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市川店
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ほーーーん‼︎よんでみよぉぉおぉーおー‼︎④

投稿日:2017/9/27

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坊ちゃん


坊ちゃんは私が中学か高校の時に国語の授業で学んだ記憶はあるが、内容まで覚えていなかった。
今回、討論議題で坊ちゃんを読むことになってから、読み進めるのに時間がかかり昔の言葉の言い回しや方言に正直、理解できない部分が多くあったものの、坊ちゃん自身の芯の強さや清の存在が心残る物語であったと私は思った。
 
坊ちゃんが言う「何だか清に逢いたくなった」との一言に、込められた坊ちゃん自身の心の変化も見どころであった。
坊ちゃんが東京にいる頃は、親よりも可愛がる清の存在を理解することができず、不審感を抱いていたのだ。
両親からも愛想をつかされ、周りからも関わりを避けられている状況に慣れようと、自分を認めほめてくれる人はいないと思いこもうとしていたのではないだろうか。
だから、清のやさしさに素直に喜ぶことができず、清が言う「まっすぐでよいご気性だ」と感心するのも、お世辞だと考え、自分が持っている良さに気づけなかったのだろう。
 
しかし、松山に赴任し、今まで暮らしてきた東京の生活とは違い、上司や同僚など自分を取り囲む環境で起こる出来事に悩まされていたのだ。
このように、なにか出来事が起こるたびに坊ちゃん自身が思い起こさせる人物こそが、清の存在であった。
離れて暮らすようになると、近くにいるときには感じなかった、ありがたさを感じるようになり、また清から与えられていた無償の愛を理解していくようになるのだ。
 
しばらく清と離れて暮らし、松山に来て出会ったさまざまな人たちとの関わり中で自分の良さを理解していくようになる。
また、清がずっと無償に注ぎ続けていた愛情というものにも感謝をすることができるようになっていったのだ。
初めに述べた、「何だか清に逢いたくなった」との一言には、清の思いを本当の意味で理解をしたときに発した言葉であるといえるのではないだろうか。
 
私自身もこのようなことが、今まさに起こっているなと感じる。
実家を離れ10年が経とうとしているが、実家にいたときは両親が放つ言葉ひとつひとつにイライラし、構わないでほしいとさえ思うようになっていた。
しかし、実家を出た当初は海外留学をしていたこともあり、1週間ほどでホームシックになってしまったのだ。海外でありながら毎日電話をかけていたように思う。
離れることによって、両親から受けてきた愛情というものに気づいたのだ。
今でさえも、欠かさず両親とは連絡を取り合っている。自分を理解してくれ、支えてくれている存在がいることにすごく感謝している。
人は一人では生きていけないなと、最近すごく思う。一人の方が楽だと思っていても、やはり隣に温かい人の存在がいつしかは、欲するようになるものだ。
 
坊ちゃんにとって清の存在は温かい存在、何があっても親のように味方でいてくれる存在であったからこそ、坊ちゃんと清の関係性に心を惹かれたし、そのような関係を自分も周りの人たちと気づいていかないといけないなと感じた。
 

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