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越谷店
さまよう刃 静岡P48
投稿日:2012/2/29
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さまよう刃
著者:東野圭吾
Center:蒔田高徳
この小説と現実のテレビのニュースの映像が頭の中でリンクした。光市母子殺害事件のニュースがテレビで流れていた。当時未成年だった少年Aに対して、最高裁が上告を棄却し、死刑が確定したニュースだ。
私がまだ10代だった頃、当時24歳の被害者遺族の父親が、テレビの前で涙を流しながら、未成年だから許されるのか、現状の法律はおかしいと、加害者を守る以上に、被害者はもっと苦しんでいるんだ!!とテレビの前で、涙を流しながら訴えている姿は、当時10代の自分もテレビの前でその悔しさと悲しさ、恨みが伝わってきて涙したのを覚えている。
またこの事件の報道には日本中が、関心を寄せていた。死刑なのか、少年法で守られるのか、無期懲役なのか、誰もの心が無念だった。
記憶に焼きついているのは、2000年3月の本村洋さんの記者会見だ。
山口地方裁判所は、無期懲役の判決を下した件に関して
「司法に絶望しました。
控訴、上告は望みません。
早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。
私がこの手で殺します。」
テレビの前でこの記者会見の本村さんの声を聞いた。それは本気でそう言っている声だった。多くの人の心が痛み、震え、今ある司法の基準はおかしいと考えながら、社会が矛盾していると真剣に考えることになったと思う。
13年に渡り、現行の法と戦い続け、死刑の判決を・・・それを勝ち取ったと表現すればいいのかはわからない。記者会見でも、この事件に勝者はいない。敗者しかいないといったようなコメントをしていたのを見た。
私も、妻と娘がいる。このような事件が他人後に感じないのは、もし私が同じ立場だったら、、、と考えると、私自身の生きている価値観が、全くもって揺らぐのだ。
現実の事件と、この小説がつながるのは、小説の中で、事件の犯人は残忍な犯罪、殺人をしたにも関わらず、現在の日本の少年法では守られてしまう立場にある。少年も自身が現状の法律では守られることが頭にある事を悟りながら、平気な顔で生きていることが、小説を読む読者に怒りのボルテージを上げさせる。私は小説を読みながら、全身が震えた。怒りがこみあげすぎて内臓から、体の調子が悪くなった。
よどんだ殺意と晴らせない感情が、作者が導く文の価値観へと自分の感情が転がされていく。それは本当に恐ろしいことだ。
『誰が裁くのか。誰を守るのか。』
日本の少年法に対し、ニュースで見る憤る惨劇を思い出す。被害者の苦しみ、社会の対
応、何が正義か、、、読みながら寒気が、怒りも、苦悩も体をどこかおかしくしてくる。
段々と小説で復習を誓う父のように悪魔に取り付かれていく。
『警察は市民を守っているのではない。警察が守るのは法律の方だ』
この矛盾した言葉は、矛盾しながらも、実際の現在の私たちの社会がその通りなのだ。著者はそれを小説で訴えている。社会に対してメッセージを送っている。
その感情がまた理解できるから作者の文章力と、構成力に最後まで圧倒させられる。
途中息をするのを忘れてしまう程、小説にのめりこんでしまう。とにかく苦しい苦しいこの気持ちがページをめくるごとに、最後に救いが何かあればと願えど、小説を読み終わっても救いはない。読み終わってからもその余韻が消えずにいる。
13年という長い間、社会の矛盾と戦ってこられた本村さんの戦いに、言葉では言えない心で苦しみと悲しみと、耐えてきた今も耐えながら生きているであろうその心に、深く祈りを捧げることしかできない。
そして、私たちが常に社会に対して問うべきだ。私の考えは、あなたの考えは?どう思うのか。そうでなければ、タイトルのように、刃の先はさまよってしまうと思うのだ。
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