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年収6割でも 週休4日という生き方 静岡P68

投稿日:2012/3/27

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年収6割でも週休4日という生き方

著者:ビル・トッテン

Center:蒔田高徳

 図書館の返却コーナーにこの本があった。この本もその中では光って見えた。タイトルが光って見えた。私たちの会社でも週4日勤務という制度が始まった。この体制がどんな意味を持ち、どのような結果をもたらすのか、私たちが実験台というと変な感じだが、実践する人間だ。著者は現在は日本に帰化した元アメリカ人経営者だ。「アシスト」という会社名でコンピュータソフトウェアを販売する会社だ。会社名を聞いても初めて聞いた会社だった。あまり広告も打たないという。社員はおよそ800人、年商は200億の会社だ。

会社のホームページを見た。シンプルでわかりやすい。創業以来、一人も解雇せずここまで経営を続けてこられて本当に幸運だと著者は言う。著者は幸運だと言うが、著者本人の経営の信念が、社員と共に経営を守ってきたのだとこの本を読みながら感じる。

 この本は私に新しい視覚を与えてくれた。

脱石油依存型経済、ポスト市場原理主義時代の経営のあり方、経営者の心構え。それをごく完結に言うと、欲を少なくして足るを知る「小欲知足」の経営であり、自然環境と共生し、みんなが協力して何かを生み出す「協産主義」この漢字は初めてみました。よく言われる共産主義とはちがって「協産主義」。何も特別なことを提言しているのではなく、日本人が日本人らしい哲学と倫理観を身につけていた時代の良き経営者に学べば、自然とそうした結論に至るのだそうだ。

今よりも過剰な消費を控え、少しだけ便利さを捨てれば、私たちは家庭を守り、平穏な暮らしを続けていくことができるという。その実例として、著者の京都の自宅で家庭菜園を作り、省エネルギー、リサイクル中心のスローライフへの転換を図りつつある、自身の生活ぶりも紹介している。

◆今の経済規模は持続可能なのか

著者は日本の経済規模が大幅に縮小することを危惧し、そのことをたくさん提言してきた。それはリーマンショックによって世界的な経済危機が表面化するよりも前からのことだ。 

 日本経済が縮小する危険性があると考える理由4つ

  1. エネルギー問題

限りある資源の石油、石炭、天然ガス。これらの需要量はすでに供給量を上回り、需要はさらに増えつつある傾向。石油・ガスから石炭へ転換をはかるにはコストがかかりすぎるうえに、環境への影響が大きすぎる。仮にできたとしても、石油・ガスの需要と石炭の供給のギャップを埋めるには、数十年かかるとのこと。かといって原子力や太陽光・浮力など代替エネルギーへの転換にも、数十年かかり、急激な石油・ガスの需要増加には追いつかない

  1. 環境問題

地球温暖化の問題。過去200年間我々は地球環境が危うくなるほど、大量の化石燃料を燃やし、大気中に大量の二酸化炭素を放出してきた。多くの環境専門家は、10年以内に現在燃やしている化石燃料の70%を減らさなければ、人類がいかなることをしようとも、今後1000年間は地球の気温が上がり続け、それによって海面が上昇する「臨界点」を超えてしまうだろうということ。「運動エネルギーの法則」によれば、いかなる活動も、それに必要とされるエネルギーは活動速度の二乗で増加します。ですから化石燃料の消費を70%減らすには、活動速度を約半分まで減らさなくてはないけません。その為今後10年間に経済活動を半分にする必要がある。これは日本であれば約500兆円のGDPを250兆円にするということ。

  1. 金融問題

世界の金融業界は、1929年の世界恐慌の直前と同じ状況にあると著者は言う。世界恐慌を教訓として、指導者たちは自体の再発を防ぐために、厳しい金融規制を作った。そのおかげで長い間、金融恐慌が起こることはなかった。ところがここ20年、金融改革(金融ビッグバン)やその他の規制緩和によって、そうした規制が次々と撤廃された。米国の信用を壊した今回のサブプライム問題は、ドルの価値を簡単に破壊し、大幅なドル安を生む。極端なドル安・円高は日本を困窮に陥れる。なぜなら、日本政府および大手金融機関が保有する数千億ドルの米国債はドルの下落によってその価値が激減するからだ。さらに、日本の製造業はアメリカが主要市場であり、アメリカの消費の冷え込み、そしてドルの下落は輸出が壊滅的な打撃を受けることを意味する。

4.グローバルエコノミー問題

そもそもグローバル経済そのものが幻想であり、バブルだと著者は言う。グローバル経済は前述したエネルギー問題、環境問題、金融問題とう危うい三点セットの上に成り立っているもの、いわば砂上の楼閣。三点セットのうちの一つでも壊れてしまえば、グローバル経済という名のバブルがはじけ、萎んでしまう可能性がある。第二次世界大戦後、劇的に成長した経済の成長をもたらしたのは、化石燃料が提供する安くて豊富なエネルギー。それによって製造業は人々が必要とする以上のモノを作ることが可能になった。安くて豊富な石油によって、製造業は大量にモノを製造し、企業はそれを売りさばくために、過大な広告や宣伝をして消費を煽るようになった。

大量生産、大量消費、大量廃棄。これを世界中に撒き散らしているのが、グローバル経済の実態だ。そのような経済が持続可能であるわけがないと、多くの人が感じているのではないかと著者は言います。

 

著者はけして、エコノミーのコラミストではありません。しかし、この経済への問題提起と本質と実態はこうだという情報は正しいものに感じます。そして非常にわかりやすい。

以上の4つの理由から、日本経済の規模が500兆円から300兆円にまで減る、つまり6割経済の時代がやってくるかもしれないという話をしています。これは、大地震が来るのを怖がっているのとは全然ちがった話だと考えます。実質経済の話だと私は感じます。

日本やアメリカ政府がどうにかして手をうつだろう。いずれ景気は回復し、経済がまた成長軌道に乗ると考える人もいるかもしれない。決して大幅に縮小することがいいことではないが、著者は6割経済が訪れることを悲観する必要もないと言います。ここがおもしろいところ。

 企業経営者としてのちょさhは、そのような事態を想定し、対処する方策を考えた。なぜなら、社員800人とその家族の生活を守ることこそが、経営者として一番に考えなければならないことが自身の責務だと考えているからだ。仮に6割経済の時代がやってきたら、会社の年商も4割マイナスになるかもしれないと考える。自身は社員にはっきりと公言している。年商が4割減少しても、今の半分になったとしても、決してリストラはしないと。雇用を守ることこそが、経営者の最大の責務だと考えるからだ。

 しかし、現在と同じ給与水準は維持できない。経済規模が大幅縮小しても、すべての社員の雇用を守るには、給与水準を引き下げるしかない。年商が4割減り、利益が4割減れば、給与総額も4割減らすことになるだろう。

 しかし、一律に4割カットはせず、もともと給与水準の低い若手社員のカット幅はなるべく小さく、給与水準の高い年配社員、あるいは上級職社員のカット幅はなるべく大きくする。もちろん、給与を一番多く削るのは自分自身。その次が役員陣だ。その点についても著者は社員にはっきりと伝えたのだそうだ。

 それでも、会社の売上減、利益減を理由に社員に給与削減を強いるのはフェアではないと考えてもいる。給与とは、労働の対価として社員が得る正当な報酬。それを削るのなら、労働時間も削るのが公平だと著者は考える。

 大雑把に言えば、6割経済の時代には、給料を4割カットする代わりに、労働時間も4割カットする。週5日勤務を週3日勤務に短縮する。つまり、年収6割、週休4日。これが著者が考える6割経済時代の労働モデルなのだ。

 これを読んだ時に感じたのは、すごく近い未来のモデルのような気がしている。この時代が訪れるのが良いかどうかはわからない。あまり良くないのかもしれない。しかし、この時代はいつ来てもおかしくない。

 

◆労働時間を選択する自由

これは、今すぐ労働時間や給料を減らすべきだというのではない。もっともっと働いて仕事を覚えたい、経験を積みたいと思っている社員がいるなら、そうさせてあげるべきだし、実績をあげて給料を増やしたいと考えている社員に「そんなに働くな」というつもりもないそうだ。現在もアシスト社では、働く従業員と話し合いながら、労働日数の短縮等の施策を導入したいといろいろと試行錯誤しているそうだ。

 お、私たちの会社も、試行錯誤が始まっている。コーンフレークで有名なアメリカのケロッグ社は、1930年代から半世紀にかけて、一日8時間の労働時間を6時間に短縮するという大胆な試みを行なった事例がある。ケロッグ社をはじめとする同社の経営陣は、労働時間短縮は、社員が家族と過ごす時間自分のやりたいことをする時間を提供することにつながると考えたのだ。収入は減るが、そのぶん真に豊かなライフスタイルを、という提案だったのだ。

 当時のアメリカは1929年の世界恐慌の影響で、深刻な不況と失業問題を抱えていた。労働時間を短縮し、そのぶんの人権費を浮かせば、新たな雇用を地元に提供できるとケロッグ経営陣は考えたのだ。今でいう「ワークシェアリング」の発想だ。当時のアメリカは今と比べれば生活レベルはずっと低かったが、そrでも選択肢を当てられた従業員の多くは、家族や自分のために過ごす時間を増やすほうを選択したのだ。

 しかしこの試みは、他の企業経営者から賞賛されることはなかった。むしろ批判の声が多く、当初は支援するように見えていたフランクリン・ルーズベルト大統領も産業界からの反発で、他の議員が後押しした短時間労働につながる法案を成立させなかった。

 産業界が懸念したのは、アメリカ人に残っていた「倹約」の習慣だった。工業製品を生産し、数多く販売したい企業側にとっては、「倹約」はありがたくない、できることならなくしてしまいたい習慣だったのだ。今でこそ日本語の「もったいない」という言葉に環境保護活動家が注目し、世界に広げようとしたりする動きがあるが、昔はアメリカにも同じ感覚があった。家庭内の多くのものを手作りし、壊れたものは何度も修理して使っていてそれは当時としては当たり前の行動だったのだ。

 産業機械やコンピュータの発展は本来、人の労働をサポートし、生産性を高めるために開発、進化したものだったはずである。現代の高い生産性を考えれば、我々は半日労働になってもよかったはず。ところが現実は、産業機械やコンピュータが労働時間の短縮をもたらすことはなく、より生産を増やし、利益を増やす為の社会を私たちの社会は選択し、

消費社会、資本主義社会の道具となってしまったようだ。

古き良き時代に戻るというのは簡単なことではない。一度手にした便利さや快適さ。消費生活。その水準を下げるのは難しいが、無駄な消費を減らし、精神的な豊かさ時間の使い方というもののより良い形を提案できる方法があるかもしれない。そのひとつが読書や討論、個人から社会へといったことかもしれないと思ってきている。農業もありかな。

 

 

多くの経営者が陥る成長の呪縛、

◆本当に報いるべきは株主ではない

事業とは顧客に役に立つサービスや製品を提供し、働く社員には満足する職場を提供しようと真剣に努力することだと著者は間がています。もちろんいくら貢献しても倒産しては意味がないので、利益を出し続ける必要はあります。また、不景気に備えて収入を超えた支出をカバーするための準備金や、事業を維持するための投資を行うためにも利益は必要だ。市場関係者が損益計算書の中で最も重視するのは「純利益」だ。純利益とは企業の収入から社員の給与や設備投資に使う資金、水道光熱費、銀行から借りているお金の金利、そして国や自治体に払う税金などすべての支出を差し引いた後に残る利益のことだ。

市場関係者がこの純利益を一番重視するのは、株主への配当がそこから支払われるからだ。純利益が大きいほど株価は高くなり、株主の含み益は大きくなる。

「会社は株主のものだ」「企業の目的は、株主を儲けさせることにある」こういう株主主義を大きく叫ぶ人たちが増えてきた。著者は全く同意できない。日本も欧米方の株主主義の考え方がどんどん日本に浸透してしまっている。

利益は収入から支出を引いたものだが、その支出には社員の給与やボーナスが含まれる。株主を富ませるために、利益から税金を引いた純利益を増やす必要があり、そのために支出の削減、つまり給与カットやリストラが行われることは、株主の為に社員を犠牲にすることであり、会社の為に働き生活の糧を得ている人たちを搾取するにも等しい行為だ。

このような行き過ぎた株主主義は結局、会社の為にならないと著者は信じている。

 そういった事実に投資家たちは気づいていないのか、気づきながらも自分だけが短絡的な富を手にできる株主主義を標榜しているのか、それはわからないが、この不調和の継続は、共産主義が崩壊したように、いつか資本主義の崩壊を招く危険性があると著者は警鐘を鳴らす。

人を「コスト」として扱い、経費カットよろしくどんどん社員のクビを着るような経営者は、いったい何のために会社を経営しているのか。雇用の維持こそ経営者の最大の責務であり、人は「コスト」でなく、かけがえのない「資産」であるはずです。それを著者はかつての日本企業から学んだといいます。

 

「論語」は最高のテキスト

著者が大学時代に大学のある教授がテキストに孔子の「論語」を使い、東洋のリーダー思想を教えてくれたのだそうだ。それは米国人の著者には驚きと感動だったそうだ。それはアメリカの大学で教えられきたものとは大きく異なる内容だったからだ。

論語とはもともと講師が国家のリーダーを教え諭すために書かれたものであって、一般の市民に君主への従順や忠誠を説いたものではない。

 孔子の考えでは、王の権力は幸運によって与えられたもの、つまり天より預けられたものにすぎない。したがって、国家の王といえども、権力を私してはならない、万民のためにこそ、その権力を使うべきであると説いている。それは企業経営者にも当てはまる。経営者は幸運の巡り合わせによってその座に着いたのだということ、権力は付与された力なのだということを忘れず、その意識があれば、決して権力を私するような行動は取らないはずだ。また孔子は、「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」と言った。これは常に学び続けなさい、ということだ。そしてもちろん、楽しみながらやりなさい、と孔子は言ったのだと。

 

 

◆リーダーに必要なのは哲学と道徳

かつての日本の企業経営者が強調したのは、社会への貢献であり、社会から略奪することではありませんでした。松下幸之助の言葉で次のような言葉がある。

「社会の目標はそこで暮らす人々の幸福である。企業の役割は、国民の幸福につながる製品やサービスを提供することと、その製品やサービスを購入するための所得が得られるよう、雇用を創出することである。企業が取ってよい利益は、国民の幸福につながる製品やサービス、雇用を提供し続けるために必要な投資分だけである。企業はそれ以上の利益を取る代わりに、その分値下げをするか、あるいは社員の賃金や手当を増やすべきである」かつての日本の企業経営者は誇りを持って税金を払っていたと思います。税金は公平で健全な社会を作るために必要なもので、それを負担することが企業の社会的貢献の第一歩だと考えていたのだ。日本の経済成長をリードした経営者のたちの価値観、企業理念の基盤となっていたのは、彼らが戦前に受けた道徳理念の教育ではないかと著者は考えている。

 今アメリカのトップビジネススクールでは、倫理教育に力を入れようとしている。繰り返される企業スキャンダル、経営者やウォール街の住民たちの強欲ぶりを目の当たりにして、ビジネススクールの教授陣が自分たちの行なってきた教育に深い反省と罪の意識を抱いているからに他ならない。それでも、この強欲の資本主義は止まらないのか。

 経営者にとって本当に必要なのは、ビジネススクールの教科書に載っているような戦略論や戦術論でもなく、リーダーとしての哲学、人間としての道徳、倫理観―。それこそが今まさに求められている。

 本に書かれている、著者の会社のプロジェクト、また他にもたくさん紹介したい話があるが、是非読んでみてほしいと思う。著者の経営哲学から、会社の現場で人々の幸せを願い適用するシステム、提案する方法など、私たちの会社でも同じように内部から起こるエネルギーで何かをしようとしている。なんと言えばいいだろうか、従兄弟のお兄さんのような企業と言えばいいだろうか。習うところは多いのである。そして私たちが共に経営していく会社を、ただ不満を述べるだけでなく、理論を持って、理念を持って話し合うことが出来たらよりすばらしい話合いができると感じる。是非、皆に一度読んでみてもらいたいと思う。

 さて、私はまた哲学を倫理を道徳を、いろんな教材をこれからも読んでいくことになりそうだ。

時代に必要とされるリーダーとなる為にも。

 

 

 

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