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市川店
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photo.15

投稿日:2017/3/31

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In Urayasu

 
私たちは普段写真が持っている意味が写真を撮る行為と表現されている写真の結果物に限定させて考えようとすることが多い。勿論間違えていることではない。しかし、写真が持っている意味を決して撮る行為と結果物だけでは語ることも出来ない。
 
撮影者はいつも理想的な写真を追求する。
しかし、理想的な写真を定義することも簡単ではない。
自分にとって理想的な写真は、相手にとって理想的でない可能性があり、相手にとって理想的な写真が自分にとっては理想的でない可能性もあるからだ。
 
私たちが行っている写真討論、そして写真の分析などはお互いの主観と主観が混じって、また他の写真を作り上げて、その写真も理想的な写真とは言えない。
 
撮影をすると理想と現実がぶち当たる時を経験する。撮影者が理想的に考えるイメージが被写体に伝えられなかった時私たちは何かが少し違うということを感じる。 でも時間が過ぎるとそれが異質的に変わっていって、全てが不自然なように感じてしまうことになる。だがこれを克服するためには被写体を動かさなければならない。
 
しかし、被写体を動かすことに集中しすぎると空間の不自然さと被写体の不自然さが現われるようになって、結局は撮影全体が不自然になる。
 
【ポーズは一定の態度を取る姿】
【自然とは無理にでっち上げていない】ということだ。
 
 しかし、ポーズと自然な感じの間には単語的な意味の矛盾が存在する。私たちは撮影中たまに【ピース】【V】のポーズを取っている子供にポーズをさせないように指示する。 ほとんどの理由は【ピース】【V】が不自然だと撮影者が認識するためだ。
 
言い換えれば、ポーズをさせる行為に自然さと不自然さが同時に存在しており、被写体を動かす行為にもそれが同時に存在する。 私たちがもっと理想的な写真より自然な写真を表現するためにポーズを取ったり指示を下す行為が結局は不自然さをもたらす結果になる。
 
理由は簡単だ。 私たちは被写体を動かすことだけに集中する。
被写体の行為から自然さを得ようとしながら、どうすれば、被写体をもっと自然に動けるかについてしが考えてない。 そして、実際撮影者は動かない。 ただ、被写体の動きに合わせてシャッターを押すだけ、しかし重要なのは被写体だけ動くのではなく、同時に撮影者も一緒に動きながら一緒に作っていかなければならないと思う。

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