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弁護士の仕事術・論理術 静岡P67

投稿日:2012/3/27

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弁護士の仕事術・論理術

著者:矢部正秋

Center:蒔田高徳

 弁護士という職業は、忙しそうな職業である。膨大な書類、法律、相手側の主張、証拠出てくる可能性のすべてを調べ上げ、法定の場で勝負する。その仕事術は時間を追っている私にも絶対学ぶことがあるだろうとこの本を手にした。また、論理術。どのような論理展開、思考をすれば論理的に話を進めることができるのか。本のコーナーでこの本を見た時に手にした瞬間買うことを決めた。やはり、本のタイトル、カバーというのは人を動かすものだ。

 

この本で学ぶことは「本質を突くこと」だ。著者は弁護士として30年間国際ビジネスに携わってきた。30年間の体験がつまったエッセンスが一冊の本となっている。メモの取り方、ものの見方、他社の読み方、どれも一見平凡なことに見えるかもしれないが、それは小手先のノウハウではなく、仕事の根幹にふれる考え方を扱っていることがわかる。

 入り組んだ現実から何をどうつかむか。著者は私達日本人は学校教育で事実と意見を区別する大切さを学んでいないという。米国とは大きな違いだそうだ。人との会話でも、新聞や雑誌を読むときでも、文章を書くときでも、事実と意見とを明確に区別することは大切である。事実と意見を聞き分け、読み分け、書き分けること、社会生活の根本であると言える。ちなみに法律家にとって最も重要なのは、「事実」と「主張」の違いを区別することだが、ベテランの法律家でもこの二つを区別しにあことが多々あるそうだ。日常、私たちは事実と意見を分ける習慣が希薄している。だから、ものごとを気分で判断することになる。「蓋然性の高い推測」と「事実」を簡単に混同する。「多分そうだろう」と思う内に、人はやがて、それを事実と信じてしまう。

 判断の根拠を自問したり、証拠を確認することをしない。その結果「あるもの」を「ないもの」と思い、「ないもの」を「あるもの」と誤ってしまう。

 「事実」以外は一括して「意見」であるということだと著者は言う。事実を辞書で引けば「実際にあったことがらで、誰も否定することができないもの」とある。誰も否定することができないほど明らかな為にはそれなりの証拠の裏付けが必要である。意見とは、「ある問題についての、個人の考え」を言う。つまり「意見」は対象についての個人の考え(主観)に過ぎず、必ずしも客観的なものではない。意見も解釈も、事実のような客観的に明らかな裏付けを必ずしも有しないのだ。「事実」以外は一括して意見であるというのは正しいと考える。そうすると私たちの会議はほぼ意見だ。すごい会議という書籍で「わたしからの提案ですが」とすべてそのように発言するというルールがあったが、否定、反対の意見をすぐ言葉を上からかぶせるようにする会議よりも、意見ということを明確にして、会議を進めることの意味やイメージもよく確認できた気がする。

 弁護士は事実に関してはきわめて慎重になる。裁判の現場で熾烈な争いをしていると、事実は決して手軽には入手できないことが肝に銘じてわかってくる。事実は一筋縄ではいかない。事実は多面性、潜在性、部分性という特徴があるからだ。

  1. 事実の多面性

事実を観察する場合、観察する主体により事実の見え方が違う。事実は裏付けのある客観的な事象である。にもかかわらず、事実はときに曖昧で多面的である。つまり、ある事実は、究極において観察する人の主観や、基準、視点と切り離せない。

  1. 事実の部分性

事実の全体像は決して明らかになることはなく、常に部分的事実しか明らかにならない。

  1. 事実の潜在性

事実は、即時に明らかになることはなく、時間の経過に従って少しずつ明らかになっていく。

 

事実はこのような特性を有するから、「自分は事実を知っている」と安易に確信しないことが大切である。新聞やテレビで知ったとしても、自分が経験したわけではない。知っているつもりでも、よくかんげてみれば伝聞に基づくことがほとんである。「鳥インフルエンザは人には感染しない」ということがあったとしても、あとで簡単に話はひっくり返る。事実は遅れてやってくるのが通例だ。だから、安易にマスコミや公式発表を信じないことだ。

 

「まだわからない」ときの思考法

視点の数を増やしてみる。事実と伝承を区別する。「敵の視点」で事態を見つめ直す。

人は自分に都合のいいようにものを見、語るものである。だから、他人がどういおうと、自分で確認していないことを事実と考えるわけにはいかない。

 歴史家ヘロドトスはペルシア戦争の経過を後世に伝えるため、「歴史」を書き残したが、噂と自分との見聞とが違っていることを何度も確認をした。旅を通じて、伝聞と事実とは異なることを知ったに違いない。彼は一つの見方だけでなく、数多くの見方に言及することを原則とした。「私の義務は、伝えられているままを伝えることだが、それを全面的に信ずる義務が私にあるわけではない」とヘロドトスは語っている。ヘロドトスはペルシア側の説にもフェニキアの言い伝えにも組せず、ただ、「そういう噂がある」と記述した。彼は先入観を捨て、一つの事件を多くの視点から記述原則を打ち立てた。この方法論は「主張」「証拠」を区別し、主張はさらに「原告の主張」と「被告の主張」欄に区別して記載する。日本の昔でいう縄文時代の、まだ文字もなかった時代にこのように事実と伝承を区別した人物がいたことは、考えてみるとものすごいことだ。

私たちの現場でも、もっと事実と伝承は区別されて話されるべきだ。ヘロドトスのすごさは、他人の話を鵜呑みにせず、何人もの話を聞いて多角的に事実に迫ろうとしたことだ。それでも事実は不明なときには、彼は何の憶測も加えずに、真偽不明のことは不明であるとした。ヘロドトスは、断定をできるだけ避け、「知らないことは知らない」と認めた。この考え方は何の変哲も無いように見えるが、実は、成熟した人間にしてはじめて達成しうる視点であると著者は言う。人はこういったことがなかなかできないものだ。

 顧客の話を鵜呑みにせず、「敵の視点」から事実の発掘をしたほうが、長い目で見て、こちらの勝訴につながることがわかっていても、わかっていながらそれができないのだそうだ。著者が多くの訴訟体験から学んだことは、「どんなに確実だと思える事実も、必ず留保付きで見る必要がある」ということだ。このように留保つきでものごとを見てはじめて、自分の「事実」と相反する「事実」に心を開き、真相の周辺まで近づくことができるのだそうだ。深い。。。

 

「自分で考える習慣をつける」

事実に即して論理的、具体的に考える力を弁護士は徹底的に養う。思考力が仕事力である。

知識で武装しても、判断を誤れば負けるのだ。

考える力はどうすれば深められるか。私たちは本当に考えているのか。「自意識がある」のと「考える」ということは別だ。外界との連動をいったん遮断し、意識的に意識の対象を一つのテーマに向けないと私たちは、日々、壮大な無駄をしながら時間を過ごす。目の前の現実にただ反応するだけでなく、現実から一歩身を引き、理性のフィルターを通す時間を一瞬でも持ちたいものだ。

 

発想、提案

 今回のアカデミー賞、主演女優賞に選ばれた映画、鉄の女と呼ばれたマーガレット・サッチャー首相の映画があるが、そのサッチャー首相が、多数の閣僚の中でも最も信頼していた男が、デービッド・ヤング氏だったそうだ。最大の理由は、「他の大臣は私に問題しか持ち込まなかったが、デービッドは解決策を持ち込んだ」から。つまり、他の閣僚は問題を指摘はしたが、解決策を提案することは少なかった。このエピソードは極めて現代の私たちにも象徴的である。

 問題の提起だけなら、そんなに難しくない。これは私たちの会議でも日常的に行われている。だが、解決策を考え出すのが難しい。会議の進行は不満や反対意見を言うのは簡単だが、オプションや解決策を考え出すには、エネルギーが必要である。湧き上がる発想が必要だ。ビジネスの世界でも弁護士の世界でも同じだが、問題提起と解決策をセットで持ち込む部下はとても少ないのだと著者は言う。確かに私も、解決策までセットで提案した記憶は、あまりない気がする。ここ最近この本を読んでから、問題提起に関してABC案を考えるように習慣づけるようになった。「こういう問題が起きた。私は、こう処理するといいと思います」このように、自分なりの解決策をもって相談にこなければプロとは言えないと著者は言う。

 

上司よりも現場に近い担当者のほうが、よりよい現場のアイディアをもっているはずである。そして、解決策を考え出すことこそが、自分の能力を開発するということなのである。そのプロセスを省略することは、自らが工場のチャンスを逃すことだと著者は言う。私も少なくとも問題提起と共に3つのオプションを提示する心構えでこれからやっていこうと思う。難問を考えるということは、ものごとを真剣に考えるチャンスだ。そして独自のノウハウを身につける絶好の機会なのだ。

 なぜ3つのオプションなのか?

それは一つだけの解決案では、過去の延長線上にある安全策しか考えつかないからである。問題が深刻であればあるほど、新しいアイディア、異質の視点が求められる。ときには極論さえ必要である。一つや二つでなく、三つものオプションを考え出すとなると、過去から決別した新しい発想が出てくるものである。これこそが考え抜くということである。考え抜けば、現場に朝から晩まで身を置いている担当者だからこそ見えてくる現実があるはずである。現実を凝視し続ければ、必ず突破口はある。少なくとも現状打破するいくつかの策は浮かび上がってくるはずだ。ないはずはないのだ。日々状況は変化している。「ない」というのは実は「考えていない」というに過ぎない。うちの社長が言いそうな言葉である。

「少なくとも三つの解決策を考え出そう」、そう固く決心したとき、受身から能動へと転換する。オプション思考を持つということは、積極性を身につけることと同じなのだ。ただの労働者でなく知識労働者たれと言うドラッカーの言葉を思い出す。

 

「あらゆる場を論理の道場に使う」

思考力とは具体策をつくる能力だ。抽象的な言葉は無策の裏返しであると著者は言う。

著者が尊敬する哲学者の一人にカントがいる。余談だが、カントは慢性の便秘に悩まされていたという。きまじめなカントは、医者の処方した便秘薬を飲んでいただけで、長年の厄介な便秘の解決策を積極的に考えた形跡がない。慢性的膨張感と不快感にさらされながら、医師からもらった薬を、毎日一錠、几帳面に飲み続けた。カントはそれ以外の方法を試そうともせず、ひたすらそれを毎日飲み続けたようである。彼がその哲学的方法論を便秘対策に適用したならば、有効な解決策が見つかったはずである。

たとえば、アロエ、ヨーグルト、ニンニク、の摂取である。これはいずれも当時、入手が容易だったものである。どれかを積極的に試していれば、カントの人生はもっと快適だったろう。これは例だがこのように、小さな問題に直面した場合でも、まずそれが問題であることを意識し、次に解決するための対策を意識的にあたることが必要である。

著者は哲学者カントのことを尊敬しているが、そのカントでさえも「私生活上の問題にも理性的に対処する」という視点が欠けていたようだと著者は指摘する。これには笑えた。私たちの現場でも、抽象的なことはたくさんある。特に私だ。アイディアは抽象的に出せるが、具体策に欠けている。もっと具体策を出せるように考え抜こう。

 

「その場でメモがコツ」

創造的な考えは、何百という泡のような思いつきを書きためることが基礎となる。その中からいいものを拾い、組み合わせ、鍛えあげたものなのだ。頭の中で考えることは圧倒的に感情に影響される。そして、しばしば堂々巡りを繰り返す。頭の中で考えることは、論理が一貫しないことがほとんどである。できるだけ感情の影響を排除し、理性的に考えるためにも、自分の想念をメモに印、客観化することが必要だ。頭の中では首尾一貫しているようでも、メモをとってみると、雑念にすぎないことに気づくことは多い。自分の壮年が圧倒的んい感情に影響され、合理的な思考から遠いことを認識するだけで前進である。考えるという行為は書くという行為を伴って、はじめて思考として結実すると著者は書いている。「私たちは、頭で考えるのではなく、手で考えるのである」頭に浮かぶアイディアは一瞬のものだが、、書くには時間がかかる。その時間経過の間に、アイディアは「思考」へと進化を遂げる。この見解に対して、私自身深く同意する。本を読んで自分の知識として入ってくる言葉はある。ただ、それはまだ断片的で整理されていない情報が、単語として記憶に残っているだけの事が多い。私が読書をして、文書化の作業をしている間にこそ、

時間はかかり、とても疲れるのではあるが、知識や質として変化していると私自身が実感するからだ。そして、その使い道の現場が訪れるのを私の知識もきっと待っているのだ。

少しずつでも、成長をしていくと現場が楽しくなってくる。

 

こんな生き方が「時間をストレスにする」

 このように考え方は整理され、生き方のノウハウを持ったような著者でも、上手に生きていないのだと感じる文章がある。国際弁護士は6分刻みで業務日誌をつけるのが慣行だそうだ。タイム・シートには、仕事の内容と費やした時間を、顧客別、日付別に記録。1時間を1.0とし、10等分して、6分単位で記録をつける。6分以内の仕事は0.1とする。12分以内は0.2、18分以内は0.3となる。

 時間報酬が1時間2万円の弁護士の場合、6分間あたりの報酬は2千円となる。顧客から電話相談があった場合、6分間以内であれば2千円、12分以内であれば4千円だ。

著者も新人の頃、国際弁護士の仕事の密度の濃さに愕然としたそうだ。朝から晩まで6分刻みの時間に追われ、サラリーマンを経験した頃と比べて3倍以上の仕事の密度を感じたそうだ。欧米の習慣に合わせてタイムチャージを採用しているが、これほど非人間的なシステムはないと思うそうだ。会議でも、出張でも、通勤電車でも、仕事をするときは常に時間を気にしているし、自宅にもタイムシート、休暇でハワイに行く時も念のためにタイムシートを持っていくそうだ。いつも時間という見えないストレスにさらされ続け、国際弁護士は6分間刻みの時間に追われ、緊張につぐ緊張の毎日を送る。若い弁護士は、1ヶ月に顧客の仕事に費やす実働時間が200時間ほど働くのも珍しくないそうだ。実働時間だけなのだから、移動時間など考えても、ほとんど働きっぱなしだ。30代の弁護士が、年間3000時間も働いていると聞いてさすがに驚いたそうだ。土日も含め、毎日早朝から深夜まで働かなければ達成できない時間である。月に数度は事務所付近のホテル泊まりだろう。これは異常だ。若者が恋愛をする暇もなく、バカ騒ぎもせず、仕事一筋に生きて、虚しさや徒労感を感じるゆとりさえもない。食事感も不規則だし、運動する暇もなく、ストレスは果てしない。彼らはうつ、糖尿病、不眠、アレルギー、過食、心身症などの予備軍だと言う。ただ目の前の仕事という刺激に反応しているだけでは人生を良くすることはできない。自分で「大きな仕事をしている」という充実感から、自尊心も満たされ、若くして時には一流企業の役員クラスの収入を得るのだから、激しく働くのは当たり前かもしれないとしても、同時に失うものも予想外に大きいのだ。

 国際弁護士のようなハードでストレスのある知識をフルに使う現場にはいない。

ただ、「忙しい」と「貧しい」の相関関係はある。「弁護士は激しく働き、貧しく死ぬ」というようなブラックジョークがあるそうだ。

私達は夢や希望に生き、自らの自由意思の選択で、金銭的にはちょうどよく、精神的には豊かな暮らしを送りたいものである。わがままだろうか?

いや、出来るだろう。この本から学んだことはとても多かった。また現場で実践あるのみである。

 

 

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