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越谷店
人間とは何か 韓国士官P13
投稿日:2012/9/25
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人間とは何か
著者:Mark Twain
Center:蒔田高徳
老人と青年が話しながら物語が進んでいく。人生に幻滅している老人は、青年に向かって、人間の自由意志を否定し、人間が全く環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械に過ぎないと論じる。人間社会の理想と、現実に存在する利己心との対置をしながら、マークトゥエインの人間に対して挑発的などこか悲しい哲学を感じる。
私は物語の青年のようにきっと一生懸命反論するだろう。今の人間はその環境も人間が作り出せる可能性を持っているということだ。選択できない環境もあるが、環境に対しての選択の自由を得ることも出来るのだ。霊が見える、対応しなければという人に対して李社長が「人が一番怖い」と言っていたが、そう人が一番怖い。人間を自己中心の欲望で動く機械でしかないと表現する。
そこに作用に人間的価値はあるのか?という老人の質問がある。作用というのは、人間的な意味でも信頼に値する資格があるというのか?
機関の作用というのは、なにも人間的なものではない。つまり、その構造のもつ法則の結果にしかすぎない。機関が設計どおりの作用をするというのは、何も価値ではない。いわば、いやでもそうするより他ない作用。つまり、機関の作用というのは、構造上許されているというか、そうせざるをえなくつくられてる法則を、ただそのままにやるというだけのこと。それ以上でもなければ、それ以下でもない。人間的なんてことは、一切関係ない。選択の余地はない。
これを読んで象徴的に思い出すことがあった。韓国から社長の姪っ子が日本をカナダに帰る為の経由地として空港を利用した時だ。ESTAという制度の手続きがなされていなかった為に、彼女は某航空会社からマニュアル上、搭乗できないということになったのだが、その後の対応をしていて感じたことだ。
某航空会社の日本デスクは、どんなに話しても上司も出てこない、マニュアル、規則での返答しかできなかった。それはお客様に落ち度があって、航空券は変更ではなく、新しく購入するしかないと、購入金額が安ければしぶしぶ納得したかもしれないが、金額は25万円以上するものだった。
17歳くらいの学生が25万も買いなおせるか!もちろん、抗議してESTAという手続きも終わらせての話の上でも、日本デスクは何も変わらない。機関の作用というのは、なにも人間的なものではない。つまり、その構造のもつ法則の結果にしかすぎない。機関が設計どおりの作用をするというのは、何も価値ではない。いわば、いやでもそうするより他ない作用。つまり、機関の作用というのは、構造上許されているというか、そうせざるをえなくつくられてる法則を、ただそのままにやるというだけのこと。それ以上でもなければ、それ以下でもない。人間的なんてことは、一切関係ない。選択の余地はない。その時思ったのは、彼らはただの機関であって、私が思ったのは人ではなかったように思えた。反対に面白かったのは、韓国デスクにその件を話したところ、韓国デスクは「お客様を信じてそうしましょう」と対応したことだ。もちろん、韓国デスクは背景として今まで相当数の対応をしてきたこともあるかもしれない。しかし、日本と韓国の判断の差というところに、私は機関と人、マニュアルと非マニュアル、人間か機関かという印象を覚えた。ロボットか人か制度かなのだ。これは自分が上手に交渉できなかったとも感じることはあるが、交渉の場にいくら電話を待っても責任者は出てこなかった。それがあの某航空会社の日本デスクの仕事レベルだった。「人の振り見て我が振りなおせ」と思った。私たちもそうならないように努力しなければならない。もちろん、状況というものがある。一方にとってのわがままであることと、一方にとっての金銭的・業務的なマイナスもあるだろう。韓国デスクは安い変更手数料で日時を変えて対応した。日本デスクは電話を待たせたあげく、切った。電話を応対した私の怒りのボルテージもあったが、これらのことはいろんなところで現れている。日本は発展した側面、凝り固まってしまった社会悪がある。それが、明らかに悪く作用しており、他の国に追い抜かれる内容にもなっていると思う。外国が手段と方法を選ばないとか、ルールをすぐ変更してくれるとか、そういった事ではない。私が言いたいのは、目的は人なのか、目的は機関なのかということと、目の前のあなたは人なのか?目の前の私を人と思って見たか?と思ったことだ。老人の台詞を見ながら、それを思い出した。
もう一つは、最近行ったライフスタジオ越谷店での難民支援協会との合同イベントで、難民認定であったり、国としての対応という面で、数値的な内容から比較しても日本では、難民に対しての閉鎖的な状態、判断の遅さ、判断する機関はおそらく時間だけをかけてシステムを持っていない。
目的は機関なのか・・・人なのか・・・と感じてしまうところがあった。もちろん安易な判断が出来ないことが多々あると思うが、「そこに人間的な価値があるのかい?」と言う老人の質問が私の頭の中でぐるぐる回っている。
人間は内なるものでなく、外からの作用でつくられる。教育された良心、知覚するだけの動物だと言う。自己承認を求めてやまない主情念というものが、人間の道徳的体質の中にあるという。
精神的満足を得るための自己満足野郎でしかないと。
ある程度、それを考えてみるとき、共感できる部分があり、一理あるかもと思っても、それが人間性なのだと規定したくはない。
人間は機械などではない。人間は意志と気質を持っているし、人間は不自由の中での自由な存在なのだと反論したいが、老人には「自由意志ではない、自由選択をしているだけだ」と
また言われてしまうのだろう。
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