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越谷店
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花の冠 静岡P55

投稿日:2012/3/12

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花の冠

大越 桂

Center:蒔田高徳

 図書館の返却コーナーを意識的に見ていた。返却するということは誰かが借りていた本だ。それは誰かが読むことを選んだ良い本である可能性が高いのだ。その返却コーナーの中で、この本には特別なオーラが出ていた。この本だけが、他の本に比べても大きく私の目に止まった。表紙のカバーの色鮮やかさもあるかもしれない。普段キレイだとか、かわいいとかには興味を惹かれないが、なぜだろうか、この本は他の本とは何かが違うなと思い、手を伸ばした。

開けてみるとパラパラめくると詩集だった。その場では、ページをパラパラしただけで、何も考えずに「私にも詩的な表現は必要だからな」と心でつぶやきながら、借りることを決めた。

 週4日勤務体制が始まり、初めて土曜日の出勤の代わりに平日である水曜日に休みとなった。朝、妻を職場に送り、娘も保育園に送り、私一人で読書でもしようかとこの本を手にした。

 何も考えずにこの詩集を読んだのだが、始まりから終わりまで涙を流していた。去年大震災後に現地のボランティア活動で現地の様子を目の当たりにした衝撃もあるかもしれない。また、この詩集の作者が重度の脳性麻痺という大きな障害を体にもち、しゃべることもできず、普段寝たきりで、指しか動かないという中で彼女にとって「言葉」「文字」というものがどれだけ大事で、また私のように思うようにタイピングが進められるのではなく、筆談で、一文字一文字にその重さがある。そして、言葉は美しいと感じさせてくれる彼女の詩のひとつひとつが、たくさんの人を動かし、図書館で本を借りた私と出会ったこの奇跡が本当に感動的で素敵なドキュメンタリーだと思うのだ。

 この詩集は、大越桂さんが23歳で出す、初めての詩集。本のタイトルでもある「花の冠」は、東日本大震災から1ヶ月の日に、宮城県仙台市に住む桂さんが、復興支援チャリティコンサートのオリジナル曲のために書いた詩だ。しかし、「がんばろう」も「地震」も「津波」も出てきません。ゆっくりとした優しい曲です。歌を聞きながら、この詩を読みまた涙が流れました。それは素直な涙です。「嬉しいなという度に 私の言葉は花になる」視界も狭く、限られた生活圏内の中でも、とても豊かな想像力と言葉の創意が本当に美しい表現で心が洗われます。少しだけ動かせる左手で、相手の手のひらに字を書く「筆談」で人とコミュニケーションを取っています。

 13歳で筆談を特訓するまで、言葉で思いを伝えることができなかった彼女。周囲が思うよりも、聞こえていて、感じて、わかっているのに、伝えられない。13歳までそんな毎日。「そのころの私は石だった」と桂さんはいいます。「無視されるし苦しいし、願いを持つことさえあきらめそうになりました。でも、生きることを許されて、生きる喜びが一筋でもあれば、石の中に自分が生まれる。私は、紀子やまわりの人のおかげで、人にしてもらった」生きる喜びと、自らがけして恵まれた状況ではない中でも、多くの人々を勇気づけ励まそうとする彼女の健気な言葉ひとつひとつが私にも、生きる力を与えてくれる。そして彼女の詩を読みながら彼女を思い、自分の悩みや苦しみはなんと小さなやさしいものだったのかと改めて考える。

 

 現在〔2012年3/9〕の日本の首相である野田首相が、所信表明演説の結びに「花の冠」を引用した。新聞で彼女の詩を読んだ首相から演説に引用させて頂きたいと彼女に連絡が来たのだ。そして、私もその演説をテレビで見ていた。私も野田首相の演説は、言葉の選択がとても上手で印象に残る為よく覚えている。

「誰でも、どんな境遇の下にいても、希望を持ち、希望を与えることができると、私は信じます。「希望の種」をまきましょう。そして、被災地に生まれる小さな「希望の芽」をみんなで大きく育てましょう」野田首相は、人脈記の記事で桂さんのことを知って、詩を読んだそうです。彼女の思いが言葉となって多くの人に、受け継がれ、たくさんの人にその言葉が届いていく・・・けして目立った記事ではなかったにも関わらず、一人一人の意思を持った一つ一つの動きがつながっていくそんな軌跡を私も知らず知らずのうちに、テレビの前で感じていたのです。

 

 彼女は、819グラムの小さい未熟児で生まれた。双子の姉である・葵さんもいたが、出産のときに亡くなった。彼女の生まれた日は同時に、彼女の双子の姉の命日でもあるのだ。生まれた時から十度の脳性麻痺障害があり、さらに強い弱視。そのため、ほとんど体を動かせないし、左上10センチ程度の一部以外はぼんやりとしか見えない。そのうえ、彼女は体が弱く、何度も大きな手術を小さい頃から繰り返してきた。生きているだけで、必死だ。そんな彼女が詩集を出版するということが、彼女にとって本当に大きな喜びであり、奇跡なのだ。彼女が13歳で筆談を覚えるまで、言葉で表現することができない為に、周囲は彼女の知能の発達は3歳くらいだと思っていたのだそうだ。しかし、彼女には周囲が話すことはほとんどわかっていた。耳は聞こえても、重度の脳性麻痺のため「あー」や「うー」の声しか出せず、体も動かず、コミュニケーションの手段がなかった。

 私自身は不便なことが少しもない。普通にしゃべれるし、パソコンも使え、耳も目も鼻も普通の人と変わりない。人と通じる手段を持たないことが考えられないが、どれだけの苦痛と、伝わらないもどかしさを抱えながら生きてきただろうか。私はもっと、自分自身の能力に感謝し、より力を発揮するべき人間なのだと自覚した。

 彼女が筆談に出会ったきっかけは「気管切開」の手術からだ。小学校6年生の時に重い肺炎で長く入院した彼女は気管切開の手術をし、その結果、声を失ってしまった。それまでは、声を出すことで、いくらかの意思表示が出来たものが、まったくできなくなってしまったのだ。声が出ない現実に愕然としながら、それでも何とかしなければと一生懸命体を動かしてベッドの柵を叩いて鳴らし、自分の意思を伝えようとする。母である紀子さんは、小さな動きに気づいて、声とは別の方法で話をしようと工夫をし、もっとよい方法はないかと支援学校の先生に相談したところ、「筆談」と出会うのでした。

 一つ大きな「声」という存在を無くしてしまったことから、違った「筆談」というものに出会ったことは「通じる人」になれる!という希望のエネルギーを生みました。

 彼女は弱視ではありながらも、父親や母親が小さな頃から読み聞かせてくれた絵本や父親が自身を膝の上に乗せて読んでいた新聞の見出しなどを見ていたので、実は少し文字を知ってはいたのだ。

 彼女の、筆談のスタートを読みながら、私はまた涙してしまった。ほんの少し動かせる左手にペンを固定してもらい、文字を書いた。最初は自分の名前である、かつらの「か」でした。「か」のカーブをうまく書きたくても、緊張で腕がこわばる。動かそうとすればするほど違う方向に行ってしまう。それでも、先生は文字を書こうとしている意思、動きを感じてくれ、彼女は次第に「通じる人」になれたのでした。自分の名前である「かつら」

のひらがなを書くのに10分もかかり、しかも、途中で疲労から吐いてしまう彼女。それでも「書く」「通じる」という喜びで体中がいっぱいになったそうです。そんな健気な姿を思いながら、私は普段当たり前のように何かをしている自分に感謝しながら、もっと良く生きなければならないと思い、彼女の苦労と痛みを思い、また彼女の喜ぶ心情を想像しながら、涙を流していました。

 

 花の冠

嬉しいなと言う度に 私の言葉は花になる

だから あったらいいなの種をまこう

小さな小さな種だって

君と一緒に育てれば

大きな大きな花になる

 

楽しいなと言う度に 私の言葉は花になる

だから だったらいいなの種をまこう

小さな小さな種だって

君と一緒に育てれば やさしい香りの花になる

 

花をつなげた冠を

あなたにそっとのせましょう

今は泣いてるあなたでも 笑顔の花になるように

 

彼女自身も、被災しながらたくさんの不便も感じ、普段通ってくれていたヘルパーさんは、地震が起きたあとは家族のところに戻らざるを得ず、父も市役所で働いていた為、泊り込みで家には戻れない状態であり、お母さんは、彼女と障害のある弟のそばを離れることができない為、給水車や食料の配給の列に並ぶことも出来ず、電気が止められた時には、自家用車の充電用コンセントから、彼女のたんの吸引機を動かし、自家発電をしながら何とか生きてきた。7日目には食料が底をついた。彼女はブログで「助けて」とSOSを出したのだ。すると、そのとたんに、近所に住む人や仲間が、友人たちが、たった数時間で助けに来てくれ、また全国の知り合いから、宅配便などで救援物資が届き、本当に感謝したと言います。この花の冠という詩は、それらのつながりや思いやりの笑顔でできた詩だといいます。彼女の詩はメロディをつけて歌にもなりました。「地震」や「津波」や「がんばろう」がない応援歌。それをyoutubeで検索して見ました。とてもやさしいメロディにのせて、子供たちの合唱で聞く歌と彼女の詩を感じながら、また涙が心を洗い流してくれるかのように流れるのでした。

たくさんの詩が詩集の中にありますが、「いのりの始まり」という詩もとてもすてきでした。

「いのりの始まり」

いのりの始まりは心

心の行き先は思い

思いの行き先は頭

頭の行き先は知恵

知恵の行き先は行動

行動の行き先はつながり

つながりの行き先は心

心の行き先は祈り

こうして地球はまわっている

祈りが地球をまわしている

だから私たちは生きている

あなたと一緒に生きている

(震災後、世界中の人が祈っているのを知って)

 ベッドで横たわる彼女が、視界の限定された中で得る情報や、人々の思いから自身が感じ取って出てくる純粋な言葉。

とても健気で暖かく、そして生きるものを力強くもう一度生きようとさせてくれる何か暖かい力がある素敵な詩集でした。涙

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