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夜間飛行 静岡P30

投稿日:2012/1/24

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夜間飛行 静岡P30

著:サン=テグジュペリ

Center:蒔田高徳

 この小説に取り上げられた時代には、航空輸送会社は夜間飛行は危険な実験時代を経て、ようやく今日の実用化を見るに至ったものだ。今では私達の取り扱っているEMS[国際郵便]も当たり前に使っているが、実現に至るまでの長い道のりと、勇気あるものたちの戦いがあってのものだと理解する。

主人公は支配人リヴィエール。彼を見ると、私は彼とは比べ物にはならないが、若干どこか似たような境遇を持っているなと感じた。私は主人公のように絶対的ではなく、柔軟であるが、それは全く違うのだが、立場は少し似ていると見る、

彼は自分では行動しない、しかし他人に行動させる。彼は配下の操縦士に、自分の美質を吹き込み、そのかわり、彼らから、その能力の最大限度を要求し、彼らに偉功を立てさせる。彼の一徹な決定の前には、弱気は一切許されない、またどんな小さな過失も彼は仮借なく処罰する。しかし、その厳格さは人間に向けられたものではなく、人間の持つ欠点に向けられるのであって、彼は人間の欠点を矯正しようと言い張るのだ。

航空輸送便には多くのシステムと仕事が存在する、またシステムや仕事だけでなく、そこに関わる人の数が多いだろう。その数すべてが主人公の対象だ。そして、命を懸けた飛行が無事に行われなければならない。一つの隙もあってはいけない。あってはならないのだ。だからこそ、彼の持っている基準は厳格だ。「苦悩をも引きずっていく強い生活に向かって彼らを押しやらなければならないのだ。これだけが意義のある生活だ」「僕は、自分が公平だか、不公平だかは知らない。ただ、僕が、罰しさえすれば事故は減少する。責任の所在は、人間ではないのだ。それは全員を処罰しなければ罰し得ない闇の力のごときものだ。もし僕が公平だったりしたら、夜間飛行は、一度々々が、致命的な危険の伴うものになるはずだ」彼はこの航空路をきびしい条件化に開発しなければならなかったことを考えて幾分さびしくなった。彼はあわれみの心は美しいものだとしみじみ思った。彼の中に人間性ややさしさが無いわけではない。いつも苦悩しながら、彼は精神に湿疹を抱えているのだ。彼のように、命がけの苦悩を私は持っていない。持ちたくはない。だが、このように命がけの苦悩をしてきた人間の戦いがあって今日私達のシステムやサービスが動いているのだ。共に働く彼らはただの職場の同僚ではない、いつも戦友の一人なのだ。

 彼が規律に基づいて年配の機械工を解雇する時、必死に食いつく機械工に彼はこう告げる。 

「出来事というものは、人間が命令するものなのだ、出来事は命令に従うものであり、また人が作り出すものなのだ。人間というものもただの物品でしかなく、これまた人がつくるものなのだ。だから故障が彼らを通じて現れるときは、その人間をだんぜん引っ込めてしまうべきだ。」

一見、冷徹に見えるかもしれない。しかし、秩序は狂わない。彼の心の奥は痛みを覚えながらも、彼はそれを実行する。彼はまた自分の信念を強めるために、思うのだ。「あれらの人々を、みな僕は愛している、僕が闘っているのは彼ら相手ではない。彼らの中をよぎるもの、つまり過失が僕の相手だ・・・」

「僕は、自分がしていることがよいことかどうか知らない。僕は、人生に正確にどれほどの価値があるのかも、正義にどれだけの価値があるのかも、苦悩にどれだけの価値があるのかも知らない。僕は、一人の男の喜びに正確にどれだけの価値があるものかも知らない。わななく手の価値も、哀憐の心の価値も、優しさの価値も知らない。」

 「愛されようとするには、同情したらいいのだ。ところが僕は決して同情はしない。いや、しないわけではないが、外面に現さない。僕だとて勿論、自分の周囲を、友情と人間的な温情で満たしておきたいのはやまやまだ。医者なら自分の職業を遂行しながら、それらのものを勝ち得ることもできるのだが、僕は不測の事変に奉仕している身の上だ。不測の事変がいつでもこれを使い得るように、僕は人員を訓練しておかなければならない。夜ふけて、地図を前に、事務室にいると、僕にははっきりこの隠れた法則が感じられる、僕がなげやりにして、万事をただ規則まかせにしておくようだと、不思議に早晩事故が生じる。いわば、機体が飛行中にばらばらになるのを、また暴風雨が来てビンの到着を遅らせたりするのを防ぐのは、すべて僕の意志の力ひとうにかかっているようなが気がするのだ。」これらの台詞を読みながら、私は多くを共感していた。もちろん程度は全然違ったものであるが、リヴィエールという主人公はもう一人の自分、心の友達のようだ。いや、見習いたい先輩のような存在か。

 夜間飛行とは、一つの目的だ。彼が夜間飛行の実現のためにしてきた戦い、苦悩のように、私にも夜間飛行があるのだ。「経験が法を作ってくれるはずです。法の知識が経験に先立つ必要はありません」わずかな同意と、多くの非難を受けながら、彼は、この孤独の戦いを続けている。

 夜さえ明けてくれたら・・・。

この言葉がどれだけ切実か。物語の心の戦いを思いながら。この一言に込められた思いを考える。失敗は強者によっては滋養になる。ただここに、不幸なのは、この事業の従業員に対して、僕が賭け事をしている結果になる点だ。しかもその賭け事にあっては、事物の真の意義の価値がはなはだわずかしか感情に入らない。勝つも負けるも見かけだけだ、どのみち勝負は小さいのだ。それなのに、負けたとなると、めちゃめちゃに負けたらしい見かけで身を縛られる。

公益というものは、私益から成っている、それは、それ以外の何物でもない。人間の生命には価値はないかもしれない。僕らは常に、何か人間の生命以上に価値のあるものが存在するかのように行為しているが、しからばそれは何であろうか?

何者の名において、僕は行動しているのか?

 空の彼方で行方不明になり、帰らぬ人となった乗組員を思い、彼は考える。

 人生には解決法なんかないのだよ。人生にあるのは、前進中の力だけなんだ。その力を作りださなければいけない。それさえあれば解決法なんか、ひとりでに見つかるのだ。

それは現代の私達も同じだ。そんな高貴な悩みではないのかもしれない。人生にあるのはただ前進中の力だけだという言葉のように、後退をしないことだ。その力を作り出そう。

 目的は、ともすれば、何ものをも証明しないかもしれないが、行動が死滅から救ってくれるのだ。あの人々は彼らの船のゆえに後世までも生き残っているのだ。あそこに来ているあれらの電報に、その真の意義を、夜勤の荷役係らに仕事のうえの不安を、搭乗員達にその悲劇的な目標を与えるとき、リヴィエールもはじめて人間の死滅に対して闘っていることになる。風が海の上の帆船を動かすように、生命がこの事業を動かすとき、はじめて、彼は人間の死滅に対して戦っていることになる。

 勝利だの・・・敗北だのと・・・これらの言葉には、意味がない。生命はこうした事象を超越して、すでに早くも新しい表象を準備しつつあった。勝利は一国民を衰弱せしめ、敗北は他の一国民を衰弱から鼓舞する。今度、リヴィエールが喫した敗北は、どちらかといえば、最も勝利に近い敗北だった。大切なのは、ただ一つ、進展しつつある事態だけだ。

リヴィエールが、いま、静かな歩みを運んで、自分のきつい視線の前にうなだれる事務員たちの間を通り、仕事が待っている支配人室へと戻る。偉大なリヴィエール、自らの思い勝利を背負って立つ勝利者リヴィエール。

 夜間飛行とは目的だ。それはまだ見ることのない一つの不確実な方向だ。新しい価値の創造に向かった旅だ。その中に、秩序と、秩序だけでは上手くいかない現実と戦いがあるのだ。だから悩むのだ。夜間飛行、頭の中に二つの映画が流れていた。リヴィエール主演、もう一つの映画には私が主演していた。 かっこよく映っているといいのだが。

 

 

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