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官僚の責任 士官学校21

投稿日:2012/6/28

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官僚の責任

著者:古賀茂明

Center:蒔田高徳

 本を読み終えて、日本の官僚社会、政治家の無能力を痛感しながらも、その責任は私たち国民にもあると考えると、どこから手をつければいいのだろうか考えるものである。このように情報の真実を公開することは、ひとつ国民の目を開かせ、見えなかったものが見えるようになるひとつのきっかけになると思う。真実なる情報、透明な情報、公正な情報、公開された情報が必要だと思う。隠蔽性ではなく、公共のものが公共にさらされなければならないと強く感じる。

 霞ヶ関は「人材の墓場だ」。無駄な規制、無駄な予算、無駄な団体。最高学歴の優秀な人間たちが集う、日本最高の頭脳集団になれるのにも関わらず、彼らの行動規範は、国民の為ではなく、「省のため」。利権の拡大と身分保障にうつつを抜かし、天下り先を開拓する。逼迫する日本の財政状況の中、政策提言能力を失った彼らはいまだにその無駄な権力を持ったまま日本をダメにしている。著者は、結局辞職に追い込まれたが、その正義への意思、いや本来であれば当たり前のことをしようとしただけなのかもしれない、その中で排除された著者を惜しく思うと共に、こんな熱い人と仕事ができたらおもしろいだろうなと思うところがあった。

 東日本大震災の中でも、官僚は「これは大チャンスだ」と少なく無い数の人間が考えているのだ。復旧・復興のためには国民負担が避けられず、非常事態であるだけに増税を口にしても反対は起きにくい。したがって、長年の懸念だった増税に堂々と踏み切れるだけでなく、今後、「復興のため」という名目でさまざまな組織や機構が立ち上げられることが予想される。「これで新たな利権と天下りポストを確保できるぞ・・・」本来、官僚が果たすべき責任とは「国民の生活を第一に考え、国民のために働く」ことにある。

 しかし、これだけの国難があってもなお、無意識のうちに自分たちの利益だけを考え、自ら利益確保に奔走する彼らの姿は、政治家と違い国民の目には直接ふれることが少ないだけに余計にタチが悪い。

「官僚=優秀=エリート」そういうイメージがあるかもしれないが、もしそうだとするならば、今この国の重苦しさは何なのだ。本当に官僚が優秀であるならば、どうしてこの国は、国民の多くが将来に対して明るい希望を持ちにくくなってしまったのか。つまり、官僚は決して優秀ではないし、必ずしも国民のことを考えて仕事をしていないのだ。たとえ官僚になるまでは優秀だったとしても、いつの間にか「国民のために働く」という本文を忘れ。省益の追及にうつつを抜かす典型的な「役人」に堕ちていく。それが霞ヶ関村だと著者は吐き出す。

 

 現在の政権は民主党だ。自民党時代と何が変わったのかはよくわからない。相変わらずよく日本の首相は変わる。民主党はマニフェストを掲げたが、全く実行できていない。そのイメージから国民は皆民主党を馬鹿だと思っている。著者は民主党はウソつきではなく、単なる勉強不足だと言う。彼らの「変えよう」とする意欲はたしかに強かった。ところが、彼らの多くは「自民党を否定すること」=「変える」と錯覚していたのだ。それは今の自民党も同じように思える。

 変えるためには、しっかりとした哲学や理論が不可欠なのだ。それらをもとに「ここにはこういう問題があるから、こういうふうに変えよう」と実行に移していくのにだ。このプロセスで欠かせないのが仮説を立てること。私もよく仮説を立てるようにしているが、「これはおそらくここが問題だろう。ならば、こういう道筋でこのように変えていけば、こういう結果が出るはずだ」のように仮説を立て、そうすればたとえ、想定したのとは違う結果が出たときでも、その原因を分析し、どこが間違っていたのか検証できる。問題点がわかれば、あとはそれを修正すればいいだけの話だ。民主党の行動を見ていると、まるで仮説、検証のプロセスが感じられない。民主党議員が哲学を持たず、仮説も立てられなかった理由は、著者が書くとおりだと思うが、体系的な勉強をする環境をつくっていかなかったことだと思う。民主党議員の多くは野党だった次期が長く、野党であるかぎりは、与党を批判していればいい。昔からテレビでNHKの政治の討論の現場を見ていると、あまり良いやりとりはなく、「なんだこれは?口でやってるプロレスか?」と幼い頃の私でさえ思ったほどだ。「やらせ」のように感じていたし、今でも答弁は聞いていると馬鹿らしい。

国民が政治に無関心になるしかないような答弁しかないように思える。それももしかするとそのように仕向けたい「わざと」なのか?とさえ思ってしまう。

 

天下りの仕組みを守ることが、霞ヶ関の内部文化

著者が指摘するように、天下りの仕組みを守ることが、霞ヶ関の内部文化として共有されてしまっている。その内部文化を崩そうとする著者のような誠実な人間は、異端視され排除されてしまうのか。マスコミはもっと、真実を暴くべきだ。メディアもある程度コントロールされてしまっているのはわかるが、これからは、facebook、 twitterなど既存のメディアの情報だけでない、発信源から真実を暴くマスコミュニケーションが日本でも活躍していくことを思う。私自身も、知識不足は否めないが、少しでも疑問、質問に思うことまた何が正義だろうか?と考えながら、ただ決まっていく国の政策に従うのではなく、自分自身の考えも、分析も、判断も必要だと感じる。

 

著者は、現状の組織の批判だけではなく、その構造を変える提案をしている。現在の官僚組織が持っている彼らのインセンティブの問題がある。

国民の為に尽くしたら報われず、省の為に知恵を絞って利益を持ってきたら高い評価を得られるその構造が問題なのだ。「いやでも国民の為に働かなければならない」構造に変えればいい。国民のために汗水流した人間が報われる仕組みに変えればいいのである。と著者は言っている。それが本来当たり前のことなのにだ。彼らは「公」の人間だから税金で給料をもらい国民の代表として働いているのに、彼らがつくった組織構造は「公」ではなく「私」の利益拡大だけに走っているだけではないか。彼らはインセンティブを間違えてしまった上にそれを文化にしてしまった。

 私は、あと2日で20代を卒業し、30代になる。ただ自分の労働の現場で時間を過ごし、国の状態はなんだかどんどんと悪くなる中、その変化に黙っていられるのだろうか。

もう、黙っていられない私たちにならざるを得ないのだろう。

人が集まって知恵を出し、良い社会に向かっていけるよう見直すべきだ。既得権を持った腐敗した官僚、日本社会をどのように変えることが出来るだろうか。

 

私自身の内部から起こるインセンティブは官僚のように間違った方向に向かわないように、私はこれからも本を読み、また議論をしていきたい。あまり傍観者ではいたくないと思う。かといって、太った政治家にはなりたくないな。本ばかり読んで太った体、痩せよう。

そして、もっと知恵を振り絞って動こう。

 

 

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