかにするには、自分自身が誰かを先に現すことが不可欠である。
それが「投げ出す」という行為であり、その過程でその「人」が誰であるか知ることができる。
その人が「誰か」ということを知り、その「人」の深さを知る。そのことが、その「人」だけの「存在の美」を本当の認識することであり、そのことが写真の美しさにより深い味を付け加えることができる。
自らの存在を以て、相手の存在を活かし、お互いの存在をそれぞれ美しいものとして認めること。
その行為が、とても人間的だからライフスタジオの写真には体温を感じるのだと思います。
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