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越谷店
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社会学入門 韓国士官P12

投稿日:2012/9/25

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社会学入門

著者:秋元律朗・石川晃弘・羽田 新・袖井孝子

Center:蒔田高徳

 越谷店の本棚から拝借。社会学入門とある。初版は1978年に発行されている。それなりに古い本だ。社会学というものは範囲が広い。政治学や経済学というものは範囲がそれに絞られるが、社会学というのは政治、経済、法、歴史、文化、医療、保険制度、人、上げ出したらきりがない。端的に言えば、「社会全体を総合的に見る」ということだ。

社会学という名称がはじめて用いられるようになった19世紀中ごろの、ヨーロッパにおいて登場した立場である。この当時の社会学は、経済、法律、政治、等々の諸領域いっさいがっさい包み込んだ社会全体を、総合的に研究することを主張して登場した。当時は真っ向から批判されたそうだ。総合社会学などは学問の名に値しない。それはせいぜい他の学問の成果を寄せ集めただけの、百科全書のようなものにすぎないではないか!と。

現代において、それはどうだろうか?yahoo japan のサイトをスポーツ、エンターテイメント、国際、テクノロジー、科学、経済、政治、その他・・・社会全体の情報を見るのが日課であるが、社会学というものは現代においてとても必要であり、その社会のトピックはそれぞれ違うものの、私たちの時代を彩るそれらは単独ではない、連結、関連性のある内容だと思う。インターネットというインフラがある現代の社会では、社会学というものは経済学、政治学、そういった一つのものだけに留まらない、本に書かれてある時代よりも価値が上昇したものではないだろうか?

 

社会学、総合的立場

総合的立場に立つことによって、社会の各特殊領域を分断して専攻する他の様々な学問に対しても一定の強みをもちうると言えるだろう。ライフスタジオにおいて、A,B,Cチームとグループが別れた。それはいくつかの理由からそのように別れてみたのであるが、ブレインセンターという名称を自分たちでつけたのなら、それはある意味ライフスタジオ内の社会学はもちろん、外の社会学を見た上でも総合的な視点を持って政策や、考えを起こすのがブレインセンターであろう。そうすると、私たちが社会学を勉強するのは必須項目であるということになる。

社会全体の構造、変動、発展をとらえようとするならば、どうしても総合的立場から社会全体を認識しようとする学問が、必要となる。社会学とはこのような要請のもとに登場したのだ。それは、士官学校もそういったものだろう。社会学は切り離せない。これからの私たちの学習討論形式が時事を扱うものになっていくが、それも社会学とつながっていく。このような総合的立場から社会の全体認識に成功すれば、その社会の中に生起する経済や政治の仕組みや動きも、より具体的に理解できるようになるだろう。

 

 

人と人の関係をとらえる

社会学は広範囲に渡る「広義の社会」でありながら、その中に、人と人の関係をとらえると言う「狭義の社会」の分析も入ってくる。この「狭義の社会」に注目し、それを根幹として独立学問としての社会学をうちたてた代表的人物は、ドイツのゲオルク・ジンメルという学者だ。彼の考えによれば経済とか法とか政治とか教育とかは、社会の「内容」をなすもの。しかし、社会には、これらの「内容」を貫く「形式」というものがある。それは人と人との心的相互作用である。人々が相互に結びつき合ったり、対立しあったり、派閥を作ったり、仲間内で団結して外部の者に敵対したり、といった関係がそれだ。このような関係は、経済のなかにも、政治や法の世界にも、どこにも存在し、しかも既存の学問が正面から扱ってこなかった領域である。そこに社会学独自の固有な研究領域があるというのだ。

 ライフスタジオで働いて、スクールやサークルというものが出てきた。私もなぜだろうかライフスタジオで働いて学びながら今注目するようになった単語の中の一つに「コミュニティ」「組合」また「プラットフォーム」という言葉たちがある。結局のところ、それらは人と人がつながる「形式」である。社会についても経済、法、政治、とかの「内容」を扱う学問があるが社会の「形式」を対象とする学問が成立する。今私が学ぼうとしているのはとても「形式的」なものだと思う。「内容的」なものも同時に学ばなければならないが、

私は今「形式」を欲しがっているようだ。李社長が共済組合の話をした時にそれはとても形式的なものだと言ったが、それは正しい。ただ形式的なものに内容がなければ箱の中は空というふうになる可能性もある。私は箱も中身も両方を備えたかたちを作りたいと心から思うのだが、その為にも一人ではなく、思考する人のつながりが欲しい。形式だけの集団にはなりたくない。そうすると、ただの集団ではなく、思考するコミュニティ、同じ内容を定義する組合やサークル、コミュニティという単位を私は考えるようになったのだ。もちろん、ただの形式だけではいたくない。

 私は最近、企業の本をよく読む。企業というそれは社会形態である。経済学なら資本とか労働力とか利潤とかのカテゴリーを用いて分析する。経営学の側面で分析するなら、財務諸表の分析を行ったり、企業内の公的な制度を研究したりする。

これを社会学として企業の研究をするときは、生身の人間が集まって作っている集団としてそれを見る。つまり人間に遡及して研究する。視点はそこにいく。それらは、ただ売り上げ、製造の付加価値、財務諸表、利益などを見るよりも遥かに楽しいものだ。私たちの会社を分析した時に、それが楽しく研究の対象になるようである未来を想像しよう。その為のホワイトボードかもしれない。

 

 社会学的なものの見方

3つの方法的立場

1.        方法的個人主義 人間個人をとおして社会をみていく

2.        方法的社会主義 個人を超えた、社会そのものの構造、機能、変動の把握に焦点を置く

 

3.        方法的関係主義 個人または社会を実体として前提するのはおかしいという観点から、人と人との間の機能的関係から諸現象を見ていく

 

マックスウェ-バーの人間行為から社会を見ていく社会学

マックスウェ-バーの本を読んだことはないが、近代資本主義はなぜ西欧で発達し、他の地域では発達しなかったか。という内容を彼は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本で、宗教倫理と結びつけてとらえて見ている。

この理論を書き出すとウェーバーの資本主義が西欧で発達した論理の分析は少し長くなるので省くことにするが、それに関連して思い出したのは、アメリカの大統領選挙での候補者のロムニー候補がモルモン教からの指示を得ていたニュースを見た時だ。

アメリカのユタ州は人口の約70%がモルモン教徒だという内容をテレビで見たことがある。モルモン教徒は勤勉でよく働き、それによってユタ州の経済や雇用は良いのだという内容が挙げられ、アメリカの政策課題である経済回復に視点を置いてロムニー候補を様々な側面から押している報道だった。それだけの材料だけでは押せないが、ロムニー候補の経営手腕の点での経験は強みだと思った。まぁ簡単に似たような例で言うとウェーバーの資本主義発達の一つの視点はこのような事と似ている。

ウェーバーはこの他にも「支配」という考察を上げている。支配というと一般的には、権力を持っているものがそうでない弱いものを牛耳っている構図を思い浮かべるかもしれないが、ウェーバーは「支配が成り立つためには、支配を受ける側に、支配者の意思を受け入れ、それに自発的に従おうとする何らかの用意があることが条件だ」ということに目をつけた。つまり、被支配者が支配に対してそれを「正当」なことと受けとめることによって、はじめて支配が成立する、というのだ。

私には言っていることや事例からは一部、わかるような気もするが、その観点は、あまり正当性や人々の支持を受け入れることが難しい面があると思う。支配という言葉自体がどのような角度でいくら正当性を持たせる主張をしたとしても、全ての人に普遍的な正当性を持つ単語として見えないからだ。

 

マルクス主義の社会理論

では社会意識はどのように形成されてくるのか。またそれはどのように変動していくのか。これを説明するには、社会意識そのものからではなく、社会の他の要因との関連でみていくことが必要になる。ここで、社会を「意識」からではなく、「存在」から解き明かすことを主張したカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの説が出て来る。

 彼らが基礎を築いた史的唯物論の考え方によれば、社会は個人の意思から独立した客観的な必然性に従って動いていく有機体である。そしてその社会の土台をなしているのは社会意識なのではなく、社会の経済的構造、より正確には生産活動において形成されている社会的諸関係なのではり、社会意識はそれに規定されている、というのだ。

史的異物論は人類史を生産様式の違いによって段階区分し、各段階の社会を経済的社会構成体と呼び、その内部の構造と変動、またある段階から次の段階への構成体の移行を、個人の意思から独立した客観的・必然的法則によって説明しようとした。要するに、それによれば原初的な共同体が崩壊し階級社会があらわれたのは、誰かが好んでそうしたからではなく、共同体内部で自然と生産力が高まったからなのであり、資本主義のもとで恐慌がおこるのは誰かがわざとそれをおこそうとしたからではなく、競争と生産の無政府性という資本主義経済の体制そのものの本性によるものであり、失業者が出るのは彼らが怠け者だったからというよりも、むしろ資本主義経済の不安定性から結果されるのであり、労働者階級の勢力は資本家個々人がそれを望まなくても資本主義の発展によりもたらされるのだ、というのだ。

 では、史的唯物論においては、人間の主体的営為はまったく無意味とされているのか?

史的唯物論では、人間の主体的営為も客観的な社会の必然的運動法則との関連で説かれている。そこでの人間主体は階級として把握されている。と同時に、階級は社会に対して働きかけそれを変革していく主体として運動する。そしてその運動の結果、新しい階級関係が形成され、各階級はそのなかでまた新しい地位、状態、使命と運動を規定される、というように把握されている。

 ばらばらな個人を階級としてまとめていく組織とリーダーシップの機能、諸個人のもやもやした社会心理を一定の階級行動へと導いていくイデオロギーの役割、など史的唯物論は社会を静止した固定的なものとしてではなく、絶えざる変動の中にある動的なものとしてとらえる。その観点からすれば、ある時点で生み出された変悪のための組織とリーダーシップ、あるいはイデオロギーが、つぎの時点ではそれのおかれた社会そのものが変化することによって古くなって使い物にならなくなることを認めなければならない。

しかし、いったん形成された組織とリーダーシップ、イデオロギーなどは、それ自身一人歩きをはじめて社会的現実に対する柔軟な対応を欠き、変革を望まなくなりがちとなる。ここに組織やイデオロギーと、個々人の主体的営為とをめぐる、ダイナミックな諸問題が、よりミクロな領域でたちあらわれてくる。

ライフスタジオでよく言われる「変化・発展」という言葉に近づくと「個人の変化・発展」はもちろんなのだが、個人の変化・発展を推奨することは「変革を望まなくなる組織とリーダーシップに対しての牽制でもある」とも思うようになるのは気のせいだろうか?それともそれは本質だろうか。

 

コミュニティの現実

本はインターネットがまだ無い時代に書かれている。都市化という新しい構造が出来ながら、コミュニティは崩れ行くとも書かれている。本が書かれた時と時代背景が変わった部分もあるが、私は今こそコミュニティは新しいエネルギーの時代だと思う。インターネットやSNS、各プラットフォームは人と人をつなぐその手段として良い形での利用がされている。時間、距離を場所の制限を越えることができる。

もちろん全ての活用が良くはできていないが、本来の目的は人と人が、情報がつながっていく手段だ。

 

コミュニティがなぜ重要か?

生活を支える社会的単位、基礎的な社会的単位であり、地域的な共同性の内に維持されていく生活の単位でもある。この地域的なという言葉はインターネットの普及から、コミュニティの範囲もローカルからグローバルに出来るようになったが、都市機能、現在の社会で失われた共同性を生活の中に取り戻すことができる。私たちは、生活者という単位にすると皆が同じになる。その中が各各分離され、関係がなければ共同性も公共性もなくなってしまう。コミュニティというものは、一つの社会的単位でありながら、人々が政治参加を果たす基本的単位でもあり、民主主義を支えていく基本的単位とも本では書かれてある。民主主義の崩壊を危惧する事を書くような本があるが、そういった観点で見る時には、コミュニティというものはただの人がつながる単位と見る軽いものではなく、無限の重みをもつことになる。

ライフスタジオにもこれからも、サークルが出来ていく。またそれらは発生しては消えていくものもあるかもしれない。それでも何かしらのコミュニティが形成されていくと思う。それはweb上でも実際の現場でも構わないが、人と人がつながっていく一つの小さな社会として形成されていくだろう。それが良く形成されていくためにも一人一人が社会と個人の関係性は社会に依存ではなく、社会と個人、会社と個人も自立した関係性であることが望ましい。そのために、今勉強しているのではないだろうか。35P、12P。朝一夜一、週4日勤務一日学習、サークルなどなど、私はライフスタジオのシステムが小さな規模ではあるが、これからも人を自立した人間を良くつくっていくことが出来ると信じて、今目の前にある各プログラムを行っている。自分自身の課題をこなしながら、個人の発展や成長が感じられる。

今度はそれが個人を超えてつながっていくこと、それが私の次の勉強になる。

 

社会学入門の中での書かれてあるトピックは他にも「地域社会、家族、社会変動、都市とは?」他にも自分の所見と思うところはあるが、すべてについて書き出すと、本になってしまうのでこの辺で読書感想文を終えることにしよう。

 

 

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