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人生に哲学をひとつまみ・【ソクラテス】仕官学校24

投稿日:2012/6/28

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人生に哲学をひとつまみ・【ソクラテス】

著者:生井利行

Center:蒔田高徳

 この本を読むのは二回目だ。良い本だったので何回も読むことになりそうだ。

100冊の読書感想文を年間の目標に掲げた。それをやったから何なのだと、時折思ってしまうが、知識や物語をたくさん頭に入れたから何なのだろうか?頭が少しでかくなったから偉いというわけでもない。しかし、本を読めば読むほど、もっと知りたくなることがあるし、自分自身が無知だということを認めるようになる。本を読みながら自分が無知であることを認めることを私はまったく恥ずかしいとは思わない。むしろ、自らの無知を認め、知らないことを知ろうとすることこそが、人間らしいのかと思っていた矢先、ソクラテスのことをもう一度思い出すのだった。

 本当の知は自分の無知を知ることから始まる

人間には、少し何かを学び、それによってある程度の評価を得ると、人前でさもたくさん知っているかのように振舞いたくなる習性がある。学びの道というのは決して簡単な道ではないのだが、時として人間は愚かにも「自分は多くのことを知っている、何でも知っている」という錯覚に陥ってしまう。「自分には限られた知識しかない」ということは、自分自身がよく知っているはずなのに・・・。

 だが、よく考えてみれば、「自分では何でも知っている」と軽々しく言うことは、実は「何もしらない」「そこそこに知っている程度だ」という証のようなものだ。多少の学問を修めたところで、その知識は決して万能ではない。それ故にソクラテスは、自分は何でも知っていると自負する者は、実は「何も知らない者」であり、人間は自らをそう思っているうちは、本当の知には到達できないと力説したのだ。

 自分自身の無知に気づくことが、「本当の知」への扉を開ける-この考え方は古代ギリシャ時代だけでなく、21世紀の現代社会においても十分通じる考えだ。私が、たくさんの本を読んだだけで、その中から得たことは些細なことだ。誰かから見たら大きなことかもしれないが、愛とは何か、自由とは何か、生きることとは、簡単に答えの出ない、また人によって答えの違う命題をいつも問いながら「まだ、それはわからない」という自分や、人となんだろうねと言う言葉の中に、無知だという事を知りながら、そして考えながらまた年を重ねていき、いつの間にか老人になってしまって、いつか知がまた無知に帰ってしまう時、私の精神はどれだけ残るのか・・・それさえも無知であるが、その先にもある知の世界があることを私は信じたい。そして、信じるではなく、知っているとできれば言いたいものである。

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