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「ヨコミネ式」家庭でできる天才教育 静岡プロジェクト21

投稿日:2011/12/1

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「ヨコミネ式」家庭でできる天才教育

著:横峰吉文

Center:蒔田高徳

 自分の娘に英才教育を施したくてこの本を手にした訳ではない。 この本を手にする前に、テレビのドキュメンタリーでこの横峰式の保育園の映像を見た。そこには、驚きと感動があった。甲子園の野球児達が感動的な試合をするように、そこの保育園での映像は、青春の

保育園の子供たちが、みんな元気に逆立ちをして歩いたり、ブリッジの体制で後ろ向きで歩いたり、子供よりも高さのある13段くらいの跳び箱をみんな飛んでいたりと。運動神経だけでなく、読み書き、絶対音感を身につけ、テレビで見た子供たちの驚くべき能力に、どれだけスパルタ教育をしたら、こうなってしまうのか?と勝手に思い込んでしまうのが

現代の我々だと思う。しかし、テレビを見ていると先生達が教えている姿が全然見られないことに気付く。教育自体に何か映せない秘密があるのでは・・・と偏見の目で見る大人がほとんだろう。しかし、映像でもほとんど子供たちが被写体であって、先生達の教える姿が見られない。子供たちが自ら学習している姿勢に驚く事になる。そこには強制された雰囲気がどこにもないのだ。それは著者の横峰氏が、長年子供たちの教育の現場で見た中から見つけ出した結論、それは「教育」ではなく子供たち自らが勝手に学び、勝手に育つ「学育」と言う理念の現場だからである。

 けして、私の娘に徹底的なスパルタ天才教育をしたくてこの本を選んだのではない。この本は、教育の本質に迫った本だと私は感じた。大人の私にも学んでいく姿勢には同じ事が言える。それを幼い頃から習慣化できることはものすごい良いことだ。子供は喜びながら学び成長していく。

本は非常にわかりやすくメッセージが明確である。

◆学校を信用していませんか?

◆子供に勉強を教えていませんか?

◆学習教材にあわせていませんか?

◆何の為に子育てするのかわかっていますか?

◆男と女を一緒だとおもっていませんか?

◆子供をほめていませんか?

◆子供を傷つけないようにしていませんか?

◆子供が飽きていませんか?

◆子供に押しつけていませんか?

◆子育てをがんばっていませんか? 

以上の10の質問から本は構成される。

 ◆学校を信用していませんか?

著者は「学校の教育を信じるのではなく、あなたの子供を信じなさい」という。自ら学び覚えていく「自学自習」こそが子供を大きく成長させると確信している。今の学校が信用できないと著者はいう。要因のひとつとして、教える現場がサービス業化してしまったことを挙げていた。今、先生の視線は、子供ではなく親に向かってしまっている。親にこびることが仕事と考えている大人たちが、子供をしかることができなかったり、親の顔色を気にして子供をお客様扱いしてしまっている現状の日本の教育現場では、子供を育てる場所としての学校が正しく機能していないと批判をしている。もちろんすべてがそうだとは言わないが、確かに日本は医療現場、教育現場、本来おとなしくしていた側が自分たちはお金を払っているんだからと、現場をサービス業化して見ている人が増え、大変困っているといった話しを私も聞いた事がある。

 学校のマニュアル化された「一斉教育」で、多様な個性をもっている子供達のその個々人に応じた課題に目を向けておらず、ただマニュアル化された授業だけを繰り返している。それでは、子供の本来持っている自発性を発揮することは難しいと語る。

学校だけでなく、先生が書いた通知表が絶対だと思わない事。あなたの子供の才能や可能性を、信用できない学校と先生のが書いたもので決めつけないことを真剣に第一章から忠告している。

プロとして絶対に、親のせいにしてはいけない、ましてや、子供のせいになど絶対にしてはいけない。保育の現場にいると、子供が思うようにならないことを、親のせいにする人がいたり、朝食を食べてこなかったり、お風呂に入ってこないような子の親に対して問題視をするような見方をしてしまったりすると思いますが、横峰さんの保育園の考え方として「世の中には、いろんな親がいて当たり前で、何でも親が問題だと片付けてしまっては、プロではない。」もし朝ごはんを食べて来なかった子供がいれば食べさせてあげ、シャワーを浴びてない子であれば、保育園でシャワーを浴びさせてあげればいい

 保育園の経営理念

1.ひとりひとりのお母さん(保護者)のための保育園であること

2.ひとりひとり子供のための保育園であること

 

 世の中のお母さんには、朝早く勤めに出なければならず、朝食を作れない人もいます。そのようなお母さんのために保育園があると考える。毎日、朝食を作れる人ばかりではないだからこそ、私達の仕事が成り立つと考え、保育のプロであるからこそ、一人ひとりのお母さんの為にならなくてはいけないと考えてそうしている。

 朝食を食べずに来た子が、保育園で朝ごはんを食べていれば、お母さんはそのうち気付くことになる。なぜなら子供が自ら「今日、保育園でパンとバナナを食べたよ」とどこかで言うからだ。こうして親自身に気付いてもらったときに、保育園に厚い信頼を親は寄せてくれるようになります。そして、「がんばって朝ごはんを作ろう」とも思ってくれれば幸いだと。プロがすべき信頼の築き方。それはけして親に気付いてもらわなくてもかまわない。世の中にはいろんな事情のお母さんがいて、不備なことを責めるのではなく、プロとして子供のため、親のためその理念を尽くすだけだと。

そしてダメな子供なんて一人もいない。すべての子どもが天才である。これが著者の素直な感想であり、信条でもある。その素晴らしい才能を引き出してあげることが、私達の仕事であり、成長を見守ることが親の務め。

 

2章 子供に勉強を教えるな

 この保育園を映像で見ていた時の自分の先入観からの違和感は、ここだ。先生達が教えている姿が全然見えないのである。子供達は卒園するまでに、平均2000冊の本を読み終え、逆立ちのまま歩き回ることができ、曲を聴いただけですぐに演奏が出来るようになる。絶対音感を身に付けてしまう。

 特別にすごいことをしていない。ただ、出来る姿をみて「よし!」と成果を認めてあげながら見ていただけだという。スパルタ式だとよく疑われるのもよくわかると著者はいいます。自身が、子供が自然に成長を遂げることに気付くのにも24年というかなりの時間がかかったといいます。

24年目に気付いた「自学自習」

子供達は「人に教えてもらったことは身につけないけれど、自分で学んだことは忘れない」ということ。改めて考えれば何も特別なことはなかったといいます。それは誰にでもひとつやふたつ必ずあることだからです。誰もが実体験として知っている事。それに気付きその信念を得た著者は「自学自習」という学習法に到達したといいます。その昔、お金持ちの理事長に憧れて保育園を設立してから24年目のこと。

自分でやらせる。

自分で考えさせる。

自分で学ばせる。

 これは今の自分自身が、この年齢になっても同じだなと感じる部分です。誰かに写真が上手になる方法を教わったとしても、教わった事は大事だが、そういうことではない。自分で知っていく事が大事だ。誰かに東京大学にいける勉強方法を教わってそれがわかったとしても、それが自分自身でやることでなければその方法をわかっていても人は行動しない。人から教わる教育ではなく、自らが学んで育っていく「学育」という著者が言いたい内容、そして保育の現場で子供たちが見せる可能性に私自身もこれだと思いました。娘に親として何をしようと親は考えるものですが、娘に自分でやらせて、自分で考えさせて、自分で学ばせる。そして自分が上手になりたいから聞いてきた時、また調べさせる。不思議と昔からわかっていたことのようで、何故人はいつの間にか教育サービスの奴隷になってしまったのかと、著者がいうように思ってしまいます。

「失敗」こそ最良の先生

著者がこの指導で大切にしていることは「教えない」ということ。子供は自ら学んだものだけを身につける。10歳までの子供に与える知識は役に立たない。だからこそ、自分で学び、自分で考える「自学自習」の習慣こそが大切。だから子共に何か質問をされても、安易に答えてはいけない。こどもに「なんで?」と聞かれたら「なんでか、調べてみなさい」と逆に問う事。そうして、自分で調べたことは、子供達は忘れない。そして自分で頭を使えば使うだけ、頭はどんどんよくなる。何度も、「こどもたちに勉強を教えてはいけません」と言う意味が本書で明らかになってきます。

文章にすると簡単でも、親にとって教えないというのは難しいことだと著者は言います。運動でも同じで、自転車に乗ろうとしているときに、転びそうになればすぐに助ける。本当は転ばせて痛い思いを知る事で、どうすれば転ばないかを必死に自分で考えるのを今の親達はすぐに絶対に転ばないように教えてしまうということです。子供は失敗から学び、最良の先生は失敗であると言います。エジソンの似たような言葉を思い出します。

 本の中で、著者はすべての子どもが、明確に目指すべき人間像があると言います。それは、自立した子供です。馬や牛といった動物は、親から教えられなくても一人で立つ事が出来ます。まさに自立することが本能の中に組み込まれているのです。しかし、人間はそうはいきません。人間だけが、育ててもらわないと、自立する事ができないのです。誤った育て方をすると、人間はひとりで考えて行動する事ができなくなります。引きこもりなどの社会問題も原因は「自立」させられなかった子育てに問題があると思います。現代の親や教育者達が何のための教育なのか答えられない認識できていないといいます。

「何のために子育てをしているのだろう?」

著者は強く、「子育てを何のためにしているのか自問してほしい」といいます。哲学的です。

そして「自立させるため」という答えを思い出してほしいと著者はいいます。

私の2011年、「自立」という言葉によく出会いました。そしてその意味をたくさん考えることになりました。教育の目的は自立した人間となる為・・・。そして学育。

 

 この本には、教育の中の哲学、そして教育の普遍的な真理的な内容がたくさん詰まっています。親としての姿勢、教育者としての姿勢、大人としての子供を見る正しい姿勢、そういったものを自覚させてくれます。この保育園の映像のドキュメンタリーを見たとき、保育園生の卒園式であんなに感動的な涙が出るとは思いませんでした。子供達の成長が、無限の可能性が、保育園とはただ忙しい親が子供を預ける場所ではないということを感じさせてくれました。この保育園には、まだまだたくさんの信念、エピソード、保育園は企業ではないですが内部文化がたくさんあります。

 今ではこの教育方法を導入した幼稚園、保育園は200を越え、海外からも注目されているようです。私もとても興味深いです。初めて保育園という職場をかっこいい!!と思ったほどです。

 

教育とは・・・それに疑問を持ち、真理に気付き、信念を持ち、実践し、子供達が自発的になるように、子供たちの成長過程の何年かにものすごい可能性のエネルギーを感じました。いつのまにか盲目になって見えなくなってしまった大人たちの中に私も入ってしまったのだなと思い、その盲目の私の目を開かせてくれた一つの本。子供達が何度失敗しても何度失敗しても、あきらめずに一生懸命成長していく姿の映像を見ながら、また発表会、卒園式で大人を泣かせる子供達の純粋な言葉や行動が、私も涙ちょちょぎれでした。

 

私が感動した動画を検索したら、出てきたが、途中で途切れ途切れが少し気になる。

 

このDVDがほしいなぁ。。。http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ref=em_over&ch_userid=sukenoji&prgid=37812627

 

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