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越谷店
CIAは何をしていた? 静岡P36
投稿日:2012/2/26
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CIAは何をしていた?
著:ロバート・ベア
この本を読むきっかけは、社長と静岡の物件を整理しに行った車の中での会話からだ。会話の中で「中央状況室」という言葉を聞いたが、日本語でそれに合う言葉はなんだろうか?センター?中央管理局?話を聞いて、私たちにとって必要な情報を仕入れ、その情報を必要、不必要と分類し、また情報を分散、配信する・・・そのような役割。
頭の中で思い描いたイメージをそのまま言葉にした「要するにCIAとFBIの両方をやれということですか?」そんな質問をした。海外のドラマや映画を見れば、CIAやFBIは情報を扱い、その情報を基に行動していくとてもかっこよく映る。ただ、平凡な日々の仕事をしているよりも、CIAやFBIの様に仕事をするなら、面白そうではないか。
単純なことではないが、ものごとは真面目に面白く考えたほうが楽しい。私は、その会話の中で、CIAとFBIの本を何か読んでみようと思って、この本を本屋で手にした。それは情報を基に、機能している組織のイメージとして、学ぶことがたくさんあると見てのことだ。
タイトルから分かるように、この本はCIAという組織が、いかに腐敗し、機能しなくなったかを内部から告発した本だ。著者は、本来のCIAという組織を愛していた故の失望と、変わるべきだという警告を出している。この本はただ読んでも著者の特別なスパイ経験から基づくエンターテイメント性と、近い歴史的な戦争、紛争に諜報員として関与していたリアリティが読む者を楽しませてくれる。一人の人間の幻滅と怒りの物語であり、同時に、CIA内部で、ボブ・ベアが必要な時間を費やし、支援を得てエキスパートになっていく、その教育と進化と自由の物語である。
9・11のテロはたった一つの過ちの結果ではなく、いくつもの連続した過ちの結果だ。
本を読んでいると、彼の告発した内容がメディアでは放送されない内容の、点と点が結びついていく。
著者のスパイ活動拠点であった中東は、真実を覆い隠すように仕組まれた土地だという。テレビや新聞はニュースを伝えない。彼らが伝えるのは、政府が伝えるのもを望むプロパガンダばかりだ。だから調査報道というものは存在しない。政治や社会に関する本は読むに値しない。スキャンダルが大衆に漏れ聞こえてくるのは、政府がそれを流してもよいと判断したときに限られる。個人のレベルでも、事情に変わりはない。中東の人間は、自分をさらすことが少なければ少ないほどいいと信じている。政治については当たり障りのない言葉でしか語らないし、テロリズムについて議論しようなどとは考えもしない。彼らの目には、テロリズムは国の活動と映っている。それに対して意見を述べても、投獄されるだけのことだ。
そんな中で、彼はどのようにして諜報活動をしていくのか、自身が動いての諜報活動ももちろんそうだが、CIAの活動の重大な仕事の一つであるのは、現地人のスカウトである。情報というものは人に集約される。このスカウトという行為に対して深く本の中で説明があるのだが、これを見て私は非常に参考になった。
私が行うのはけしてスパイ活動ではないが、情報は人に集約されるということから、
私も人をスカウトし、組織を作らなければすべて一人で出来ることではない。とても単純な事なのだが、本を見て、自分の目の前が開けるように感じた。全体会議長として、一人その名前を持って今までやってきたが、人をスカウトして委員会で運営すればよかったのだ。早速スカウトに乗り出した。スパイ活動ではないが、委員会の組織メンバーを的確に配置して、もっと全体会議のヒアリングが出来るはずなのだ。そして委員会を組織して、その機能づくりをしていくことで私が一人で行なって、よくわからないまま悩んでいたり少し負担に感じていたことも、より良い目と耳とを持った良い組織になっていく予感がした。デザイン室しかり、全体会議しかり、あらゆる組織において、CIAの組織の動きというのも参考になるものだ。さらに、かっこよければ言うことなしだが 笑
この本の著者が、CIAに向けた警告と失望のメッセージは私にとっても大きなメッセージだ。
要は、そこに含まれるのがいかに不快なメッセージであっても、あらためて人々の話に耳を傾けることから始める必要があるという点に尽きるのではないか。CIAはもう一度、外に出ていって、人々に―ふつうにはいけないところへいける人々、見えないものが見える人々、聞こえないものが聞こえる人々に―話しかける意外に選択の余地はないのだ。1967年に著者入った頃のCIAはそうだった。衛生テクノロジーにのぼせあがって頼ったり、荒野に自ら進み、そこで見つかるものに立ち向かうだけの根性を持っていた。それこそ、今日、必要とされるCIAの姿だ。そういうCIA―何千もの人間の耳目を以、危害を加えようとする連中が邪悪な計画を温めているその場所を察知できるだけのCIA。
情報を収集し、彼らが何をしようとするのかを知り、彼らがやってくることに備えることだ。そして、そんな情報を収集する唯一の方法は、沼地がどんなに濁っていようとも、秘密を探る手立てを知っている人々に任務を遂行させる政治的意思を持つことだ。
CIAは巨大な組織になりながら、見ざる、聞かざる、為さざるのモデルとなってしまっていった。事なかれ主義、自己保身の官僚主義が蔓延した。今の日本や、落ち着いてきた組織の中でも同じような矛盾はいつでもあるだろう。著者が結語としているCIA再生策は、当然のことながら、ヒューマンファクターの復権だ。9・11事件後の、CIAに対して浴びせられた批判の中で目立ったのは、ヒューミントの軽視を指摘する声だ。ヒューミント(ヒューマンインテリジェンス)とは、人間によって収集された情報をいい、シギント(シグナル・インテリジェンス)やイミント(イメージインテリジェンス)など、通信傍受や衛星写真といったハイテク機器によって収集された情報に対置される。
CIAのように、国家の国防やテロなど、命懸けの情報戦ではないにしても、私たちの社会も結局のところ、情報は人に集約されることは同じだと思う。CIAの事なかれの官僚主義が蔓延してしまい、本来の機能を失ってしまったことを見る教訓から、私たちの現場でもそのような現象はいつでも起こり得ると思う。常に、進化と変化と必要とされる修正がいつでも必要だと感じる。
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