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越谷店
畠山重篤さん
投稿日:2011/1/5
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私の特技ではありませんが私は人よりも昔から視力が良いほうです。ありがたいことに両目の視力は片方づつ2.0か1.5くらいの視力を維持しています。そんな私の視力維持の一つの習慣として、電車の宙吊りの文字をどこまで遠くまで読めるかという事を、毎日自然と続けています。
人よりはだいぶ遠くまで見える方みたいです。この間その視力トレーニングの一貫で通勤の満員電車で立ちながら、自分より3人くらい先にいるサラリーマンの人の雑誌を遠めに見ていたら、ちょうど文字がギリギリ読めるくらいだったので、その人が読んでいた雑誌を一緒に失敬ながらも、遠くから読んでいました。
その人は身だしなみもキッチリとしていて、満員電車の中でも、意識のある人に見えました。どうやら経済紙を読んでいるようでした。その中のコラムを遠めに見ながら、内容がとてもよかったので、そのコラムを書いた人物を、手に持っていたIphoneで検索して、その人のインタビューなどを読んでいました。1時間の電車通勤が失敬なチラ見から、なかなか有意義なものとなりました。
その時の雑誌のコラムに登場していた人物は畠山重篤さん。
気仙沼漁師と言う肩書きで紹介されています。しかし、ただの漁師ではなく、その枠を超えた発想、行動力を持った、魅力ある人です。私はコラムを読みながら感心してすっかりファンになってしまいました。
もし「海が汚染され、漁に障害が出た」と聞いたら、「海をきれいにしよう」と誰もが思うと思います。しかし、海の環境をよくするためには森が大切なんだと仲間を集めて植林を始めた漁師がいる。それが畠山重篤さん
畠山さんは、気仙沼で父の代から牡蠣の養殖業を営み、今は息子さんが三代目として跡を継いでいます。畠山さんが跡を継いだのが、1961(昭和36)年、水産高校を卒業した18歳の頃でした。当時、海では、ウナギは捕れるし、貝や魚の種類も豊富、雨が降れば海苔は豊作と海の恵みはそれは豊かだったそうです。ところが、1960年代の半ば頃から、牡蠣や海苔に異変が起きたんです。皆さんも赤潮と言う言葉をご存知だと思います。プランクトンの大量発生で海が真っ赤になるアレです。
畠山さんは牡蠣の養殖で生計を立てていましたので、牡蠣の身が真っ赤になってしまい売り物にならないという死活問題に直面しました。
その時、海の仕事を続けるためには、海を良くする以外に方法はない。それには、海だけを見ていてはだめだ、陸を見なくては、と気づいたそうです。
気付くだけなら、本当に真剣になったら出てきそうですが、畠山さんの内容を見て、感心したのは自分の枠を超えた行動です。川を、森を山を変えなければと気付いても、それを行政のせいにしたり、そっちの部門の人に訴える程度で自分の枠から普通の人は出れないものではないでしょうか。畠山さんはその部門の機関の人でも研究者でもないのにもかかわらず、自分が率先して、行動を起こし社会的な活動を起こしていった一人の漁師です。今ではその活動がとても大きく評価され、講演会や、教育指導などにひっぱりだこのようです。
問題に直面した時に、自分の分野をしっかりと改善して集中していこうとついつい思いますが、自分の枠を超えたところに答えや大切な課題、問題が数多く存在していたりするものではないでしょうか。
視野がせまくなって、見失っていることって本当にあると思います。
写真の撮影もを撮影を良くしようと集中して、いろんな条件を探すと思いますが、意外とその枠を超えたところに、成長や発展の可能性もあるのではないかと感じています。
「枠に囚われない」と言う言葉をよく聞きますが、自分自身も様々な問題に直面した時に、枠にとらわれず広い考え方、視野を持って人生を取り組んでいきたいなと思いました。
畠山さんのコラムが印象的だったのはその文字からの活動の情報だけではなく、本人の写った写真でした。
とても生き生きとしていて、長年の活動の苦労だとかそういったものが感じられないとても明るい表情でした。あんな表情のできる人生に自分もしたいなと思ったものです。
これからもその活動を応援して、見守っていきたい注目の人です。
コラムを読みながら、ほっこりした暖かい気持ちと、自分の人生への情熱を燃やしてくれた素敵な時間となりました。
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