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海の石 静岡P66

投稿日:2012/3/27

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海の石

大越 桂

Center:蒔田高徳

たったひとつの石は

ずっと変わらない真実で

たったひとつのその石を

ずっと探すあなたを待つ

 

 サルトルの嘔吐では、その石は吐き気の始まりの象徴的なものだった。詩の作者である彼女は自らを「あの時の私は石だった」と表現した。自らの声が出ない、動けない、装置に生かされている。介護されている。無視されているように感じる。自分の意思表示が出来ない。伝わらない。石という文字と意思という言葉は日本語では同じ発音だ。

石ではない意思なのだ。その彼女の強い意思と人々の心が、優しさがつながっていく奇跡が最高のドキュメンタリーなのだ。

彼女の双子の姉の「葵(あおい)」とは一度も会えずに別れた。彼女の生まれた日は双子の姉の命日であり、それが最初に出会った死でした。それから20年以上、彼女は自らも常に死と向き合いながら生きてきた。出生時819グラムしかなく、大きくなるまで本当に大変だったのだ。また生まれた時から重度の脳性麻痺があり、強い弱視であり、周期性嘔吐症という病気とも付き合っている。嫌なことだけでなく、嬉しいことや楽しいことがあっても、ちょっとした刺激で嘔吐発作が起きるという、とても苦しい病気。その他にも何度も大きな病気を経験し、10回以上大きな手術を行なってきた。今も体を思うようには動かせないし、目もよく見えていません。耳はよく聞こえる反面、気管切開手術をした為に、声を失い、それまで「あーうー」だけでも出せていた声もなくなり、自らの意思を伝えることもできなくなった。そんな境遇の彼女の詩はとても、そんな境遇だと感じさせない、希望と幸せと喜びを感じさせてくれる感謝の詩集なのである。恨みつらみがあってもおかしくない境遇でありながら、詩集は春の暖かい日差しを本当に気持ちよく思わせ、また音楽をとても綺麗なものに感じさせ、冬の厳しさを超えようという力を与えてくれる。そんな元気を、力を私に与えてくれるとても大きな存在の詩集である。

私自身は、もし目の前に人生に絶望している人間がいたり悩み苦しむ人がいる時に、どんな言葉をかけてあげればいいのか、どんな事をしてあげればいいのかはわからない。ただ、彼女の詩集「花の冠」「海の石」この二つをそっと渡してあげることはできるだろう。

またyoutubeにUPされた彼女の詩がメロディになり、歌になった合唱を見せてあげることもできるだろう。

 彼女が中学生の時に「少しだけでも動く左手で字を書いてみたら?」という支援学校の先生のひらめきで、筆談を特訓をすることになる。「これで「通じる人」になれるかもしれない」とその瞬間のことは彼女は今でも忘れられない衝撃で、しばらくは、うれしくて、うれしくて、夜も興奮して眠れないほどだったそうです。ただし、練習はけして楽ではなく最初の自分の「か」「つ」「ら」と文字を書くのに10分かかり、そのあと疲れこみ1週間寝込んでしまったほど。彼女には一文字の一文字の重みが違うのだ。それでも「今やり遂げなければ、一生「通じない人」になってしまう」と思うと、練習をやめることはできなかったと言います。

 これで「通じる人」になれる。

 これで「石」でなくなる。

 これで「物」でなくなる。

 これで「本当の人間」になる。

そう思いながら、毎日吐きながら、ぐったりしながら、母とけんかをしながら、必死で練習したのでした。

 そして―今彼女は、詩、書、ブログなどを通じ自分の言葉で、自分が思ったこと、感じたことを伝えることができるようになった。インタビューや講演でも、筆談でなんとかして通じるようになりました。初めて文字を書いてから10年。書き溜めた詩も260編以上になった。詩は美しい世界の広がりを彼女や人々に与え、作曲家と出会い、演奏家と出会い、コンサートになり、お客さんたちと出会うようになる。コンサートが記事になり、知らない土地の知らない人がメッセージを手紙をくれる。外国に住む人の為に翻訳してくれる人がいる。詩にイラストをつけてくれる人や書にしてくれる人がいる。それらを通じてまたたくさんの人と人が出会っていく。つながっていく。

 詩集を出すことは彼女の夢になった。インターネットが出来ない彼女のおばあちゃんにも読んでもらうことができる紙の本です。そして本は、彼女がいつかいなくなってしまった後も、誰かの手元に残って、ずっと読んでもらうことができる生きた証になるものだから。彼女はいつか訪れる自分の命の先も誰よりも意識しているから。この詩集を読むと、そんな彼女の一文字一文字がとても大切に感じる。

 2010年10月末に彼女の父の勤務先に電話入る。連絡の内容は「桂さんの詩を首相の所信表明演説に引用させてほしい」というものだった。誰もが驚いた。あの東日本大震災の1ヶ月後に書いた「花の冠」という詩が野田佳彦首相の目にとまったのだ。彼女の筆談10年の節目に、詩集を出すという大きな夢も叶った。同時に2冊の「花の冠」「海の石」の詩集の意味は双子の詩集なのだ。「花の冠」は、日々の生活、その中野小さな積み重ね、震災への追悼、復興。「海の石」は命、言葉、自我・自立。

 異なるテーマで綴られた詩集だが、それは一つのものに感じる。彼女と生きる喜びを共有できる暖かい詩集なのだ。

 

 

 

 

 「私のことは私が決める」 という詩がある

私のことは私が決める

私のことは自分で決める

私は人間 物ではない

物のように見えても

人間です

どんなに反応が

見えにくくても

人間です

動けなくても

人間です

 

人間の心は悲しいのです

伝わらないのが悲しいのです

心がはりさけそうに

悲しいのです

私の心を見てください

 

私も生きている人間です

どんなに重い障害でも

心はあるのです

 

思いを伝える手段がほしい

自分の心を伝えたいのです

 

 私たちの会社で自らの意思、自由意思という言葉をよく使う、それは単語のように簡単に出る言葉で言葉が宙を舞うが、もっと自らの意思を私は言葉に、言語化することの重要性、必要性、それはより人と人の意思をつなげていく力を持つ大事なことだと思うようになるのです。

 

親子げんか という詩の中で

 本当は自分を信じてくれていることを

 知っているのに苛立つのは

 自分が自分を認めたいから

 親子げんかは

 自分とのけんかだ

という深い詩がある。自分とのけんかか・・・。親とはいつもけんかばかりである。

 

側湾 という詩

体がくの字に曲がっていく

わたしの意思とは無関係に

重力と刺激にあやつられ

もどすこともままならない

背骨がせりあがり

内蔵がおしこまれ

腰骨がきしみ

肩がしばりつけられる

 

痛みが走りしびれだすと

歯をくいしばっても

ねじれいく

 

わたしの体は

どうなっていくのか

肉体の支配に負けたくない

 

自身の筋肉の緊張によるバランスの異常で体が変形していく苦しみを感じながら、彼女の精神は

「肉体の支配に負けたくない」と心の奥底で叫んだのだ。健気ではないか。涙をおさえることが難しいのだ。

 

たったひとつの石は

ずっと変わらない真実で

たったひとつのその石を

ずっと探すあなたを待つ

そこにある真実の石は

可能性の深みに包まれて

いつからか光を放つ

石をつかみたい人なら

勇敢にもぐるだろう

心で感じる輝きは小さくても

海底の闇を照らす道しるべになる

石だったという自分がいつか救われるかもしれないという希望を表した海の石という詩の中に彼女の強い希望とその意思と不可能を可能にするエンルギーを感じる。

私も彼女の言うように「可能性の深みに包まれて」生きていきたい。

 

 

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