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父の哲学 士官学校P12

投稿日:2012/6/26

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父の哲学

著者:渡部昇一

Center:蒔田高徳

 タイトルに惹かれて図書館でこの本を手にした。父としての哲学を私の中で何か成立させていることはなんだろうか。優しくあること、厳しくあること、正しくあること、、、うーむ。3歳の娘には「パパいらない!」と叫ばれることが増えてきた。それでも娘は可愛いのだが。

 

厳しい父の存在が耐える子を育てる

 古代ローマの喜劇詩人、テレンティウスの言葉に「自分の父親に耐えることのできない者は、誰に対して我慢することができようか」という言葉があるそうだ。つまり、父親に耐える経験があってこそ、社会に出てから出会うさまざまな人や困難とうまく向き合えるということだ。この言葉は、古代ローマであれ現代であれ、そして国や文化を問わず、子供はまず家庭において、父親に耐える訓練が必要だということを示している。子供が父親に耐えるには、父親は権威があり、歯向かえない存在であるという前提が要る。現代ではなぜか、親が子供に嫌われるからと考え、子供が親に対して我慢するのではなく、父親が子供に対して我慢をしている。今の子供は、家庭の中で「我慢」の訓練をしない。特に父親に対して耐える訓練は、社会に出た時の礼儀や規範をつける格好のものであるのに、父親が耐える対象でないから、訓練されないまま育っていってしまう。家庭で父親を尊敬し、耐える経験をしてこなかった子供は、近年、問題視されている「キレる子供」「キレる大人」である。たとえば、電車内でマナーを注意された少年が、ただそれだけの理由で、注意した男性を刺し殺してしまう。すれ違っただけの他人に対して、殺してしまうほどの憎悪を一瞬にして持ち、何をするのかわからないのが「キレる」人間の恐ろしさだ。たいした理由もなく「キレる」子供や若者、大人たちが急増している。かつては見も知らぬ他人に突然暴力をふるうなどということは、ヤクザの特権で、一般人には考えられないことだった。これは、明らかに、子供の時に我慢をしてこなかったことが原因であると著者言う。父親が子育てを母親に任せて「父親不在」であったり、子供に甘くて我慢をさせなかったり。子供の頃に我慢の癖をつけないでいて、成長してから我慢できるわけがない。キレる子供をつくった元凶は、権威のない父親。それは父親自身にも、父親を立てず、逆に仲間外れにするかのような母親にも問題がある。家庭教育の問題が、家庭内暴力や、キレやすい人間が増加しているという社会問題に露呈していると著者は考える。父親に耐える訓練ができてはじめて人は、社会に出ていくことができるのである。と著者は言う。

 本を読むと、娘に対して甘やかしてばかりではいけないと思うようになり、娘に対して愛だけではなく、試練の人になろうと心を鬼にもしているが、、、肝心の妻からの援護射撃がなく「パパ悪い人」にされてしまうとその効果はただの「パパ悪い人」になってしまう。

だからこそ、父の哲学は母親の援護射撃が絶対に必要であると本では書いてある。それには深く同意する。父権の復活は一つにかかって妻であり、母である人の協力次第、その協力を得た二人の共同作業次第である。その意味で妻にもこの父の哲学を読んでほしいと思いながら、本を手渡したが、とても興味がなさそうであった。両親として、共同作業をしていかなければならないと感じるからこそ、私自身が妻にしてあげることをもっと見直さなければならない。

 親のあり方が、子供の、そして人類の将来を決める。だから、妻よ一緒に考えることが必要なんです・・・I love you

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