Staff Blog
京都桂店
scrollable
Photo: depth
投稿日:2015/4/30
949 0
Soka no.12
Photo by Kudo / Coordi by Ouchi
“It is not length of life, but depth of life.”- Ralph Waldo Emerson
「重要なのは人生の長さではない。人生の深さだ。」
この世界は二次元ではなく三次元でできていて、眼で見えている方向とは別の方向がいつも存在しています。
それは物体もそうですし、人も、この地球も、存在するもの全て平面ではなく立体であり、
そうであるからこそ、わたしたちは私たち自身の人生に幅も深さも持たすことができると思うのです。
物体に関して言えば、いくら目の前にあるものを紙に書かれた図形のように平面に捉えることはできず、
必ず奥行きがあり、私たちが見えない面も存在していることを私たちは自然に知っています。
人生に関して言えば、自分の人生を平坦で穏やかに生きようとしても様々なことがあり、
歳を重ねれば重ねるほど人生とは奥が深いことを知ります。
人に関しても同じように、ただ表面的に相手を見ていても、目の前に現れる言動だけを見ていても、
その人自身を誰かということを知ることができないかもしれません。
人もまた表面的なだけの存在ではなく、私たちの目に見えているその人の言動の中には、
その人の存在そのものを決定づける何かがあります。
なぜなら人は皆、異なる人生のストーリーを持っていて、異なる価値観があり信念があります。
社会に生きている限り、人の言動はモラルや常識によって人びととの協調や和合のために一般化され、
大人になるにつれ自然と言動が整えられていきます。
そのため、一見すると外見以外は人の言動は皆凡庸に見えることがあります。
しかし、人は皆同じではないことを私たちは知っています。
家族や恋人、親友、同僚、親しい間柄になればなるほど、その人にしかない何かを見出すことができるからです。
その人がこの世界でただ一人のその人であることを知る過程で、その人の深さを感じることがあります。
第一印象は穏健で優しそうな人だったのに、その人を知れば知るほど、なんだか厳しかったり頑固だったり、
予想しなかったことで怒ったり喧嘩したり、第一印象では見えてこなかったその人の側面が見えてきて、
その人のことがわからなくなることがあります。
だけど、そういったことも自分が作り上げていたその人の型に当てはめていただけであることを知ると、
またその人の善さを改めて認識し、そういった過程を繰り返し経ると、だんだんとその人の内面を立体的に見ることができ、
最初に感じることができなかったその人自身の深さを知ることができます。
私たちが撮る写真は、人が主題の写真です。
写真という二次元の世界に、被写体であるその人の深さを表現していくことがライフスタジオの写真であると思います。
更に言うならば、その人の深さを表現するために、自分自身の深さを写真の中に加えていくことが「写真の深さ」になると思います。
深さとは、その人自身の内容と言っていいでしょう。
まずは撮影者自身が自分の内容をできるだけ具体的に理解していることで、
撮影者自身の認識や写真へどういった価値を加えるのかが明確になり、それが撮影者の色になり、軸となります。
そして自ら知識と技術を得て、表現方法の幅を広げます。
そして、被写体であるその人が誰かということを引き出して、その人のことを知るという行為の繰り返しを通して
その人の深さを徐々に認識していくことで、被写体その人のことを立体的に見ることができ、その認識が写真に深さを与えます。
自らに深く入り、そして被写体の深さを認識すること。
その深さを認識しているかどうかでは、写真の深さも異なります。
写真という平面の物体から、その人自身という立体的な奥深さを感じることができます。
撮影者の外側に在る存在であるその人を、撮影者自身の内面で感じ、投げかけ、それを受け入れることの繰り返し。
決して型にはめず、素直に、誠実に、その人のことを受け止め、さらに入っていくことで、自分だけの認識では知りえなかった深さを知ります。
写真とは、撮影者だけで撮るのではなく被写体と一緒に創り上げるものであると私は思います。
自分の内側のみの認識だけではなく、相手から発せられるものをさらに認識して、
その人自身を表現していくことが、「写真の奥深さ」になると最近よく感じます。
「写真の奥深さ」とは、
シャッターを切った瞬間であり、フレーミングであり、光であり、色であり、ストーリーであり、
その写真の構成要素全てに顕れるものです。
それは、被写体その人の奥深さを認識し、それを表現しようと思ったときに構成されます。
結局、撮影というものは撮影というその場で終わるものではなく、人生と大きく繋がっています。
人を受け入れること、その人の存在を自らの視点でより善く表現すること、そのために認識を常に変えることを躊躇わないこと。
それが、自らの深さを知ると同時に、人の深さを知り、そして自分一人ではない人生の奥深さを知ることになります。
それが私という一人の存在から、私たちという人と人との繋がりになるのだと信じて。
Photo by Kudo / Coordi by Ouchi
“It is not length of life, but depth of life.”- Ralph Waldo Emerson
「重要なのは人生の長さではない。人生の深さだ。」
この世界は二次元ではなく三次元でできていて、眼で見えている方向とは別の方向がいつも存在しています。
それは物体もそうですし、人も、この地球も、存在するもの全て平面ではなく立体であり、
そうであるからこそ、わたしたちは私たち自身の人生に幅も深さも持たすことができると思うのです。
物体に関して言えば、いくら目の前にあるものを紙に書かれた図形のように平面に捉えることはできず、
必ず奥行きがあり、私たちが見えない面も存在していることを私たちは自然に知っています。
人生に関して言えば、自分の人生を平坦で穏やかに生きようとしても様々なことがあり、
歳を重ねれば重ねるほど人生とは奥が深いことを知ります。
人に関しても同じように、ただ表面的に相手を見ていても、目の前に現れる言動だけを見ていても、
その人自身を誰かということを知ることができないかもしれません。
人もまた表面的なだけの存在ではなく、私たちの目に見えているその人の言動の中には、
その人の存在そのものを決定づける何かがあります。
なぜなら人は皆、異なる人生のストーリーを持っていて、異なる価値観があり信念があります。
社会に生きている限り、人の言動はモラルや常識によって人びととの協調や和合のために一般化され、
大人になるにつれ自然と言動が整えられていきます。
そのため、一見すると外見以外は人の言動は皆凡庸に見えることがあります。
しかし、人は皆同じではないことを私たちは知っています。
家族や恋人、親友、同僚、親しい間柄になればなるほど、その人にしかない何かを見出すことができるからです。
その人がこの世界でただ一人のその人であることを知る過程で、その人の深さを感じることがあります。
第一印象は穏健で優しそうな人だったのに、その人を知れば知るほど、なんだか厳しかったり頑固だったり、
予想しなかったことで怒ったり喧嘩したり、第一印象では見えてこなかったその人の側面が見えてきて、
その人のことがわからなくなることがあります。
だけど、そういったことも自分が作り上げていたその人の型に当てはめていただけであることを知ると、
またその人の善さを改めて認識し、そういった過程を繰り返し経ると、だんだんとその人の内面を立体的に見ることができ、
最初に感じることができなかったその人自身の深さを知ることができます。
私たちが撮る写真は、人が主題の写真です。
写真という二次元の世界に、被写体であるその人の深さを表現していくことがライフスタジオの写真であると思います。
更に言うならば、その人の深さを表現するために、自分自身の深さを写真の中に加えていくことが「写真の深さ」になると思います。
深さとは、その人自身の内容と言っていいでしょう。
まずは撮影者自身が自分の内容をできるだけ具体的に理解していることで、
撮影者自身の認識や写真へどういった価値を加えるのかが明確になり、それが撮影者の色になり、軸となります。
そして自ら知識と技術を得て、表現方法の幅を広げます。
そして、被写体であるその人が誰かということを引き出して、その人のことを知るという行為の繰り返しを通して
その人の深さを徐々に認識していくことで、被写体その人のことを立体的に見ることができ、その認識が写真に深さを与えます。
自らに深く入り、そして被写体の深さを認識すること。
その深さを認識しているかどうかでは、写真の深さも異なります。
写真という平面の物体から、その人自身という立体的な奥深さを感じることができます。
撮影者の外側に在る存在であるその人を、撮影者自身の内面で感じ、投げかけ、それを受け入れることの繰り返し。
決して型にはめず、素直に、誠実に、その人のことを受け止め、さらに入っていくことで、自分だけの認識では知りえなかった深さを知ります。
写真とは、撮影者だけで撮るのではなく被写体と一緒に創り上げるものであると私は思います。
自分の内側のみの認識だけではなく、相手から発せられるものをさらに認識して、
その人自身を表現していくことが、「写真の奥深さ」になると最近よく感じます。
「写真の奥深さ」とは、
シャッターを切った瞬間であり、フレーミングであり、光であり、色であり、ストーリーであり、
その写真の構成要素全てに顕れるものです。
それは、被写体その人の奥深さを認識し、それを表現しようと思ったときに構成されます。
結局、撮影というものは撮影というその場で終わるものではなく、人生と大きく繋がっています。
人を受け入れること、その人の存在を自らの視点でより善く表現すること、そのために認識を常に変えることを躊躇わないこと。
それが、自らの深さを知ると同時に、人の深さを知り、そして自分一人ではない人生の奥深さを知ることになります。
それが私という一人の存在から、私たちという人と人との繋がりになるのだと信じて。
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索
- トップ
- Staff Blog
- トップ
- スタジオ紹介
- 京都桂店
- スタッフブログ
- Satsuki Kudo
- Photo: depth