Staff Blog
京都桂店
Photo: UN-lock
投稿日:2016/6/10
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At Koshigaya No.5
Photo by Kudo / Coordinate by Takako
私があなたを愛しているということを伝えるには、あなたが美しいということを再確認することから始まる。
写真を見て、その写真について触れようとしたときに、私はいつもその写真を撮影した人に触れているような錯覚に陥る。
それは、その人が見ている世界や、その人が「人」という存在をどのように捉えているかが
どことなく見えるような気がするのかもしれない。
どんなに文章や口頭で美しい言葉を尽くしていても、その写真に表れているものこそが、
その「人」そのものの本物の体温に直接触れているようで、その人が見ている真の世界を表しているようで、
本当に写真は正直だとつくづく思う。
もちろん写真を説明するには言葉が必要で、写真の認識を深めるものは写真分析であり説明であることは疑う余地もない。
だけどその言葉と写真が一致していなければ、そこには違和感があり、
真に正直に自らと被写体に向き合うという姿勢がそこに表れる。
写真は、言葉と同様に人とつながるには重要で、また言葉の表現以上に自分を伝えるツールである。
言葉ではごまかせるし、嘘もつける。しかし、写真は正直だ。
自分の中の粗も、虚偽も、不足もそこに表れる。
「写真は嘘をつく」という言葉もあるが、写真は嘘をつくのではなくその撮影者が見ているものを増幅させ、
世界を作ることができるのであって、その人自身をごまかすことはできない。
だから、写真を撮り、写真を見せ、共有するということは最高のコミュニケーションツールであると私は毎日実感している。
言葉の表現が乏しい私は、私という人間を写真で伝えることを重要視する。
正確には、私が「あなた」というたった一人の人間をこのように見ているという「告白」にも似ている行為を重要視している。
写真というものは、記憶に物質的に留めておくものであるが、撮影者であるわたしにとっては誰かに伝えるものである。
そこに写っている被写体であるその「人」の存在を誰かに伝えるものである。
その「人」自身の存在が、いかに希少で、いかに美しいものであるかをいうことを伝えるということは、
一種の「愛の告白」のようだ。
私が、この世界でたった一人しかいない「あなた」を、美しいと思っているから、今、それを告白しようということ。
それが写真を撮るということである。
私が撮影に入るときは、いつも緊張する。
それは、相手に私の内面を、私の本心を明かすという行為だからだ。
もちろん、スタジオの撮影業務は接客に重きを置いているということは間違いがない。
もちろん取り繕うこともあるし、私自身の表情や言葉、行動がお客様へどのように映っているかが重要である。
しかし、それは最終的に私の内部を無理なく自然に相手に明かすという行為に結び付けるためだ。
その明かすという行為が写真を撮り相手に見せるということである。
「告白」は基本的には言葉で行うものであるという認識が一般的であると思う。
それでも相手に受け入れてもらうために、相手の入りやすい趣味の話をするときもあるし世間話から入ることもある。
美しい言葉で自分を着飾ることもあるだろう。
それは何のためかというと、その「告白」を相手に受け入れてもらうためである。
写真を撮るという行為も同様で、まずはその写真を私が「あなた」を美しいということを最善の表現で伝えるためには条件を整える。
その条件は、私という撮影者を「あなた」に受け入れてもらい、「あなた」自身が自然に「あなた」でいられる場所を作ること。
壁があっては「あなた」に無理をさせてしまうし、
「あなた」は世界でたった一人の「あなた」をいくつものヴェールで隠してしまうから。
できる限り「あなた」が自由で楽しくいられる空間を作るということが、私が「あなた」自身を引き出す根底にある条件。
一緒に、自由で、楽しくいられる時間と空間にいること。
それが写真に、「あなた」だけの存在の美しさを表現するという条件。
その条件で表現した写真で、「あなたがこんなに美しい存在」であるということを
私自身の存在を以て「告白」するということが、毎回の撮影で私がしたいこと。
まるで、「私」という人間が写真を通して「あなた」の前で丸裸にされてしまうような感覚に陥るから、
私は毎回の撮影でなんだか照れくさくなるし、緊張する。
いつもそんな感覚であるということが、私の写真の幅を広げる。
新鮮な気持ちにさせる。
もっと「あなた」のことを美しく伝えたいと思う。
もっと力の抜けた自然体で伝えたいと思う。
だからそんな写真を撮りたいといつも思う。だから、私は写真を撮るということをやめられない。
もっと、もっと、写真が「私」だけのものじゃなくて、「あなた」に伝えて、「あなた」のものになってほしいと願う。
4年間ライフスタジオにいて、初めての越谷店。
初めて一緒に働くメンバーと、初めて出会う「あなた」。
そんな新鮮な環境は、当たり前のようになっていた写真を撮って伝えるという行為に再び色を与えてくれた。
未知でいっぱいのこの場所で、私はどのように立ったらいいのだろうと常に考える。
その中で、どのように自分を表現したら、どのように伝えたら、私の想いを「あなた」に伝えられるのかと試行錯誤する。
「人」という存在が好きな「あなた」は、入り口の扉を開けた時からまるで長年の友人のように
明るい懐かしい笑顔で私たちに接してくれた。
明るく元気であっけらかんと、まるで怖いものなどないように堂々と振る舞う。
しかし、私たちと仲良くなればなるほどその6歳の殻が剥がれ落ち、
少し寂し気にある方向を見つめては少し我が儘に振る舞ってみたりする。
そこで少しずつ小学1年生の元気な男の子という外側に着ていた殻から解放された、
本当の「あなた」に触れることができた。
その寂し気な視線も、元気な姿も、生まれたばかりの弟に初々しい愛情を注ぐ姿も、
そのすべてがほかの誰でもない「あなた」で、私はそんな「あなた」が強く美しいということを、
「あなた」の家族にも、「あなた」自身にも伝えたい。
そんなことを考えながら、できるだけ自然な姿を引き出す過程の中でシャッターを切り続けていると、
6歳の子どもではなく、たった一人の人間として見える時間が長くなってくる。
たった一人の人として見ることができた時に、「私」は「あなた」に尊敬の念を抱き、
最後にやってくる「告白」の時間の準備をする。
私の写真を通して、「私」が「あなた」をどう想っているのかを「告白」すること。
「あなた」の存在を、私の最大限の表現を以て伝えること。
そこには、言葉や表面的な表現を超えた、本当の心のやりとりがある。
それが、私に触れることであり、「あなた」に触れるツールだから、私は写真を撮り続けるのだと思います。
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