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アリストテレスマネジメント 静岡P26

投稿日:2011/12/21

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アリストテレス マネジメント

著者:クリスタ・メスナリック 訳:三谷武司

Center:蒔田高徳

 現代のビジネスに必要なことは、すべてアリストテレスが2300年前に語っていた。と本のカバーには目立つように見出しがあった。ライフスタジオに入ってから、アリストテレスという人物とよく出会うようになる。今では私もアリストテレスの事を、略して「ア先生」と呼んでいる。著者は経営者、コンサルタントとしての豊富な経験をふまえて、アリストテレスの知見から、企業の変革を簡単かつ迅速に実行可能とするためのコンセプトへと練り上げることを本書の目標としている。

「この世に存在するものはすべて変化する」というのが、アリストテレスが発見した第原理の一つだ。自分の人生と仕事を意識的に見直し、もっと発展させたいと思っている。アリストテレス的な意味で-目標に向かって、しかし頑迷な完璧主義者でなく-前進する者として。

 運動が変化を引き起こす

アリストテレスは自らが主催する哲学学校リュケイオンを設立した。この学校では、弟子と師匠の対話が、しばしば敷地内を歩きながら行われたため、アリストテレスの学派はのちに逍遥学派(ペリパトス学派)と呼ばれるようになった。つまり「散歩する」「散策する」という意味である。体を動かすことと、哲学すること。両者を結びつける議論は、後世の哲学者たちにもよく見られるものだ。身体と精神との間には、明らかに相互刺激の関係が存在する。一つの問題にとらわれているとき、多くの人が、本能的に椅子から立ち上がり、考えに没頭して部屋中を歩き回る。良いアイディアはランニング中や、犬の散歩中に湧いてくる。ライフスタジオの哲学サークルも、運動を取り入れている。ただ単に部屋にこもって、その空気の中哲学をするのは、空気が重い。外の空気を取り入れたり、運動したり、哲学には、哲学するだけでなく、運動も必要だと私も思う。本の最初に、この内容があったので、本には同意からスタートすることができた。現代の会社組織におけるマネージャー達の労働条件には問題があると著者は指摘する。マネージャーは運動をあまりしない。「物事を熟考するのに一日どのくらい時間をかけていますか?」と訊ねても、質問の意味を理解してくれないことすらある。現代のミーティング文化が運動不足を助長している面もあるだろう。そこで、アリストテレスからの助言だ。「運動をプロセスに組み込め」。ミーティングを椅子をなくし、スタンドミーティングする方法もいいだろう。合間に簡単なダーツで勝負をするのもいいだろう。運動と思考の関係については、すでに多くの企業で十分な経験が蓄積されているはずだが、アリストテレスは2300年前から両者の関係に気づいていたのだ。これをうまえた上で、私はどんな提案が出来るだろう。少しまた仕事が楽しくなる予感がする。

 

 

物事を成功へと導くためには、常に次の二つが必要である。

一つは、目指すべき目的と目標が正しく定められていること。

もう一つは、どうすればそれを達成できるかを知ることだ。

 アリストテレスがこう言っていることは、現代の私達の現場でも同じだ。当たり前のようだが、2000年以上も前に言っていたことなのだ。アリストテレスは私達に2つの態度を勧めている。一つ目、すべては変化するのであり、つねにこの絶えざる変化のプロセスの中に、私たちもまた-望むと望まざるを問わず-組み込まれていることを認識し、受け入れること。もう一つはそのうでで、それが不完全から完全へと向かうプロセスであると、信じることだ。

 私達が何かを計画するとき、その計画を自分できちんと実行するために大切なのは、それがいかなる目的のための計画なのかを自分ではっきりと認識すること、そしてその目的を追求し実現するための手段となるべき目標を定めていくことだ。最近熱くなったデザイン室の人間の温度が、なんの為の目的なのか、それを早く明確に決めようとした。これからもそうだ。何のために議論しているのか、いつでも何の為の目的なのか、計画なのか認識することだ。

仕事上のスタッフにモチベーションを与えるために大切なのは、プロセスの全体に参加してもらい、アイデンティティの基礎となるような有意味な活動を任せることだ。と本には書いてある。私達はデザイン室の目的や意味を最近確認した。その上で、スタッフがプロセス全体に参加し、アイデンティティの基礎となる活動を任せていくことを忘れてはいけない。これから、人員の交代や、人員の増加もあるだろう。それでも私達の目的は一緒だ。

そうであれば、考えるべきことは、スタッフに対してどんな指示を出すかではなく、どんな目標を示すか、でなければならない。そして、スタッフに示される目標は企業目的を明確にするものでなければならない。

 現実はどのようにして成立しているか 

アリストテレスによれば、私達をとりまくこの世界は、質料と形相という二つの要素で出来ているという。あらゆる事物の本質は、事物それ自体の内部にあり、対象は質料が形相を得ることによって成立する。例えば、大理石が質料であり、柱というイデア(概念)が形相である。そしてこの二つから「大理石の柱」という対象が成立する。形相を与えるのは、この場合は柱を作る職人の仕事のプロセスである。このプロセスが、形相をもたない質料に形相を与える。質料と形相、この両者は互いに相手を必要とする。どちらか一方だけでは、形相も質料も、純粋な可能性でしかない。両者が一緒になって、初めて現実が成立するのだ。アリストテレスは、さらに一歩、議論を進める。質料にはあらかじめ、その質料に完全に対応する形相の可能性が埋め込まれているというのだ。形相を与える者は、この隠れた可能性を見つけ出すことで、質料の本質を表に引き出すことができる。私達が、写真から様々な商品を想像したり、することも同じことだろう。両者は純粋な可能性だ。私達の使途とのプロセスが、形相を持たない質量に形相を与えることができるのだ。つまり、

私達はいつも可能性に満ちているとも言える。そう思うと楽しいのだ。

 では、この知見は、経済やマネジメントにおいてどんな意味をもつのだろうか。私達の現実は、どのような質料が形相を得て成立したものだろうか。

私達の企業には、非物質的な質量と、物質的な質量の2種類がある。

非物質的な質料としては、仕事のプロセス、コミュニケーション、情報の流れ、文書の作成、役職、などがえられる。

物質的な質料とsいては、社員、顧客、その他すべてのステークホルダー、機会、労働手段、原材料、資材、建物など。

 これらの質料に、自分のイデアにしたがって、形相を与えることだできる人物、それがマネジャーだと本には書いてある。

質料には、そのポテンシャルが内在しているとすれば、マネジャーがまずやるべきことは、手持ちの質料にどんな可能性が秘められているかを確かめることだ。質料の本質に対応する形相がわかれば、あとは簡単だ。ただその形相を与えればいいのだから。スタッフについていえば、当人の希望やポテンシャル、能力や得意分野を調べ、そのうえで、それに対応した形で教育や訓練を施し、対応した職務を与えればいい。仕事のプロセスを効率的・効果的にしたい場合も同じ原理が適用できるとある。

簡単だと言っているが、これが現実では見えていないから大変だ。しかし、こういった事が本を通じてよく見えてくるようになってくる。私達が内在しているポテンシャルにもっと目を向けてみよう。質料と形相をもっと考えてみよう。それはいかにして存在しているか、もっと考えてみよう。彫刻家が大理石の塊に対して、とるべき形が見えてくるまでに時間をかけて観察するのと同じように、仕事のプロセスをじっくりと観察すればいいと言うが、同時にそれには、非常な冷静さと全体を見据えた思考が要求されるとある。質料に内在するポテンシャルを発見するには、忍耐と信頼が不可欠である。見守ることが出来ずに口を挟む癖はなかなか直らない。しかし、本の著者が言うように、忍耐と信頼は不可欠だ。それに見合う報酬は、あとで必ず得られる。もしスタート時点で誤りがあれば、途中に戻って修正しなければならなくなる。アリストテレスの次の言葉では、即ち「始めは全体の半分である」と言うが、来年の私達の目標は立てる時点で半分となるほど重要なものなのだ。その始まりはもっと重要だ。運営計画書や我々の根幹にある我々の目標は、私達が質料の本質に対応する形相を成す上で、本当に半分となるくらい重要だ。

 

評価せず、可能性を探る

アリストテレスが企業コンサルタントであれば、より高次の目的、つまり目的因を定めよと助言するはずだ。企業全体の水準だけでなく、各計画それぞれについて、目的因を定めよと。ライフスタジオの目的は何か、これをいつも考えているのがリーダーではないか。職員もまた、同じように考えることが必要だ。「人が人を人として」こういったフレーズが出ているが、私達がこの言葉に至る内容に働く我々自身が自分に説明できるようでなくてはならないと思う。

現状を、解釈やごまかしを入れずに真摯に見つめよ。そうすれば、必ずそこに何らかの不足が見つかる。不足しているということは、必要である、需要がある、ということだ。需要分析とはつねに、初期状態の記述から導かれる論理的帰結なのだという。私達の現場を紳士に見つめればそこに必ず、不足がある。それはつまり、必要であるものがある。それを見て通り過ぎるのではなく、真に認識するときに、私達はまた新しい可能性を見るのだと思う。

そのうえで、次の問いを立てる。世界はどのようにあるべきか。何が最善であるか。何が最も美しいのか。この製品・サービスは、世界に対していかなる効果を生み出すべきなのか。この本の言葉は私もこれからずっと使う言葉だと思う。私達の小さな組織の世界でも、どのようにあるべきか。何が最善であるか。何が最も美しいのか。こう疑問にするだけで、たくさんのエネルギーが湧くではないか。

ここで特に重要なことは、章のタイトルの通り、この段階ではまだ物事を評価しないことだ。実行可能性を考慮して、自身の思考を制限してしまわないことだ。アリストテレスにお完全性志向原理を正しく適用しよう。それは可能性の中から最大のものを最終的に選び取るということだ。リスクが最小化されるから、コストが節約できるから、というだけの理由で、企業の成長可能性を否定してはならない。

 

計画の実践に向けて

目標と効果が明らかになったら、次に必要なのは、その効果が誰に向けられたものなのかを明らかにすることだ。目標グループを全体的に観察することで、どの水準の受け手が何を必要としているのかが明確になり、顧客への扉が開くことになる。目的、目標、効果、目標グループが定まったら、次の問いこそ「目標グループの対象に向けて、自分は何をするのが効果的か」この問いに対する答えとして、製品の仕様プラン、プロジェクト進行計画、スケジュール管理、資源計画、コスト計画、リスクマネジメント計画などの、プロセス計画策定が続く。よく思いつく何かのアイディアは、アイディアだけが先走って、自分のイメージが周りには伝わらないことがよくある。それをしっかりまず自分に問いを立ててそれをプロセス化して、相手にも伝えられるように自分の精度を上げれる気がした。本のとおりに、アリストテレスが考えるように実践すれば・・・

 

アリストテレスと聞いて思い出す言葉はなんとなくでも、中庸と言う初めて見る漢字の言葉だった。それは、ちょうど真ん中という意味ではなく、二つの極の間にある最適点を指すのだという。三角形の図を描いてみると分かりやすい。「けち」と「浪費」という極と極があるとして、その極と極との中庸はと三角形を描けば、「気前のよさ」というような単語を思いついたりする。それがけして真ん中というのではなく、中庸といった最適点を指す。私達が、金額的な面での設定などを考えるときも、中庸という点は非常に大事だろう。頭の中で中庸とは何かの三角形の図を描くこと。これは今後もとても大事なことだと勉強した。

徳について

アリストテレスは徳とは一つの習慣である。意思と理性にしたがって生きるとき、その生活習慣が徳となるのだ。という。ライフスタジオの中にある徳はなんだろう?と考えた。習慣の中の業務、システム自体は全くそれに当てはまらないような気がした。意思と理性に従って生きるとき、その生活習慣が徳となるとすれば、自らの意思と理性で学ぶ習慣とは、それは徳ではないだろうか。他にもたくさん本当はあるだろう。今はそれがあんまり見えてこないのだ。最近ちらほらとその芽が出てきている気がする。

アリストテレスは正しい(徳のある)態度や行動を、自由意志によって決定せよという。自由意志による行動だけが徳のある行動であり、成功と幸福をもたらすものである。著者は言う自由意志にによる自己決定性は、マネージャーのにとって最大のカリスマ要因の一つだと。

 人間にとって最高の徳は何か?という問いに対して、アリストテレスは「理性に従った、あるいは少なくとも理性を含んだ、魂の活動状態」であると応えている。

我々のそれはなんだろう?でも、その言葉には深く心に響くものがある。

今、魂の活動状態でなく、ただ肉体の活動状態にはなっていないだろうか?

 

この本はアリストテレスの言葉をところどころビジネスの現場に置き換えて説明している。そしてマネジメントをしていく、経営者、マネージャーという立場の人間に対して、非常にアリストテレスの言葉をわかりやすく説明してくれている。マネジメントとということが、いつでも課題であるから、また、この本をたびたび開くことになりそうだ。

 

 

 

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