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越谷店
インセンティブ 士官学校26
投稿日:2012/6/29
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インセンティブ
著者:Tylor Cowen
Center:蒔田高徳
図書館で本のタイトルと本のカバーの絵を見た瞬間借りることを決めた。表紙の絵にはにんじんがぶら下がっている象徴的な絵が描かれていた。
会社で言うインセンティブは、本来モチベーション、動機付与の金銭的な報酬と私は思ってきた。実際、金銭的な報酬として考えてしまうことが社会人の習慣かもしれない。
この本を読むことで、そのインセンティブというものは、結局、自らの内から出て来る、自ら与えることのできるお金だけではないものだと定義するようになった。
それならば私にとってのインセンティブとは何なのだろうか?私にとってのインセンティブこそ、私にとっての自由でなければならないと思う。
自由という言葉には「自」がある。つまりまず、自分を知らなければならない。自分という人間の望むこと、それを知らずして自由を求めていても自由がよくわからないだろう。自分勝手と自由は違う。この本の中でインセンティブという言葉があるが、それはイコール自由と定義はできないにしても、近い存在だと私は感じる。
私は痩せたいと思っていても、強制されると楽しくなくなる。外的なインセンティブが強すぎると、内側からのやる気がなくなるのだ。運動はしたくても、同時に主体性を失いたくない。自分が決めたプログラムでも、奴隷のようになったように感じるのではうまくいかない。「人生はプロセスであり、自らコントロールできる」この言葉はよく耳にしてもプロセスを気にしすぎて失敗を重ねてしまうことはあまり、よく知られていない。
人間は義務になった途端、やらなくなるものだ。要するに、当人が主体的に関わっていないと感じると、賞罰システムはうまくいかない。インセンティブを導入するなら、敬意をもってシステムをつくり、少なくとも助言という体裁をとるべきだ。報酬に伴って社会的地位が上がる場合は別だが、そうでないなら賞罰をなくすべきだ。そうしないと、報酬が大きければ大きいほど、内側から湧いてくるやる気はそがれる。
だからこそ自ら取り組んだプロジェクトは、満足感が大きい理由もここにある。もっとも成功の見込みがあるか、そう思い込める場合の話だ。今私はやる気がある、私の内側から起こるインセンティブが私を動かしている。
娘が部屋のそうじをして、その代わりにお菓子をもらおうとしないことも、主体性を失いたくないという本人の欲求が働くのだ。親のほうびをあてにして、いいなりになっていると、自分の主体性でなく親の操り人形になりそうで怖いのだ。外的な賞罰のシステムだけのインセンティブには欠点がある。普通は、他人の行動に影響を与えるために賞罰システムを使うだろう。そして、そのために、当人は主体性を失い、行動の自由がないと感じるのだ。多くの人は、こうした感覚や、感覚を生み出す原因に反発を覚える。だからインセンティブの効果がなく、むしろ逆効果にさえなるのだ。
この本を読んだあとに、雑誌で北朝鮮の強制労働施設で生まれ、脱北した人のコラムを読んだ。北朝鮮という国の中で、不適切なインセンティブが人を監視し、家族さえ監視し、裏切ることで得られる報酬で、人を何にするのか。悲しいコラムに見えたし、人を何だと思っているのか、インセンティブの間違った使われ方をしている社会で、人が人でなくなるような告発の社会、簡単に人が殺される社会で、自分が親を告発することで、親が殺されても罪の意識さえもわからなくなってしまった子供を作った環境がそのコラムを見て悲しかった。
私の内から、私を動かす私自身のインセンティブの力。よく最近本を読んでいる量のことで、褒められたりすることがあるが、私にとって本を読み、読書感想文を書くことは多少の苦労はあったとしても、それを自分自身への義務とは感じていない。
それら一つ一つを達成することが、今の私にとっては、一つのインセンティブなのだ。そして、一つ一つが私を不自由ではなく自由にしていると感じている。
私の内側の力がこれからも持続してほしい。また、時間が経過しながら、自分自身の目標設定が変わりながら、自分にとってのインセンティブが変化するだろう。
そして、この読書感想文を書き終えて、私はあと約2時間後に、私はついに20代からついに30代となる。ついに30歳になるのか。良い30代の人間になりたい。
Happy birthday to me. 6月29日 21:55
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