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ビッグイシューの挑戦 韓国士官P29

投稿日:2012/11/3

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ビッグイシューの挑戦

著者:ビッグイシュー日本代表 佐野章二

Center:蒔田高徳

 イシューという言葉を意識していたら、図書館で本を探すときに今まで気づかなかった本と出会うようになった。「ビッグイシュー」という雑誌がある。これは「ホームレスの人だけが販売可能であり、ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」ための雑誌をつくり、その販売の仕事をホームレス状態にある人たちに独占してもらい、彼らをビジネスパートナーにして事業をする会社である。ビッグイシュー日本版はホームレスの人たちの自立支援のために生まれたストリートマガジンだ。販売者は全員路上生活者で、300円の雑誌を1冊売るごとに160円の収入を得ることができる。今、日本には100万人をこえるホームレスやホームレス予備軍の人が存在すると言われている。

ここ20年ほどで、生活保護受給者は2.4倍(95年88万人から12 年210万人)、非正規雇用者の比率は2.2倍(85年16パーセントから11年35パーセント)となった。このようななか、08年リーマン・ショックでは多くの若者が雇い止めされ、路上では見えない若者ホームレスが増えた。この背後には、若年無業者60万人、ひきこもり70万人、フリーターなどの人々が控えている。さらに、震災や原発事故によって、数十万人がホームレス状態になり、いまだ避難所で暮らす人もいる。彼らを路上に出さないためには安定した暮らしへの希望を持ってもらうためにはその鍵は住宅問題、また雇用問題にある。ホームレスの問題は私たちが見てみぬふりをして通り過ぎる問題ではなく、私たち社会の問題だ。

ライフスタジオで時事討論をするのであれば、「雇用」についても是非トピックを上げたいと思う。

 99%ではなく、100%失敗すると、多くの人が断言した。

この本に書いてある試みがすごいと感じるのは、ただ同情していてとか、慈善事業をやったとかではまったくない、日本という国の文化の壁、日本人の常識、アマチュアの限界、日本の市民の成熟への誤認、営利社会の可能性、というこれら一連の課題と向き合い、チャレンジし、それを少しずつ変化させていく試みの連続、そしてそれを絶えず続けてきたこと。成果をあげているということ。これらを通じて共に社会を変えていけないだろうかということを考える問題提起を事業を通じて行い、それが社会とつながっているからだ。思うだけなら誰でも出来る。その思いを実行に移せるという話は別問題だ。私は電車に乗ることは通勤上無くなったし、ホームレスの人がビッグイシューを打っている場面を見たことも、昔新宿で見たくらいだが、もし機会があれば是非買って読んでみたいと思うのだ。

ホームレスになった人たちには様々な理由があると思う。しかし、なりたくてなったのか、本当に無気力でそうなのか、立ち上がる方法が無くてそうなのか。

BIG ISSUEの創設者がジョン・バード氏が来日した際、NPO法人釜ヶ崎支援機構の協力のもとホームレスの人への説明会を開催、彼が日本を訪問した際に、大阪のホームレスたちのたまる現場の現状を見て、礼儀正しさと勤勉さ、空き缶を拾い集めたり、マグロのように並んで寝たりする光景を見ながら、彼の言った一言に私は思わず涙が溢れた。

そのように一人の外国人が日本のホームレスを見て、日本版ビッグイシューの創刊を認めたのだ。

「日本のホームレスにはマインドがある、働きたいというマインドが」

そのマインドがあれば、日本においても必ずビッグイシューは成功するだろう。

違う角度で私たちは日本の社会問題をどのような言葉にしてきただろうか。一他の国の人間がそのように見れる目があり、私たちの目は何を見ているのか、また見ようとしていないのか、様々なことを考えさせる涙のシーンだった。

 

 

「ホープレスからホームレスへ」

 人が屋根のある生活から路上に出るまでには、三つの過程があるという。

第一段階が仕事を失う。

第二段階が家を失う。

第三段階は「人との絆を失う」

この三つの過程を経て人はホームレスになる。著者はこれをHopelessからHomelessへと名づけている。

 人は、仕事を失ったからホームレスになるわけではない。家を失っただけでもホームレスにはならない。家を失っただけなら、ハウスレスであってホームレスではないからだ。たとえ仕事を失い家も失ったとしても、周囲に、その人を支えてくれる家族なり友人なり様々な人との交わりや絆があれば、人はそう簡単にホームレスにはならない。

 人がホームレスになるとき。

それは未来への希望、Hopeを失ったときだ。頼るべき人との絆がすべて切れてしまい、将来に対する夢や目標も途絶えてしまう。この世でたった一人になってしまった・・・。そう感じてしまったときにその人はホープレスとなり、その状態が続いてしまった結果、自分の居場所であるホームを失い、ホームレスになるのだ。

 

創設者のジョン・バードのビッグイシューのモットーをこう表現した。

「チャリティではなく、ビジネスを」

私はその信念の通りに、システムが一致できているすばらしい事業だと思う。

これは、チャリティーではない。プライドと信念のあるビジネスなのだ。

 

この本を読んで、時事討論をしたいISSUEがある。

失業というISSUE

雇用というISSUE

 

行政、NPO、社会的企業、それぞれの役割

これからは市民の時代である

 一人一人の個人が、市民としての自覚を持って、社会のことを考える。行政や専門家に問題を丸投げして済む時代ではなく、市民自身がしっかりと物事を見据える。自分が幸せに生きていくためにこそ、他者のことや社会のことも考える。そういう時代になっていくはずだ。だが、個人の力は弱い。意識はあっても、市民一人一人がバラバラで活動している限りは、なかなか大きな成果は得られない。だからこそ、NPOのような団体が存在し、市民同士を結びつける必要がある。個々人は無力であっても、同じ志を持つ人の集まりとなれば、それは社会を動かす力となる。

著者は日本ビッグイシューをNPOではなく、社会的企業としての形体を選んだが、NPOの時代はもう終わったという発言には異を唱える。

NPOが出来る存在意義はまだあると考えている。

第一に人と人をつなげて共同を促進させる価値があると考えている。

第二に、市民を当事者にさせる役割を持っている。NPOはその結節点になれる。

第三に、NPOには社会の未来を担う価値がある

 行政、NPO、企業、この3つはそれぞれの専門とするフィールドも、活動の目的も異なっている。これは、次のように言われている。

 行政=官で非営利(過去を担う)

 企業=民で営利(現在を担う)

 NPO=民で非営利(未来を担う)

NPOは、最も身軽であり、過去や現在より、未来を視野に入れた活動をしやすい。MPOは先駆的に未来を担える位置にいる。だからこそ、NPOはもう終わりで、これからは利益も生み出せる社会的企業だという意見には著者は真っ向から反対する。ビッグイシューをやる上で最適だったのは、社会的企業の形態だったが、それはそう判断しただけであって、NPOはもう終わりだと判断したわけではない。

 著者が社会に向けての形態に対してこだわるNPOの存在意義について、またその存在について、また学ぶことになると予感した。

 

 企業の社会的責任CSR(Corporate Social Risponsibility)という言葉を目にするが、著者が言うように

市民の社会的責任CSR(Citizen Social Risponsibility) の時代が到来している。

私たちはただの個人か?市民なのか?市民というISSUEも上げてみたい。

 

 

 

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