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リンカーン演説集 静岡P59

投稿日:2012/3/16

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リンカーン演説集

翻訳:高木八尺・斉藤光

Center:蒔田高徳

 アメリカで尊敬する偉大な大統領と聞けばリンカーンの名前を挙げる人が多いだろう。では、なぜ彼が偉大だと言われるのだろうか。そんな興味を持って昔、小学生向けのマンガでリンカーンをよんだ記憶を辿りながら、この本を手に取った。伝記ではなく、演説集だ。私自身は演説をしなければならない事などないが、自らの意思、意見には一貫性がなければならない。演説には自らの意思を持ち、反対の意見には反対でありながら、一貫性を持って演説をしなければならない。偉大と言われる人物の演説集なのだから、何よりも私にとって大きな本となるであろうという期待をしながら本を手にした。

 奴隷に自由を与えることによって自らも自由を得ると確信し、奴隷解放という難事業の中心となって真摯に精力的に闘ったリンカーン〔1809-1865〕。しかし彼は第2期大統領就任1ヶ月後には凶弾に倒れねばならなかった。この偉大な人物と思想、また民主主義の精髄は、本書に収められた演説、手紙などから溢れ出ている。

 リンカーンの生涯の足跡は、心労困苦の多いフロンティア辺境の開拓の生い立ちに始まり、貧困との戦い、孤独の錬磨、逆運との格闘に充ち、政治家としての公生涯も、失敗、誤解、悪評、叛逆などなどをすべて体験した、いばらの道の物語だ。

 I am nothing, but truth is everything. という彼の意思は、それだけの真剣さをもって、アメリカに降りかかる現実の深刻な難問題に直面していったのだ。

 

「半ば奴隷、半ば自由」という表現は、それは彼の奥深くから出た真実の言葉だったのだろう。皮肉でも冗談でもなく。リンカーンが書いた手紙の文章にこの表現があった。

 少し、前文を抜かします

 原則としての自由の問題に関しては、われわれはもはや昔のわれわれとは異なります。われわれが「英国の」ジョージ王の政治的奴隷であって、自由になりたいと望んでいた時代には、「すべての人は平等につくられた」〔独立宣言の言葉〕という金言を自明の真理と称していました。しかし今、われわれが肥ってしまって、われわれ自身が奴隷となる心配がまったくなくなった今、我々は主人であることを切望するあまり、この同じ金言を「自明の虚言」と称する始末です。7月4日〔アメリカ独立記念日〕はまったくすたれてしまってはおりません。この記念日はまだすばらしい祝日であります―花火を打ち上げて騒ぐために!奴隷制度の平和的消滅を望んだ精神自体が、あの独立という事件の時代とレボリューション〔独立〕に参加した人々の去るとともに、消滅しています。あの独立答辞の衝動にかられて、ほとんど半数の州はただちに奴隷解放のなんらかの方針をとりました。そしてただの一州すらその後、同様の措置に出なかったということは注目すべき事実です。平和的で自発的な開放の冠するかぎり〔その望みはなく〕アメリカ黒人奴隷の状態は今では固定していて、われわれ自由な者の心には真に恐ろしいことと考えられるのでありますが、最後まで悔悛しない捨てられた魂と同様、改善の望みのないものであります。わがアメリカの奴隷所有者が自発的に奴隷を解放するような非が仮に来るとするならば、その日には、ロシアの独裁者がただちに王位を捨てて、その臣民を自由な共和国民とすることでしょう。ただ今のわれわれの政治問題は「われわれは一国として相ともに永久に、長く、半ば奴隷、半ば自由の状態を続けてゆくことができるであろうか」ということです。この問題は小生には重大に過ぎるものであります。願わくは神が慈悲をかけられて、その解決に導き給わんことを。

 半ば奴隷、半ば自由の状態、この矛盾状態を続けてゆくことができるでさろうか?というこの問い、この表現は、そのような状態でわたしたちが人が人として生きていけるのか?という問いかけであり、当時奴隷制度を当たり前のようにある社会の人間に対しての鋭い刃だと思います。この矛盾した表現を手紙の最後に持っていき、前提に前の文章で相手側を賞賛、肯定しながら進めるこの手紙のメッセージ、そしてユーモアと表現するには失礼かもしれませんが、リンカーンの正義らしい表現、真剣な言葉だと思いました。私もこんな表現が出来ると良いのですが。

 

「分れたる家は立つこと能わず」

スプリングフィールドにおける共和党州大会にてなされた演説

大会議長ならびに列席の諸君。もしわれわれが、現在どこに立っているかをまず知り、また将来いずれの方向に向かおうとしているかを知ることができたならば、何をすべきか、またこれをいかになすべきかにつき、より良い判断を下すことができましょう。

「別れたる家は立つこと能わず」(マルコ伝3の25)。私はこの国家が恒久的に半ば奴隷、半ば自由の状態で、続くことはできないと信じる。アメリカ合衆国が解体されることを期待してはいない。この家が倒れることを期待していないが、この国が分かれ争うことをやめるのを私は期待する。それは全体として一つのものになるのか、あるいは他方のものとなるのか、いずれかになる。

ライフスタジオ全体の話とまた別々でという話も、似てるところがあると感じる。半ば奴隷、半ば自由の状態で、続くことはできないことを信じる。この家が倒れることを期待していないが、この国がわかれ争うことをやめるのを私は期待する。様々な意見の相違、対立はあっても家を解体することは望んでいない。

 

オバマ大統領の演説も、このリンカーンの演説を引用し、その精神に立ち返り、団結を訴えて人々の共感を呼んだ。

オバマ候補は、アメリカの強さが経済力や軍事力にあるのではなく、その建国以来の精神にこそあることを訴えて人々の共感を呼んだ。彼の単純で力強い演説は、常にアメリカの根本精神と憲法の理念に訴える。それは、もちろん考え抜かれた戦略に基づいているはずだが、決して瑣末な技術論に流れない。聴衆に、彼らが既に知っていること、知っていながら忘れ去っている事を思い起こさせるのである。彼らは、危機に迷い込み光を失いかけたとき、決まってこうして原点を思い出そうとする。そこから勇気と英知を汲み取るのである。

 シカゴの広場で、選挙戦の第一声を上げたとき、オバマ氏はリンカーンの言葉「分れたる家立つ事あたわず」を引用して、市民に向ってアメリカの団結を訴えた。9・11以後、ブッシュ一味による支配のもとで、アメリカは分裂に苦しんできた。急速に進む貧富の格差、「愛国法」による盗聴や不法捜査、陰に陽に強まる言論の封殺などにより、憎悪と分裂の危機が耐え難いまでに高まっている事を、皆が感じ始めていた。貧困層やマイノリティ各層は、今度こそ、公民権運動以来勝ち取ってきた遺産を守るために、死に物狂いで闘わねばならないと、激しい敵意に燃えていた。そのような支持者を前にオバマ氏が発した一言が、このリンカーンの言葉だったのである。彼は、決してマイノリティの代表として登場しなかった。憎悪や敵意を煽り立てたのでもない。リンカーンの精神に立ち返り、団結を訴えた。

 しかし、まさにそうすることによって彼は、この8年アメリカを世界から孤立させ、アメリカ自身を分裂と非寛容な対立に追いやったのが誰であったのかを、聴衆に対して浮き彫りにしたのである。リンカーン自身も、連邦の維持のために、南部の分離主義者と内戦を戦った。統一を説く事は、そこでは妥協を促す事ではなかったし、寛容を説く事は闘いを回避する事でもなかった。そのことを、オバマ氏自身はよくよく心得ていた。リンカーンの言葉を引用した時、彼は憎悪や復讐心によるのではなく、一段高い理念の下で、しかし断固として闘うことを呼びかけたのである。こうして、聴衆は自分が民主党員である前にアメリカ市民であったこと、この闘いが単にオバマ氏や民主党の闘いではなく、教科書で繰り返し教わってきたリンカーンやジェファーソンの闘いであり、アメリカ革命のための闘いである事に思い及ぶのである。比較的冷静で理知的なオバマ氏の言葉が、しだいに聴衆のほほを紅潮させるほどの力を及ぼすのは、このようにしてだ。

 

 アメリカが北部、南部と分かれながら戦争を選択せざるを得ない環境が過去にあったように、価値間の対立、意見の相違はいついかなる時も私達にもあるだろう。

 その時、リンカーンのように自らの意思を言葉にする討論が必要だ。

そしていつも根幹に立ち返り、「私達は、、、と考え、今ある言葉では、人が人を人として・・・」と立ち返ることが出来るだろうか。

 

 我らの祖父に盲目的に従わなくてはならないといっているのではありません。そのようなことは現時の尊い経験を無視し、すべての進歩、すべての改良を排斥することになりましょう。私の申すことは、何かの場合我らの父祖の見解政策を変えなければならない時には、彼らの大いなる権威を十分に考慮し尊重してもなおかつ不十分であるという決定的な証拠があがり、これを充分に論議したあげく間違いはないという場合に、初めてそうするべきであるということなのです。彼らの方がわれわれよりもよく理解していたと、われわれ自ら公言する問題の場合には、当然そのようなことを改変してはなりません。

 しかし歴史をあまり知らず、また同じ見解であったと信じ込ませるようなことをしてはなりません。こんなふうに、実証と公正な論議にかえるに虚偽と欺瞞とをもってすることは許されません。もしも今日なんびとか「現在の国家を組織した我らの父祖」が他のああ射に用い適用した原理が、当然彼らに、連邦の権限よりの領地の権の区分により、あるいは憲法の条文によって、連邦政府は連邦領地内の奴隷制度を取り締まることを禁ぜられているというかいしゃくを とらしめる性質のものだと、まじめに信ずる人があるならば、彼はそう申し述べるべきであります。しかし彼は同時に、彼の考えるところによれば、彼の方が父祖の原理を父祖以上によく了解しているということを、責任をもって宣べなければなりません。そしてとくに、父祖が「現在のわれわれ同様に、否われわれ異常によく問題を理解していた」と主張することによって、その責任を回避してはなりません。

 これはリンカーンが奴隷制度の拡大を図るダグラスの主張に対しての演説の一部であるが、こういった言葉を成立させることは、私たちの普段からの決定や意思表示の中で必ず必要なのだ。

その言葉を成立させるには、単語を知らなければならなず、自らの意思を言葉として表現できなければならない。矛盾と戦い、理想に向かうにも自らの言葉を立てる一貫性がなければならない。リンカーンの演説は、いつでも真実と正義を語っている。そして、いつも人々に問いかける。

それが正しいのか。もしも本当にそうだとするならば・・・と証明を求める。一方的に語るのではなく、民衆に問いかける。私の中にも新しいコミュニケーションの方法ができないだろうか。

 

アメリカ合衆国と連邦制を学ぶ

演説を読む中で、私はアメリカの歴史については、あまりよく理解していなかった。そのまま読み進めてしまうと、どこかラーメンを醤油味なのか味噌味なのか、とんこつなのかを分からないまま、とにかく食べているような状態を感じる為、歴史的な事も学ばなければならないと感じた。一つの本から、他のことを知らなければならないと思うこの連鎖は、勉強がずっと続いていく喜びであると同時に、終わらない苦悩か。

リンカーンは民衆に団結を訴えるが、その中でアメリカが選択した「連邦制」という国家組織体系に非常に重要に意味を持っているということを感じた。それは、ただ成された選択ではなく、連邦制という体制は妥協点なのか、それとも最善の選択だったのか。連邦制はアメリカの憲法構造に決定的な影響を与えている。

せっかくなのでアメリカの連邦制について調べてみる

アメリカは建国当時は13の州からなる合衆国だった。それぞれが別々と言う方法もあれば、別々ながら一つにというたくさんの議論の末に連邦制という国家体系を選択することになったのだが、

複数の国家が一つの結合体を形成するといった場合、大別して三つの方法が考えられます。(アメリカ独立宣言が、13の原組成州それぞれが独立するという内容であったことを想起されたい。)

一つは、それまでの国家がいわば地方自治体となって、一つの単一国家を作る方法。この方法の場合、それまでの各国家の主権は、新しい単一国家に完全に吸収されることになります。

二つ目は、各国家が条約によって一つの連合体を創出し、それに加盟するという方法です。この方法では、各国家は完全に主権を維持します。したがって、ある国家が連合体に加盟した後、その連合体の意思決定に従わなかったり、一方的に連合体を脱退するということも、一応は可能です。連合規約時代のアメリカの13州はこの方法で結合していたと言えますし、現在の国際連合に加盟する各国もこの状態にあるといえます。 
 (それゆえ、国連の分担金を支払わない国が出てくる。その国は完全な主権を有しているから、国連の意思に従わなくとも、それを強制されることはありません。連合規約時代のアメリカの各州も同様。)

そして、いま3つ目の方法が「連邦制」だ。

 連邦制では、それぞれの国家(州・邦)と新しくできる連合体(連邦)とが、主権を分割・分担します。連邦に割譲されなかった部分については、各国(州・邦)は主権を維持します。割譲された部分については、連邦の意思が各国(州・邦)を拘束します。この主権分割の方法は2つある。

一つは、もともとの国家(州・邦)が一般的な主権を有していて、連邦は州から委譲された範囲内でのみ権限を行使しうるという方法です。アメリカの連邦制はこの方法によっています。連邦の権限は合衆国憲法第1篇8節に列挙されています。各州は、連邦に委譲した権限に属する事項、または憲法によって禁止されていない事項については、全て主権の行使として行うことができ、このことは憲法第10修正に確認的に規定されています。いま一つは、各国家(州・邦)の主権を、いったん連邦側に預けた上で、各国家(州・邦)に主権の一部を割譲していく方法です。

カナダの連邦制はこの方法によっており、各州(カナダの州はprovinceという。)は連邦から委譲された部分でのみ主権を行使できます。いずれにせよ、連邦と州とが権限を分担するわけでありますから、ある事柄が州の権限事項なのか連邦の権限事項であるのかは、しばしば微妙な問題を引き起こします。アメリカにおいても、憲法制定時のフェデラリストと反フェデラリストとの論争以来、連邦主義と州権主義の対立は根強いものがあります。

 とはいえ、連邦制は、州の多様性と連邦の統一性とを両立させる玄妙な手法であるといえます。アメリカの連邦制は、確かに政治的妥協の産物ではあったとしても、その妥協は偉大な妥協であったと言うことができるでしょう。

3-2.今日の連邦制

 連邦制はアメリカの憲法構造に決定的な影響を与えています。すでに見たように、州との関係で連邦の権限をどこまで認めるかは、憲法制定時の最大の争点でありましたし、今日なお当時の対立する見解が形を変えて連邦主義の理解に影響しています。ただ、憲法の歴史の中で、連邦政府は憲法に列挙された権限のみを有するという建前であったにもかかわらず、連邦の権限が拡大の一途をたどってきたことは、否定しがたいものがあります。

 連邦の権限の拡大は、合衆国最高裁判所がおこなってきた憲法解釈によるところが大きいのです。特に、合衆国憲法第1篇8節18項のいわゆる「必要かつ適切条」(Necessary and Proper Clause:連邦は、憲法第1篇8節に列記された事項についての権限を実行に移すに際して、そのために必要であり、かつ適切な一切の法律を制定しうるというもの。)は、憲法を解釈して連邦の権限を拡大するに際して、しばしばその根拠とされてきました。また、合衆国憲法第1篇8節3項のいわゆる州際通商条項(Interstate Commerce Clause)は、連邦が経済規制的な政策を実施するに際して、しばしばその根拠とされてきました。最近では、銃規制の分野で州際通商条項が根拠として援用されるほどです。ただ、連邦政府の権限を縮小しようという見解も、いまなお有力に主張されています。

 ところで、今日の世界では、アメリカなどの現に連邦制を採っている国以外でも、「連邦制」という制度が注目されることが多々あります。たとえば、欧州諸国(EU圏内)での通貨統合を見ても、従来は国家権力の一つの属性とされてきた通貨管理権を、複数の国家が共有するわけでありますから、連邦制に似たものを見て取ることが出来ます。また、最近、頓に統一への気運が高まっている朝鮮半島の2つの国でも、統一の一つの方途として連邦制が議論されていると聞きます。我が国においても、2000年度から改正地方自治法が施行されており、中央政府と地方自治体との関係を、できるだけ対等なものにしていこうという試みがなされています。(すでにみたように、連邦制は、連邦政府と州政府とが主権を分割・分担することにより、権限の範囲を異にする2つの主権主体が対等の立場に立つ制度です。)

 調べてみて思うことは組織体系、理念、政治について、その一国家が成立しまた現在に至るまでの議論の過程を見ると、私たち ライフスタジオは国家ではないにしても、互いに経営をする共同体であり、合衆国や国家という単位とはとても比べものにはならないが、

「連邦制」という組織体系から学ぶべきところは案外多いなと思うのだ。勉強は続く・・・

 

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