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カント 韓国士官P30

投稿日:2012/11/3

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カント

人生に哲学をひとつまみ 著者:生井利幸

Center:蒔田高徳

 何度も読み返す本がある。これがその一つだ。たくさんの歴史的哲学者たちの哲学がこの本には散りばめられている。読むと、その深い精神世界で少し落ち着くような本だ。

 カント

―理性的な人間にのみ「人間の尊厳」がある―

 カントは、人間は尊厳を持つ存在であり、自他の人間性(人格)の尊厳を侵害するような行為をしてはならないと主張した。その根拠は、人間の存在は何かの「目的」のためにあるものであり、単に「手段」として使用されてはならないという考え方から導かれている。

目的と手段という大きな大別で最近は、現象と事実を見つめるようにしている。人は手段であってはならないと思うし、人が手段であったものが目的化してしまうよくある現象もそれに早く気づくべきだと思う。 

 彼は自身の著作の中で、「人格のうちに宿る人間性の尊厳」という表現を用いている。これは、人間は「内的尊厳」「絶対的内的価値」を有する存在であるという意味だ。この内的価値こそが「尊厳」そのものなのである。目的と手段について、カントは、理性的存在者は「目的自体」として存在し、誰かの単なる手段として存在するのではなく、自己自身に対する行為においても、あるいは、他のすべての理性的存在者に対する行為においても、「絶えず同時に目的として見られねばならない」と述べている。彼は、この理性的存在者のことを「人格」と呼び、「人格は絶対的価値を有する」と明確に述べた。それとは反対に、単なる手段として相対的価値を有し、値段が付けられ売買の対象となるような存在物を「物件」と呼んだ。

 人間の尊厳を強く主張したカントだが、この地球上に存在するいかなる人間であっても、不可侵な、喪失され得ない「尊厳性」を先天的に備えているわけではないとも述べている。この世には実に多様な人間が存在する。その人間たちは「理性的人間」と「非理性的(動物的)人間」の二つに分けられる。カントは、この二つのうち、いわゆる「理性的人間」のみが目的としての尊厳性を有しているというとらえ方をした。カントが説明する尊厳とは、言うなれば「価値」、きわめて「無比なる価値」である。彼はまず、人間性そのものが尊厳であり、人間は、いかなる価格を提示されても売買されるものではなく、決して失うことのできない尊厳を有していると諭じた。さらに、「善き意思」こそが、人間の存在に絶対的価値を持たせることができる唯一のものであると説明した。彼は著書の「判断力批判」において、「私たちの人格のうちの人間性の尊厳、ならびに人間の権利に対する敬服」という表現を用いて、尊厳が認められる対象となる人は、「人格の内に人間性が認められる人」であると述べている。

 この尊厳について考える際に留意すべき点の一つは、カント思想では人間の尊厳性が「神聖性」に通じるとしたことだ。即ち、個々の人間が有する人間性は、個々の人間にとって神聖でなければならない。その理由は、人間は「道徳的法則の主体」であり、それ自身が神聖なるものの主体として考えることができるからである。

 カントが「人間の尊厳性」をいかに「人間の神聖性」に関連付けたのかについては、「実践理性批判」の一説で顕著に記されている。本来、人間はあまり神聖ではないが、人間が有する内なる人間性は、人間にとって極めて神聖であるべきである。人間は、自己の自由の自律のために、神聖な道徳的法則の主体であると言える。この主体は、決して単なる手段として用いられるべきではなく、目的自体として用いられなければならない。

 カントはこのように、我々人間は、人格的存在として、道徳法則の主体である限りにおいて目的自体なのであり、そのために「尊厳性」「神聖性」を持っているのだ、と唱えた。

カントの哲学を少し知るようになると、大した理由もなしに他人に対してネガティブな感情を抱くことは、実に非理性的な心の動きとなることに気づく。いかなる人間であっても、この世に生まれた時にはピュアな赤ちゃんである。赤ちゃんは次第に成長し、必要な教育を受け、一人前の大人になる。成長するプロセスはどうであれ、人間は皆「考える能力を持つ存在者」として生きていく。仕事で成功しようと、失敗しようと、全ての人間は常に理性的な生き方を試み、「尊厳」を有する存在者として人生を謳歌する権利を持っているのだ。今の世の中、お金さえあれば何でも手に入り、便利な生活をすることができる。それでも忘れずにいたいのは、「尊厳ある理性的存在者として、モラルに則した生き方をいかに全うするか、人間性を高めて生きていくことができるか」という問題意識を常に持ち、深く哲学していきたいと思う。

 カントが学生に講義する際に

「単に暗記するための思想を学ぶのではなく、「思考すること」を学びなさい」

「哲学を学ぶのではなく、「哲学すること」を学びなさい」と言った。

私も哲学することをこれからも学び続けようと思うし、人間性を高め、深め、広げていくそのように生きていこうと思う。そして、人間性とは主観的人間性、客観的人間性があって人間性である。それが一致している高い人間性となっていきたい。

 

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