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洗脳力 士官学校23

投稿日:2012/6/28

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洗脳力

著者:苫米地英人

Center:蒔田高徳

 この人の本は毎回おもしろい。Bookoffで100円で売っていたから、また買ってしまった。今回この人の著書を読むのはこれで3冊目になるだろうか。この本の中で「抽象度を高める」ことが一つのキーワードだと言う。

よく抽象的なことを、もっと具体的に・・・と要求されることはないだろうか。それとは反対のことを薦めているのだ。私自身は抽象的なことが頭の中でいつも動いているし、頭の中はいつも仮説でいっぱいだ。具体的なことはその後での話だ。よくマニュアル以外の対応で当惑している人を見ることがある。そんな時に、さらに一緒に当惑して不安な電波が人々の中で流れていることがある。もちろん、誰だってそういうことがあるかもしれない。しかし、その場合にもちろん寄るが、私はあまり人よりは動じない。私の考えの幅はもっとその人たちの状態よりも、抽象度が高いからだと思う。人から見ると無神経に思われることもあるだろう。しかし、不安な状態や、極度の緊張状態よりも、そうでない状態の方が幸せではないだろうか。

私もまた、自分を洗脳しているのかもしれない。また、社会の中で私たちは大きく洗脳されているのかもしれない。親の世代の価値観に洗脳されているとも言えるし、メディアによって、また世間の風潮からもたくさん消費して、ものを買うことで所有を満たすことで幸せだと洗脳されているのかもしれない。自由意志による変化発展・・・という言葉で、もし私が誰かに洗脳されたのであれば困ったことだが、私は幸いそのようには思わない。

自由という言葉を今月意識して、考えているとき「選択の自由」という言葉と触れた。

私の今は私の選択によってもたらされた。そして、私の未来は私の選択の自由で未来が開いていく。私の過去は、私が選択したことからできていった。現代において、誰かに強制されたことで、何かが決まることは本当に少なくなったのだと思う。自らの意思でいろんなことを決めていけるのだ。

 

奴隷の人生を歩むか、本来の自分を生きるか

 強烈なタイトルだが、核心をついている。自分の人生でありながら、他人に影響されているし、「お前は・・・だからダメなんだ」「お前はまだ・・・」そんな言葉に左右されたけれども、その人の言葉が私の人生の責任を取ってくれるわけではない。その言葉を受けて自分自身の行動や考えをストップしてしまったのではないか。夢とは人に与えられるものではなく、自分の自由な意思で選ぶものであるという論理に異論はない。直接的、間接的を問わず、人に影響されていたり、人にやらされているものを夢とは呼ばない。だから、人に夢は何と言われてから思いつく状態で発する夢はなんだか、あまり言いたくないようなもので、その場しのぎの夢と感じて、なんだか恥ずかしいような気がする。本当の自分だけの夢であれば、堂々とできるのではないか。

「止観」と「抽象度を高める」

「止観」とは仏教書の「摩訶止観」にあり、文字どおり意味は「止めて観る」こと。何を止めるのかというと我欲=煩悩 を止める。お釈迦様が「煩悩を捨てなさい」とは言っておらず、「自分でコントロールできる程度にほどほどにしておきなさい」と言っている。

「止」は煩悩を止めること。「観」とは自分や夢、抱えている悩みや問題などを「抽象度を高めて観る」こと。

 「止観」と「抽象度を高める」は同時に行う必要がある。

 

私がうまくいっている時は、こういう状態なのだと思う。本を読めば、具体的なことはもっと書いてあるが、「抽象度を高める」ということは、反対語である「具体度を下げる」ということだ。読書感想文としては、抽象的なのはあまり良くないが、抽象度を高めて、悟りの境地に向かおうとするのは、すでに悟りを開いていることのようだ。

わかる?わからないだろう。

私はわかる。脳と心の科学だ。

 

 

 

 

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