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静岡プロジェクト9 異邦人

投稿日:2011/11/3

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異邦人 

著者:カミュ

Center:蒔田高徳

 この本を手にしたのは、中古の本屋BOOK OFFだ。安い本を探していた。すべて105円のコーナーにこの本は置いてあった。以前カミュの「ペスト」を読んだことがある。ペストも何だか重苦しい本だったので、今回の異邦人もどこか暗闇を感じる本なのかなと言う思いを抱いた。本の文末にある解説を読むと、この一作によってカミュは短いがまことに栄光に満ちた文学的生涯にむけて出発した。異邦人をサルトルの「嘔吐」とともに、ここ二、三十年の中のフランス小説史上の傑作であると評価されているとある。読み終えて思うのは、なぜ傑作だと評価されるのか、正直陰鬱な感じであまり好きにはなれないのだが、この作品を高く評価する見方が存在するということだ。発表された当時の時代に、たくさんの人がメッセージ性や共感し、深く考えることになったのだろう。私は文学的に私の主観でしかなかなかものごとを感じることができない。だから、これを傑作だと表現する人たちの見方、価値観の感じ方と言うものはとても参考になる。

普段「異邦人」という言葉は普段あまり使わない、意味はなんとなく理解するが、辞書を調べると 外国人。異国人。 自分たちは神に選ばれたすぐれた民族であるという誇りから、ユダヤ人が非ユダヤ教徒、特にキリスト教徒を呼んだ語。 見知らぬ人。別の地域、社会から来た人。旅人。エトランジェ。3の内容がしっくりくる感じだ。

この中で主人公は、社会にとっての異邦人だ。こう思うとタイトルの的確な表現が、本を深く考えさせる。その意味がわかった時、タイトルも含めて、立派な作品だと思う。「きょう、ママンが死んだ。」から始まるこの翻訳文の最初の一説は、とても印象的で有名らしい。

本の中の主人公は自分のあるがままに生きているつもりで嘘はついていないが、友人のレエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を殺してしまう。主人公は逮捕され裁判にかけられる。彼は自分の母親が死んだ直後も普段と変わらない行動をとった。彼女と映画館に行き、普通の人が楽しむような娯楽を楽しんだ。裁判で彼は無感情で無関心であると人々から取られ、彼は普通ではない、冷酷な人間であると証言される。彼は裁判自体にも関心を示さず、最後の裁判で殺人の動機を聞かれ「太陽がまぶしかったから」と応えた。そんな答えをすれば、感情もなく人を簡単に殺す人間にとられて当然なのだが、彼の思考の中ではたくさんの」ことを考え、事実を話しただけに過ぎない。彼は死刑を判決され、上訴もせずそれを受け入れる。彼の心理は自分にとても正直だ。彼は、自分を偽ることはなかった。自分を偽れば、助かることもできただろう。が、彼は生きることにしがみつかなかった。母の死に意味を付与せず、女との結婚に意味を付与せず、自らの犯した殺人に意味を付与せず、斬首刑の死刑判決に意味を付与しない、主人公の、徹底的に乾いたあり方に、無気力の中の気力を感じる。その中の気力は自分をけして偽らない、正直な彼の姿ですが、なんだろう、確かに普通ではない。一般的にはきっと主人公を理解する事ができない。ただ、彼のような異邦人はたくさんいるのではないだろうか。社会に対して、「あるべき」姿・「あるべき」行動をしていなければ途端に異物・異端として排除される。異邦人にされる。社会への問題定義だと感じる。おそらく多くの人が裁判で彼に死刑を言い渡す社会の一員として生きているのだと思う。

ムルソーが母親の死を悼まなかったのは、それが充実した人生を全うした母親に対する侮辱だと考えるからと本には書かれているが、社会はそれを理解できません。あくまで御用司祭のようにたくさん泣いてくれる人間が社会にとって必要なのです。裁判の中、徹底的に嘘がつけないという彼の美徳ゆえの彼の非常識な行動や言動が、偶発的に行われた殺人の裁判の審議には不利に直結していく。検事も判事も、主人公の弁護士ですらも、事実を歪曲し必死で主人公の虚像をつくりあげようとします。裁判に勝つため、有利なように。彼らにとって社会通念の通用しない人間はそれだけですでに異常で危険な存在というレッテルを貼られて当然。現代の社会も同じようなところがあると思います。

嘘がつけない根っからの正直者の主人公は受け入れない一方で、主人公が主体的に「良い」と感じたことでも、社会にとっては「悪い」こととされ、あくまで社会という全体が絶対的に「善い」ということにされてしまう社会の不条理について書いてあると思います。

私が異邦人というタイトルを見て思い出すのは日本でその一曲だけがヒットした有名な曲。ふと思い出して、それをyoutubeで聞いて、歌詞を見た。カミュの描く異邦人とは違ったものだと思うが、「あなたにとって私 ただの通りすがり ちょっと振り向いてみただけの異邦人」という歌詞がとてもかっこよくある。有名な歌でとても素敵なボヘミアンな歌です。是非一度聞いて欲しい。詩もメロディも歌声も、とても好きだ。本を読みながらBGMとして流すのもおすすめです。

作詞・作曲:久保田早紀

子供たちが空に向かい両手をひろげ

鳥や雲や夢までもつかもうとしている
その姿は 昨日までの何も知らない私
あなたに この指が届くと 信じてた
空と大地が 触れ合う彼方
過去からの旅人を 呼んでいる道
あなたにとって私 ただの通りすがり
ちょっと振り向いてみただけの異邦人
 

市場へ行く人の波に身体(カラダ)を預け
石畳の街角をゆらゆらとさまよう
祈りの声 ひずめの音 歌うようなざわめき
私を置き去りに 過ぎてゆく白い朝
時間旅行が 心の傷を
なぜかしら埋めてゆく 不思議な道
サヨナラだけの手紙 迷い続けて書き
あとは哀しみをもてあます 異邦人
あとは哀しみをもてあます 異邦人

この歌の異邦人は誰なのかを見れば

「あなた」にとっては、ただの通りすがりにしか過ぎない「私」。

「あなた」にとっては、ちょっとすれちがって振り向いた程度の存在の「私」。

すれ違って通り過ぎてしまえば、過去の存在にしか過ぎない「私」。

希望に満ちて、大好きだったあなたに手が届くと信じていた昨日の私が、

今日の悲しみとの整理を果たしていく時間旅行の道。異邦人は「私」であることがわかる。

カミュの異邦人と、歌の異邦人はまた違ったものだが、「異邦人」という言葉と社会と私自身、その関係性とバランスがわからなくなる時、私も異邦人になりそうだ。今も多少、私は異邦人かな。

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