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走る哲学   韓国士官P4

投稿日:2012/9/18

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走る哲学

著者:為末 大

Center:蒔田高徳

 為末大。陸上競技の選手として時の人だった。テレビの前で自分も興奮したのを覚えている。世界陸上で男子日本人がメダルを取る光景、世界の超人たちを相手に活躍する姿はあまり、記憶にない。ハンマー投げの室伏選手はすぐ思い出すが、今まで陸上競技でメダルを取ってきたイメージは女子マラソン選手。男子の陸上競技は本当に世界の壁が厚いのだ。為末選手は、身長170センチしかない。ハードル競技は、陸上短距離の中でも身長というものが大きく優位にはたらく競技だ。彼の走りをテレビで見て、日本人は勇気づけられた。他に比べて小さい、弱点がありながらも、世界で勝つといったように。2001年世界陸上エドモントン大会で銅メダル。それ以降、為末選手はメディアにもよく登場するようになった。今回は書籍で見る訳だが、「走る哲学」という著者らしいタイトル。本を開けば、一人の人間が自身と、社会と戦い続けながら思考し続けた本当に深い哲学の世界だ。これらは、本人がtwitterを通じて社会に向かって出した言葉の集まりでもある。しかし、その言葉の質の高さ、哲学に多くの人が反応した。

 

「個性は偏りだ。短所から戦略は生まれる。欠点は直すより、使いこなす」

自分の働く現場の個性、特徴は偏っている。一見、お客様と喜びを直接分かち合うスタジオ業務と比べると、どこかで光と影のようであり、短所ばかりのようでもある。けして明るく華々しいとかいう現場ではない。しかし、言葉のとおり、その短所から戦略は生まれる。時間をどのように使うかということは、長所に変わる。欠点は直すのではなく、使いこなす。これらを言語化すると、自分たちの現場の働き方ということを昇華させることができる。

 

「感情より自分らしい理性なんてない。」

私もそう思っている。感情と理性とどっちが先なのかという話、自分の頭でもよく考える。理性的に・・・しかし、感情の方が先立つのが人間らしい。しかし、どちらも欠かせない事だが、欠かせないという言葉には「欠」という漢字があるように、人間は欠点があることが人間なのだ。人間の最大の魅力は欠点があること。と誰かが言ったのを思い出す。

 

「他人になろうとする者は、自分になれない」

自分自身、何になろうとしているのかを考える時がある。しかし、周りの期待や周りの声に惑わされて、人の誰かを演じてしまうのでは、自分は何なのだろうか?この言葉は自分らしく生きていくということが、他人を基準にすることではないということ。それは当たり前のことだが、見失いがちなことだと思う。

 

「問いを恐れない。問いは否定ではない。問えないのは弱さ」

これは、私も日々感じていることである。アリストテレスも同じようなことを言った。自分かまず無知であることを悟ること「無知の知」こそが真の知への出発点であると唱えたように。また、私たちの生きる現場でも同じように思う。問うことこそが、考えを産み出す。

 

 著者は25年間走り続けてきた。走りたくなかった時期もあったし、強烈にモチベーションが湧いた時期もある。人間は社会的存在だから、環境で揺らぐ生き物だ。揺らがないで一心に努力し続ける姿をアスリートに見るが、本当は揺らぐ自分を責めたりせずに、上手に自分を揺らしてあげているのだと思う。それは諦めたのか、それとも違うと気づいたのか。それは貫いているのか。執着しているのか。この境目が難しいという。この境目を上手に知る方法もないと思う。唯一の道しるべになるのが自分は本当は何をやりたいのかということ。 

 

変化をつける

人生が上手い人は変化をつけるのが上手い。少しだけいつもと道を変えて小さな感動を集める。いつもと違う人と会って小さな学びを集める。自分で変化をつけられるのが上手い人の人生。変化が起きてくれるのを待つのが、下手な人の人生。

 

やりたい事がない

 社会においての役割が生まれながらにして決まっていたのが旧社会で、社会においての役割を自分で探し出して適応するのが新社会。昔はやりたいことが出来ない事を嘆いた。今はやりたい事がないことを嘆く。自分のやりたい事を見つけている人を人は幸せだと思う。夢はなんですか?やりたいことは何ですか?と問い詰められるたびに混乱する。ない人にはない。重要ではない事に人生のほとんどの時間は使われる。みんなが重要だということが重要だと思い込んでいると人生を棒に振る。いったい何が本当に重要なのかという問いを避けて人は今を生きる。問いは辛い。先も見えず、問えば問うほど孤独になる。それに耐え切れなくて人はあらかじめ用意された皆と同じ価値観の中を生きる。

 

限界の概念

 限界の概念を持って自分の強みを考えると、苦手なものを克服している時間などなく、得意なものを徹底的に伸ばす方法の方がいいということがわかる。20~30年程度の競技生活では弱みを潰すには時間が足りず、自分を活かしきることに専念しないと戦えない。

人がクリエイティブになり、何が重要で何が重要でないかを考える状態は、死をもって人生の時間にキャップされた状態。死を考えるから時間に限りがあることを意識し、時間に限りがあるから何に時間を費やすべきかを考え、何に時間を費やすべきかを考えると本当に自分にとって大切なことは何かを考える。

 

夢中の集積

 「何かを達成したアスリートの足跡を見て、それが努力の集積に見えてしまいがちだが、ほとんどの場合それらは夢中の結果である。だから努力は本質ではない。努力は夢中の副産物。最もやってはならないのは夢中の子供に、夢中の仕方を押し付けることである。夢中は自由の中にしかない」

 夢中は自由の中にしかない。私は今夢中になっているのか、それとも義務的なのか、夢中になりたい。夢中となることができれば、努力が本質ではなくなる。こんな哲学的な言葉が出せるのは、その本質と向き合った思考をしなければできない。

 

人は変われるか

 本質的な人の性質は変わらないし、変える必要がない。ただその性質がネガティブに向かっているものをポジティブに変える事はできる。これが人は変われるという意味。性質を変えることではなく姿勢を変える事。大事なのは本来の自分を認めること。そして、その自分の扱い方を覚えること。努力とは自分の延長線上に向けられる時に効果がある。人は変われる。それは人生の姿勢において。そして自分でいる事をやめる必要はない。他人になる必要はない。

 

 著者の言葉の中から、現在における社会の評価、それを気にするあまり、人は自分を見つめるのではなく、他人を、周囲を見つめてしまう事にエネルギーを注いでしまうことに注意を払っている。スポーツ選手は特にそうなりやすいのだろう。結果がメディアに評価され、歩けば人に良い言葉も悪い言葉受ける対象になる。その中で、自分を見失わず、社会が自分の主人なのではなく、自分自身が自分の主人になることで、自分のモチベーションは動いていくのだ。著者が走り続け、競技人生を引退し、新しい人生を歩んでいるのを言葉を通して感じることが出来た。私の中にも哲学が少しずつ出来ていく。

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