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100回泣くこと 静岡P93

投稿日:2012/5/30

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100回泣くこと

著者:中村 航

Center:蒔田高徳

 たまには小説を読もうと思い、この文庫本を買った。タイトルの通りに、泣けるだろうかと考えたが、読み終えてみて泣くことは全くなかった。文章は上手でも小説としてはつまらないものだった。私が大人になったからなのか?彼女の病気による死別、小説の展開が韓国ドラマで次の展開が読めてしまうように、見えてしまい、それを裏切ることもなくその通りに展開された。淡々と表現される文章を最後まで読めるのは、ところどころにあるきれいな表現と、やさしさのある文章だからだと思う。1時間もしないうちに読み終えてしまった。。。

 

 主人公の「ここが頂点でもいいな」と思うような幸せの時が、誰しもあるのかもしれない。若いときの自分もそうだったかも。しかし、年齢を重ねながら、幸せの数も不幸な事の数も経験していくと自然の摂理のような、恐ろしい悲劇的な事でない限り動じなくなってくる。100回泣いても、いくら泣いても、もう戻らない事、戻れないこと。人生は限りがある。得るものもあれば、失うものもある。年齢を重ねて得ていくと同時に得てきたものもたくさん、長く生きれば生きるほど失っていく、別れていく数も増えるのだ。それが人生だから。

 なのに、それが人生だからと言っても悲しみと喪失感を胸に抱いて生きるから人は、また優しくなれるのだと思う。また、人生を美しくもできるのだと思う。

物語の中の二人が不思議な切なさの余韻を残す。色が濃い物語というよりは、透き通った淡い物語のよう。そして、それは人の人生にはいつか必ず終わりがあって、いつも見送られる側と見送る側がいるということだ。時は過ぎ行く、その速さはこの頃愛しい。

もう、私も20代を終えて、30代に入る。運がいいのか、私はそんなに誰かの死を見送る回数は少なかったようだ。そんなにまで自分に近い人の死を味わってはいない。

知識は僕に語りかける。全ては終わるのが前提なのだと。いつか訪れる終わりを前提にした、生であり愛なのだと。そういう道理なのだと。だからこそ僕らの楽観は、約束されているんだと思う。そうじゃなきゃ誰もどこにも行ける筈がない。根源的に祝福された世界は、それを失うまでの約束された実感であり、肉感であり、義務であり、権利なのだ。

僕らは進む。野生の勘と、陽気な発想で、肯定された世界を進む。プロポーズだってするし、口笛だって吹くし、犬だって拾う。今ここにある偶然を疑わず、先にある必然を忘れる。じゃなきゃそんなことができるわけないのだ。

失うことなんて、今ここにある光に比べたらちっぽけなものと、僕はいう。迷わずに、怯まずに、まっすぐにそう言う。

だけど本当なんだろうか?本当に、本当にそうなんだろうか?

本の挿話の中で、主人公がつぶやく自問自答。この本では涙しなかったが、もし、私の大切な人を失った時は、100回泣いたところで足りないのだろう。それとも、泣かないのだろうか?主人公のように酒を飲んで、記憶の中の彼女につぶやくのだろうか?

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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