PhotogenicKokubunji

関係と写真

2020/6/28

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スタジオに居る私たちは、お子様にとってどういう風に映っているのか?

ということを考えることがあった。

スタジオでは「カメラマンのお兄さん、お姉さん」と呼ばれる事が多い。そうやって呼ばれることに今まで特に疑問を持った事もない。強いて疑問を持ったと言えば、以前は「カメラマンのお兄さん」がほとんどだったが、最近は「カメラマンのおじさん」と言われる事が増え、撮影の時にお子様の印象に合わせて自分の呼び方を変えようかと考えるぐらいだった。

 

なぜ、こんな事を考えたのか?

それは最近の話になるが、数か月前の新しい出会いがきっかけだ。

彼と出会ったのは、公園のスケート広場で、彼は小学5年生の男の子だ。なぜか自然と話しをするようになった。

 

私自身スタジオで小学5年生位の子と話すのは慣れていたが、話をし始めると、まるで撮影の時のように陽気なお兄さんのしゃべり方をしている自分に気が付いた。

それが問題かと考えれば別に問題ではないと思う。

けれど、無意識にそうやって接している自分に気が付いた自分自身が、少し接し方を変えてみようと思っただけの事だ。

 

彼にとって私はカメラマンのお兄さんでもなく、優しい口調のお兄さんでもない。ただスケート広場に居る一人の一般男性で、私も彼を一人の少年として接してみようと思った。

特別テンションを上げるわけでもなく、楽しい時には笑い、話したくなったら話すという様な関係が、友達としての存在の認識になったように感じる。これはこちらの一方的な思いかもしれない(今度会ったら確認してみる予定)

 

この年になって、新しい友達ができるのと思っていなかったし、それが小学生だとも思っていなかった為、すごく変な感じがするのだが、彼が私に友達の目線というものについて考えるきっかけをくれたように思う。

 

スタジオで撮影に入る時の自分を重ね合わせて考えてみた。

私自身まだ父親でもない為、撮影でお子様と接する時は、父親としての目線を持ち合わせていないが、親御さんの気持ちに寄り添いながら撮影に入る事が多いと感じる。

関係性というのは、スタジオでの撮影において非常に重要である。

その子に入り込まなければ、写真を撮影する事は難しいと思う。しかし、撮影の時、少しどこか冷静な自分自身もいることも事実である。それはカメラマンとして写真を残すという使命感を持っているからなのかもしれない。そして私自身も親御さんの気持ちに寄り添いながら撮影に臨んでいる為、お兄さんという言葉に違和感がなく、お兄さんとして接する事が出来るのだと思う。

 

じゃあ友達みたいな関係で接してみたらどんな撮影になるのか?

そんなことを考えてみた。カメラマンは、カメラを駆使して美しく写真を撮影する使命があると思っている。撮影をする上で、観察や分析、予測や誘導、設定や構図、光や説明などの技術が必要だとしても、それは美しい写真という要素であり、撮影する上でのこちらの要望でもあると考える。それらの要素はとても重要で、撮影する上で切り離せないものであるのは十分に承知していることだが、ここで言いたいのは、感情的な瞬間にアンテナを張るということだ。

誘導被写体と一緒になって楽しみながら創り上げるというのも一つの方法なのではないかと考える。

 

 

思い返してみれば、彼女の撮影の時もそうだった。

彼女は、とてもエネルギッシュな女の子だった。最初自己紹介をする時に少し恥ずかしそうだったのを覚えている。

私も彼女がどんな子で、どんな風に撮影しようかなど、頭の片隅で考えながら、冗談を交えながら彼女との会話をした。時間が経つにつれ、少しづつ緊張が解けていくのを彼女のリアクションや表情から読み取れた。

そして彼女が天真爛漫な明るい性格なんだという認識に私の中で彼女のイメージを構築していく。

 

会話の中で彼女に名前を聞かれた。普通に答えればよかったのだけれど、私は「じゃあ名前を付けていいよ!」と彼女に言ったのを覚えている。

すると彼女は私のことをたっ君なずけたのだった。

人が人に抱くイメージというのは面白い。なぜそういった名前を付けたのか、イメージがあって決めた名前かどうかもわからないが、私はその撮影をカメラマンたっ君として臨んだ。

彼女の天真爛漫な性格は周りを明るくさせ、周りを巻き込む魅力があった。

そんな雰囲気の中で撮影が始まった。

 

撮影が始まるまで、こうやって撮影しよう!こんな感じも似合いそうだな!とあれこれ予定していたが、そういった会話と関係の中で、イメージを作ることをやめた自分がいた。

彼女との会話を楽しみながら、その時の状況を楽しもうと。

 

そして窓際に来た時に強い光が彼女に当たるのが見えた。普段の撮影ならば光の変化に瞬間的にカメラの設定を変えようという思考が働くが、その時は違った。

 

「眩しそうだから、手をかざした方が見やすいよ。」

そして、手をかざした彼女の姿が、すごく大人びていて自然とシャッターを切ったのを覚えている。

条件や予測やイメージを整えて切ったシャッターではなく、その時の雰囲気や、関係から出た動作が、シャッターを切る理由になった1枚だ。

 

それは親御さんに寄り添った気持ちで切ったシャッターでもなく、準備して押したシャッターでもない。その時のその関係が押したシャッターだったように思う。

彼女が作ってくれたこの関係性によって撮影できた一枚だったように感じる。

 

それぞれの関係の中で生まれていく写真が面白い。

時にはパパママのように、時にはカメラマンのお兄さんおじさんのように、そして時には友達の様に写真を撮れたらなと思う。

photo by mitsui

coodinate by sato

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