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ウルトラマンと「正義」の話をしよう 韓国士官P15

投稿日:2012/10/30

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ウルトラマンと「正義」の話をしよう

著者:神谷和宏

Center:蒔田高徳

 この本は成城店訪問時に借りたものだ。以前マイケル・サンデル氏の「これからの正義の話をしよう」という本を読んだ。コミュニタリアニズム(共同体主義)という主義、そして共通善は何かということをその時考えるようになったものだ。正義というのは一方で正義で一方で悪になるようでは本当の正義と言えるだろうか。何が善で、何が悪なのか、誰が味方で誰が敵なのか?真実の正義とは何なのか?北海道で「ウルトラマン」をテキストに、生徒たちに善悪を問う教師の授業が、この本のな中で書かれている。

 ウルトラマンと言えば私の世代では知らない人はいない。また世代を超えてシリーズ化されながらウルトラマンも進化してきた。今ではヒーローものに起用された若い俳優が成功して人気が出る登竜門的なテレビ番組でもあったりして、子供と一緒に見るお母さんたちも、俳優のかっこよさに一緒に見入っているとかいう話を聞いたりもする。

  学校の授業はたいがい教科書どおりにマニュアル化されたような印象を持つが、著者はウルトラマンの映像を素材として、その中にある正義、その中に見る疑問、メッセージを生徒に考えさせる。答えが出る授業に対して、答えとは何かを考える授業を行う著者の授業はTVでも取り上げられたことがある。「核開発への警鐘」「領土問題」「民族問題」など、ウルトラマンの短いストーリー展開の中に社会的なイシューとなるメッセージが人間と怪獣という間柄でたくさん描写されている哲学的要素、その当時のイシューが盛り込まれている作品となっていることは、この本を通じて知った。ただ、ウルトラマンが怪獣をやっつけるだけのストーリーではないのだ。日本国内、また日本から見た世界のイシュー、状況に視聴者の目を向けさせ、世の中には簡単にジャッジするを下すことができない複雑で多様な現実があることを伝える、問題提起に満ちたテレビ番組史上でも希有なシリーズ作品だ。

 

 血を吐きながら続ける悲しいマラソン

ウルトラマンセブンが放送されていた当時はベトナム戦争が進行中の時代だった。セブンの敵が「怪獣」ではなく「異星人」だったこと。同じ星の人類でないというだけで侵略者とみなし、手前勝手に正義の戦いを繰り返すウルトラ警備隊と助っ人セブンに、若い脚本家達はみな一様に疑問を抱く。ベトナム戦争下での放送であり、セブンの戦いを正当化する正義と同様の胡散臭さを誰もが感じ取っていたのだ。シリーズは迷走を続け、最後はセブンがボロボロの状態で地球を逃げ出し、ようやく終わりとなる。それはサイゴンを撤退するアメリカ軍の姿にも似ている。ウルトラマンセブンにはベトナム戦争の影が漂っていると2005年の朝日新聞の記事にはあったそうだ。

 ウルトラマンセブンは、地球人の側に立つ存在だ。モロボシ・ダンという人間の姿を借りて、地球防衛軍内の警備隊の一員として過ごしている。彼は地球防衛軍という正義に加担していると言える。制作の市川氏はそこに正義の名の下にベトナム戦争に介入するアメリカをイメージしていた。それは、セブンのふるう正義に危うさを感じていたということでもある。実際に、このエピソードでは「強力な破壊兵器を用意する」という物騒な備えが地球人にとっての正義となり、ウルトラセブンはそこに疑念を抱きながらも、その超人的な能力で加担してしまうことになる。破壊兵器R1号の実験は他の星の怪獣に被害を与える。セブンが怪獣が暴れることで、人間を守る側として闘うことを余儀なくされるが、人間の都合による正義への加担であり、そこに葛藤を抱く正義のヒーロー、そして、怪獣を倒すことにも苦悩する。そこにある正義はなんなのかである。

 ウルトラ警備隊のキリヤマ隊長と、地球防衛軍のタケナカ参謀、そしてR1号の開発者の会話が象徴的だ。

 

参謀台詞「キリヤマ隊長、超兵器R2号が完成したら、地球の平和は絶対に守れると思うか」

 

隊長台詞「しかし侵略者はそれより強力な破壊兵器で地球を攻撃してくるかもしれません」

 

参謀台詞「うむ、我々はさらに強力な破壊兵器を作る。地球を守るために」

 

隊長台詞「そういえば、ダンがしきりにうわごとを言ったんです。血を吐きながら続けるマラソンだと」

 

兵器開発者「ダン隊員がそんなことを。参謀、人間という生物はそんなマラソンを続けるほど愚かな生物なんでしょうか」

 

血を吐きながら続けるマラソンとは終わりなき兵器開発競争のことだ。この後、タケナカ参謀は、首脳陣に対して超兵器の開発中止の提案をするとダンに告げる。R1号の開発者もそれに賛同する意を表する。喜ぶダンではあるが、すぐにその笑顔は消え、回し車の中を延々と走るリスへと視線を落とし、物語は終わる。いくら走っても終わりの見えないリスの姿は、終わりなき兵器開発競争を続ける人間の風諭だ。BGMが明るい曲調でも主人公ダンの表情は暗いのは一目瞭然だ。

 このストーリーから見る教訓は、自分の都合のみを考えた正義が、立場の異なる側からすれば、脅威でしかないことを示したストーリーだ。このストーリーでは、ダンの思いは通じ、人間たちは自己中心的な正義からの脱却に目覚める。しかし、人間の兵器実験により故郷を失い、復讐に訪れたために絶命したギエロン星獣は、地球防衛のために犠牲となる。戦争と平和、犠牲となる人々。そんな普遍的なテーマを扱ったのが「ウルトラマンセブン」「超兵器R1号」のストーリーだ。

 このウルトラシリーズの葛藤は、今目の前にある「正しさ」を疑うということ視点だ。

時代が平成に移り、「ウルトラマンガイア」では、二人のウルトラマンが登場する。ウルトラマンが二人いるということは、正義が二つあるということだ。一人のウルトラマンは人間の立場の正義を重んじ、もう一人のウルトラマンは人間の正義におもねることなく、地球全体の正義の実現を果たす。そこでは共に正義を主張する戦いが繰り広げられる。これは、現代における正義の主張と似ているではないか。

 ヒーローには正義が必要だ。しかし、その正義を疑うということ、それを哲学するということは視点を主観だけではなく客観視させ、人に考えをくれる。

 

現代の「正しさ」とはなんだろうか?それは数量的、科学的な考え方や合理的な考え方だ。合理主義という正義。戦後の日本の発展は、「西洋的」「科学的」「合理的」に進められてきた。これらについて知るには、近代化の中で起こった「啓蒙」の問題や、混沌とした「中世」と、秩序が形成されていった「近代」との違いから考えなくてはならない。哲学者の西谷修氏は、語源的に「啓蒙」と「光」が同じであることを説き、啓蒙とは、迷信から目をそらさせ、神が世界を創造したという宗教的な価値観を壊すこと、そして合理的な「知」を広める行為であったことを説いている。(啓蒙という語は欧州を起源としている)

 要するに、中世とは神や自然が人間を支配した時代であり、近代とは神の不在が暴かれ、人間が自然を支配した時代の始まりと言える。姿が見えず、人間の理解を超えた神や悪魔は人間にとってはまさに闇であり、その闇の中で生きていたのが中世だった。その闇に光を照らしたのが「科学」だったのだ。ここでいう科学とは技術的な叡智のみを指すものではなく、迷信によらない合理的な考え方を指す。

 このような西洋の中世と近代の違いは、そのまま小さな規模となって日本の戦前、戦後の違いとも重なりあう。戦前の日本には、神を信じる精神主義的な風潮が強く、戦局が厳しくても、いつかは神風が吹くと妄信するような行動が見られたといいます。そんな精神主義からの開放、即ち啓蒙が促され、近代合理主義が台頭するきっかけとなったのが終戦だった。近代科学の負の決勝である兵器に敗北した日本は、今度は近代科学によって復興の道を歩み、高度経済成長を遂げることになる。そこでは啓蒙という光は世を発展させる正義として存在した。一方で、精神主義的なもの、あいまいなものは駆逐され、時代は秩序の方向へと進む。しかし、行き過ぎた秩序化は、過度な管理社会や、画一化を進め、犠牲者を生むこととなる。そこには「排除」という言葉が見えてくる。

 ウルトラマンシリーズのこのような時代を表す哲学的イシューは、私が今も勉強する中で出てくる単語、「共同体」、「公共性」、「排除」、「合理的」「正義」「共通善」「中庸」そういった言葉たちがを思うようになる。

 昨今の私たちが見る正義という価値観やナショナリズムは、「共通の敵や悪を見つけるということで正義は作られる」そして、メディアを通してそれがあたかも真実であるかのように思ってしまう。そのように感じる。それはある意味、先に叫んだもの勝ちかのようでもある。日本、韓国、中国、このアジアの経済国家でも歴史的な問題、領土、さまざまな問題が語られるが、それらの真実は互いに主張ばかりをしている。そして外交的なカード

自分の国に国益があれば良しとする正義ばかりが見える。そこを正義で語ろうとするのは難しいかもしれない。

 私が次に考えている学びの本は正義ではなく、「人間性」である。正義では国家間の問題にはいつも互いの正義を投げ合うだけである。そこに人間性はあるのではなく、ナショナリズムの正義しかないように思える。

 そこに人間性はあるのか?人間性はあったのか?戦争という歴史は、互いに正義と利益、防衛を主張し、その代償として人間性を失う歴史だ。勝者は勝って何を得ただろうか。敗者は奪われ、恨みと復讐の歴史を持ち続ける。

これは、今私が考える、自分の会社という単位でも目指す哲学的な言葉につながっていく。利益だけではなく人間性を高め合うこと、互いの異なる文化、歴史、それらをふまえた上で、互いの理解可能性を高めていくこと。それが国家であれ個人間であれ同じテーマであるように思える。

会社での仕事を通して、人間性を高め、深め、広げ、互いの理解可能性を深め、高め、変化・発展していくことが出来る文化を作っていければ幸せではないだろうか。

 

哲学の勉強は続く・・・。

 

 

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