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京都桂店
scrollable
Photo: BE:auty
投稿日:2015/6/30
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Soka Photo
Photo by Kudo / Cordi by Ouchi
「人」のあるがままの姿(BE)の尊重。
「人」の美しさ(Beauty)を引き出すこと。
その両立こそが、「被写体」へ入るということになる。
「美しさ」とは、そこに既にあるものですが、
同時に私が「美しい」と感じることで初めて存在することになります。
それを人に伝えることでその「美しさ」の存在は、保証されていきます。
私たちが撮影をし、写真で何をお客様へ伝えたいのかと言えば、
「家族の絆」だったり、「関係の美しさ」だったり、「人の素晴らしさ」だと思います。
これらの概念は、普段は目に見えないものですが、写真というツールによって可視化され、撮影者によって表現されます。
そこで表現されたものが、被写体の存在であり、
その存在が如何に美しいかということをお客さまに伝えることがライフスタジオの写真の価値なのだと考えています。
その美しさとは、その被写体の中にしかないものであり、その被写体の存在自体が美しいのだと言えます。
存在することの美しさは、いつでも、どこでも、何でも、誰にでも宿っており、
その存在を美しいと感じ、美しいものとして規定するのはそれを見ている私たちです。
その存在を美しいものであると、誰かに伝え、広げるのもまた私たちです。
だから私たちは、概念的な美しさを具体的に伝えるために写真を撮るのかもしれません。
その存在が、美しいということを、確かなものにするために。
それはあるがままの被写体の姿を美しいと感じ、それがどういった美しさなのかを表現し伝えるものが写真なのだと私は思います。
その美しさこそが、その被写体の存在の姿であり、
撮影者と被写体が作用し、広げた写真の表現の幅であると私は思います。
被写体の雰囲気に合った着物の柄、被写体の美しさを引き出すためのポージング、
そして被写体に内在している美しさを表現するために、
BE(あるがまま)と
Beauty(美しさ)を両立させること。
それが、存在の美を表現し、存在を立たせることであると思います。
Photo by Kudo / Cordi by Ouchi
「人」のあるがままの姿(BE)の尊重。
「人」の美しさ(Beauty)を引き出すこと。
その両立こそが、「被写体」へ入るということになる。
「美しさ」とは、そこに既にあるものですが、
同時に私が「美しい」と感じることで初めて存在することになります。
それを人に伝えることでその「美しさ」の存在は、保証されていきます。
私たちが撮影をし、写真で何をお客様へ伝えたいのかと言えば、
「家族の絆」だったり、「関係の美しさ」だったり、「人の素晴らしさ」だと思います。
これらの概念は、普段は目に見えないものですが、写真というツールによって可視化され、撮影者によって表現されます。
そこで表現されたものが、被写体の存在であり、
その存在が如何に美しいかということをお客さまに伝えることがライフスタジオの写真の価値なのだと考えています。
その美しさとは、その被写体の中にしかないものであり、その被写体の存在自体が美しいのだと言えます。
存在することの美しさは、いつでも、どこでも、何でも、誰にでも宿っており、
その存在を美しいと感じ、美しいものとして規定するのはそれを見ている私たちです。
その存在を美しいものであると、誰かに伝え、広げるのもまた私たちです。
だから私たちは、概念的な美しさを具体的に伝えるために写真を撮るのかもしれません。
その存在が、美しいということを、確かなものにするために。
それはあるがままの被写体の姿を美しいと感じ、それがどういった美しさなのかを表現し伝えるものが写真なのだと私は思います。
その美しさこそが、その被写体の存在の姿であり、
撮影者と被写体が作用し、広げた写真の表現の幅であると私は思います。
被写体の雰囲気に合った着物の柄、被写体の美しさを引き出すためのポージング、
そして被写体に内在している美しさを表現するために、
BE(あるがまま)と
Beauty(美しさ)を両立させること。
それが、存在の美を表現し、存在を立たせることであると思います。
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