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国分寺店
眼差し
投稿日:2022/5/23     更新日:2022/5/23
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写真を分類しながらマスク越しに微笑んでしまっていることがあります。
撮影者でありながら撮影した写真を見て、客観的にその瞬間を慈しむ様な感情に陥ります。
撮影は、家族の物語に参加する事が許された不思議な時間で、カメラマンはカメラを持つことで、その物語の語り手になることが出来ます。
シャッターを切るその瞬間は、物語の中で自分が見たいと思う部分を切り取ることができます。
そして私たちは自分の見た瞬間を、写真として形にする事で、記録として、そして記憶として伝えることが使命だとも思っています。
だから私たちは技術を磨き、無数にあるその瞬間の中で、より多くの瞬間を伝える努力をしなければならないと感じています。
その見たい部分は突如現れる事もありますし、予測して現れる事もあります。
だから私たちは目を凝らさなきゃいけないし、時にぐっと中に入らせてもらったり、時に黙って客観的に眺めたり、時に動作を誘導したりすることが必要になります。
そうやって生まれた関係性から出会えるストーリーが変わってきます。
でもそういった技術とか関係性からは生み出すことのできないものがあると思います。
それは家族に対する想いです。
親が子を見る表情や、子が親を見る表情。
兄弟同士が見つめあう表情。
そこには一言では表せないたくさんの想いが詰まった表情があります。
その想いは家族によって違うから、一つとして同じ写真はありません。唯一無二のその瞬間。
そういう時、カメラマンとして関係性とか技術とか空間という概念が必要なくなります。
見たい瞬間を切り取ることができるのがカメラマンならば、見たい瞬間は明確です。
被写体の表情以外は必要ありません。どこで誰が撮影したかは重要ではありません。
だから画角いっぱいに人に近づきます。
その瞬間が私自身が伝えたいことだから。
そういう瞬間は見ている人を笑顔にしてくれると信じています
cameraman mitsui
coordinator katayama
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