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越谷店
『働き方』読書感想文 著者:稲盛和夫 士官学校P37
投稿日:2012/7/31     更新日:2023/4/10
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働き方
著者:稲盛 和夫
Center:蒔田高徳
この本は越谷店の本棚に置いてあった。以前から注目する偉大な経営者、稲盛和夫の著書だった。アメーバ経営という経営方式、経営哲学が有名だ。現在はJALの再生を国から依頼を受けて、JALの企業再生をその経営哲学を実践しながら、また現時点でそれはV字回復という表現が似合うだろう。現時点では必死の努力のもとで、企業再生が成功的に行われている。
本書のタイトルに小さく「なぜ働くのか」「いかに働くのか」という言葉が書いてある。
私たち一人一人に聞くと、それは生活の為と答える人が多いだろう。もちろん、私も同じようなものだ。以前全体の討論の主題が「自分がお金を稼ぐ目的は何なのか?」そういった主題があった。それに答えなければならない自分は、正直、「生活のために」と答えるのだが、なんだかそう答えるのは堂々としながら、何か恥ずかしいことのような気持ちもして、それを認める自分も認めたくない自分もいる気分は矛盾状態だった。その自身に対するイライラを抑えられず、働き方について、もっと考えるようになったのは言うまでもない。そのエネルギーはイライラはずっとの原動力にはなれないが、今もその火がおさまらない。
「働くということ」は試練を克服し、運命を好転させてくれる、まさに「万病に効く薬」このように著者は言っている。今の自分の仕事にもっと前向きに、できれば無我夢中になるまで打ち込んでみてください。そうすれば必ず、苦難や挫折を克服することができるばかりか、想像もしなかったような、新しい未来が開けてくるはずです。一人でも多くの方々が、「働く」ことの意義を深め、幸福で素晴らしい人生を送っていただくことを心から祈っています。著者は祈っているのだ。実際に神を信じている人が熱心に祈っているように、実際、そのメッセージ、エピソードからは祈りにも似た何かを感じる。けして、神や宗教を教わっている訳ではないのだが、そのような人間の美しい本質的な部分を語る、そんな文を読みながら、違和感ではなく、どこかお坊さんに仏の悟りを教わるようなそんな気持ちにさせられる。
第一章「心を高める」ために働く―なぜ働くのか
第二章「仕事を好きになる」―ように働くいかに仕事に取り組むのか
第三章「高い目標」を掲げて働く―誰にも負けない努力をする
第四章 今日一日を「一生懸命」に働く―継続は力なり
第五章「完璧主義」で働く―いかにいい仕事をするか
第六章「創造的に働く」―日々、創意工夫を重ねる
目次にその働き方に対しての哲学の根幹が現れている。私はこのように、ほんのかけらでも考えただろうか?考えたことすらないと思う。つまり、「ただ、なんとなく働いていた」と言っても仕方がない。実際そうだと思う。なんとなく、嬉しかったり、なんとなく悔しかったり、明確に何かをということはあまりなかった。その時々、あるくらいで具体的な自分ではなかったのだ。「本当に価値のある人生」を送るために。そのようにこの本は始まる。今までトヨタ、ホンダ、マツダ、有名どころの企業の本をたくさん読んできたが、そこで働いている人たちの働き方、生き方を見ていると、働くことに、生きることに真剣であり、本当に価値のある仕事を成してきたと感じながら、また熱く生きているということがとても輝かしく思えるのだった。何もスポーツやオリンピックの選手だけが輝いているだけでなく、その人たちの真剣な思い、姿勢から形になる事柄がそれらに全く見劣りしないほど、働くことは美しいと思えるほどに、思うのだ。私の働き方は美しいと言えるだろうか?そうでなければ、もっと真剣になれる何かがあるだろか?それは自分自身の中で見つけて、仕事という道具を通じて輝かせられればと思う。読書や、読書感想文はそういった心の気づきを与えてくれる。それを正直に言葉に、文字に表す時に、自分自身をもっと客観的に確認していく作業のようだ。お寺に入ってお経をひたすら筆で書いていく姿の現代版なのだろうか。
この読書感想文年内100冊という目標を達成したら、その目標を果たした中での、自分の整理を行い、もっと爆発的なエネルギーを今までに使わなかったところで使おうと思っている。そう考えるとこの100冊を終わらせることはわくわくする希望が溢れてくる。
第一章「心を高める」ために働く―なぜ働くのか
何の為に働くのか―その理由を、「生活の糧を得るため」と考えている人がたくさんいる。もちろん、私もその一人だ。食べるが為に必要な報酬を得ることこそが労働の価値であり、働くことの第一意義であるというわけだ。もちろんそれが大切な理由の一つであり間違いない。ただ、私たちが働くのは、そのためだけではないはずだ。人間は、自らの心を高めるために働く―稲盛和夫はそのように考えている。働くことの意義がここにある。日々、一生懸命働くことは、私たちの心を鍛え、人間性を高めてくれる、すばらしい作用があるということだ。それを語る著者が感銘を受けたエピソードがある。テレビのインタビューを見ていたとき、ある宮大工の棟梁が「木には命が宿っている。その命が語りかけてくる声に耳を傾けながら仕事をしなければならない」「樹齢千年の木を使うからには、千年の月日に耐えうるような立派な仕事をしなければならない」―棟梁はそのように語ったという。
このような言葉は、生涯を通じて、仕事を真正面から向き合い、努力を重ねてきた方でなければ、とても口にはできない。「大工の仕事を究める」ということは、ただ単に大工の仕事をして素晴らしい建物を作り上げる技術を磨くことだけをいうのではなく、心を磨き、「素晴らしい人間性」を作り上げることにもある。
私たちが写真を取り、顧客と接し、また自身と向き合い、人の人生と向き合う中で心を高めるそのような視点まで来ることが、日々できたならとても素晴らしいことだ。業務の習慣になるのではなく、日々が心を高める機会の日々となりたいものだ。
著者がドイツ領事の人との対談があった時、このような話を聞いたという「労働の意義は、業績の追求のみにあるのではなく、個人の内的完成にこそある」働くということの最大の目的は、労働に従事する私たち自身の心を練磨し、人間性を高めることにある。
「働くことが、人をつくる」すなわち日々の仕事にしっかりと励むことによって、自己を確立し、人間的な完成に近づいていく。
南太平洋・ニューブリテン島のある未開部族の村落では、「労働は美徳」という考え方があるそうだ。そこでは、「働くことが、よい心をつくる」「よき仕事は、よき心から生まれる」というシンプルな労働観を中心に生活が営まれているというのだ。そこには、「仕事が苦役」という概念がまったく存在しない。村人たちが働くことを通じて目指すものは、「仕事の美的成就」と「人格の陶冶」つまり、美しく仕事を仕上げること、それを通じて人格を磨くことだといいます。村人たちは、畑の配置、作物の出来栄え、土の匂いといったものを評価しあうのだそうだ。例えば良い匂いのする畑、土は「豊穣」であり、悪い匂いのする畑は「不毛」であるというように。つまり、労働の結果である畑や作物の出来栄えを通じて、その人間の人格の高さが判断されるのだ。いい仕事をした人は「人格者」として評価を受ける。以前メジャーリーグのイチロー選手の本を読んだ時に、「今年一年の自分の芸術作品を見てください」そのような台詞を見て驚いたことを思い出した。まさに、仕事が苦役ではなく、仕事は芸術であり、美徳なのだ。私の仕事や労働も、ある一定の評価の時が来るときにそれを芸術や美徳とすることができるだろうか?今からでもいいのだ。意識を上げることは今日この日からでも出来る。がんばろう。
「自燃性の人」となる
物質には、「可燃性」「不燃性」「自燃性」のものがある。同様に、人間のタイプにも火を近づけると燃え上がる「可燃性」の人、火を近づけても燃えない「不燃性」のひと、自分から燃え上がる「自燃性」の人がいる。何かを成し遂げようとするには、「自ら燃える人」でなければならない。自ら燃えるためには、自分のしていることを好きになると同時に、明確な目標を持つことが必要だ。「自燃性」の人は人から言われたから仕事をする、命令されたから仕事をするといった人ではない。言われる前に自分からやるという積極的な人こそが「自燃性」の人であり、それは仕事を好きになった人であるはずだ。今の私はどうだろうか?自分で燃えている・・・が仕事が好きかどうかはわからない。好きになることが出来たならもっと燃えることが出来るのだろう。もう少し違った視覚の角度を自分の中で見ることが出来たら、今よりもっと仕事を好きになることができそうだ。正直に言えば、今の仕事が好きではないのだ。それを自分が好きになれるように作ること、変化させることができるのであれば・・・もっと燃えることができそうだ。燃えよう。
神が救いの手をさしのべるほどに、頑張れ
「おまえがそこまで努力したのなら、その願望が成就するよう助けてやらなくてはなるまい」と神が重い腰を上げるくらいまでの、徹底した仕事への打ち込みが、困難な仕事にあるとき、また高い目標を成し遂げていくときには絶対に必要になる。と著者は言う。著者のエピソードを見ても、登山家が不可能に思える条件で山の頂に向かうドキュメンタリーとよく似ている。「天が味方したとしか思えない」そのようになるまで諦めずに努力を傾ける姿勢。すごいことだ。それはなんだろう・・・私の考える「仕事」という言葉の概念とは違うようだ。
以前こんな言葉を聞いたことがある。仕事という言葉は同じ発音で自分の志す事を言う「志事」。同じ発音でも志事という言葉に置き換えろと。誰かに「仕える事」を仕事にしてはならないと。燃えるではないか。
「ベスト」ではなく「パーフェクト」を目指す
著者のエピソードの中でなぜパーフェクトを目指すのかについて書かれた部分がある。ある時、フランスの大手一流企業の社長が著者と経営哲学を語り合いたいと訪ねて来た際に、夜遅くまで語り合う機会があったそうだ。その時、相手の社長が「私たちの会社では、ベストを尽くすことをモットーにしている」と話したのだ。それに対して著者は、賛成の意を表しながらも、次のような持説を述べた。
「ベストという言葉は、他と比較して、その中ではもっともいいといった意味で、いわば相対的な価値観である。したがって、レベルの低いところでもベストは存在する。しかし、私たち京セラが目指すのはベストではなくパーフェクト(完璧)である。パーフェクトはベストとは違って絶対的なものだ。他との比較ではなく、完全な価値を有したもので、他がどうであれ、パーフェクトを超えるものは存在し得ない」著者はこのように主張した。その夜、「ベスト対パーフェクト」の議論が深夜まで続き、そしてついに相手の社長が「あなたの言う通りだ。今後は我が社でもベストではなく、パーフェクトをモットーにしよう」と、著者の意見に同意してくれたのだという。著者の考える「完璧主義」とは、「よりよい」ものではなく、「これ以上はないもの」を、仕事において目指し続けるということなのだ。
熱い、熱い、熱過ぎる!!かっこいいのだ。
通い慣れた道ではなく→新しい道へ
舗装されたよい道とは、誰もが考えつき、実際に通る常識的な道のこと。そのようなことでは新しいことはできない。ライフスタジオは何か新しい機械や製品を作るような製造業ではない。それでも、新しい道をいつも探してきたようだ。それは、今でも続いていて試行錯誤中であるし、それに対しての評価も必要だ。撮影の方法や技術だけではない、私たちの生き方、働き方、考え方をいつも悩み考えている。現在のKDDI事業の創業に進み出す際、著者の新しい道の選択にはたくさんの悩みと、その悩みに対する明確な答えが自身の中で出した時、新しい道が大きく険しくとも、どんなに不利な状況でも進んでいく姿、その中に、自己顕示欲や自分がもっと金持ちになりたいではなく、「一切の私心はない」ことを確かめた上で、創業に踏み切ったのだ。そして、現在JALの経営再建の打診を受けた際も断ることもできたのに、自身に問いかけながら。
純粋で美しい思いを強く抱き、誰にも負けない努力を積み重ねることができれば、どんなに難しい目標でも必ず実現することができる―それは、京セラやKDDI、JALの成長発展の歴史が証明している著者はその中に「真理」があると考えている。
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する
これは以前に読んだアメーバ経営でもあった内容だ。私自身は楽観的な人間だ。そして、楽しいことばかり考えようとしている。そこにもっと深い緻密さと、これからの良い成果、結果がほしいと思う。
この本で学んだように、私自身の心を高めることが仕事となるように、また志事となるように、私自身の心をもっと見つめて生きたいと思う。
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