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2015年6月のフォトジェニック

投稿日:2015/8/8

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Motherhood / Babyhood

Shinyokohama photo
Photographer : Reiri
coordinater : Eunjeong
 
この半年間、極めて集中的に、取り組んできた課題があります。
『誰が見ても美しいと感じる、Babyの写真』。
 
新横浜店は、撮影カテゴリをBabyに限定した店舗です。
そう限定している以上、私たちには『普遍的に美しいBabyの写真』を追及していくという責任がありました。
言葉によるコミュニケーションが困難なBabyという被写体に対し、彼らの仕草や表情、動きに全神経を集中させながら、如何に私たちがファインダーの中の世界を撮影者の意図を反映させて『美しく』作り上げるかに、ひたすら悪戦苦闘した半年間。
 
ただその存在さえ可愛い、という、主観的な感情論でシャッターを『切らされる』状態が、Babyの撮影にはままあります。ニコニコ笑った、仕草が可愛かった、ただそれだけでシャッターを押し、写真を見返して『この時、この子が可愛かった』という以外の論拠を出せずに、撮影の楽しさに熱弁を振るってしまうことが、今までに何度もあったように思います。
もちろん、撮影の楽しさは大前提にあるべき条件だと考えています。ここで過ごす時間が、家族の一生の思い出のひとつに加われるような、写真を見返す度に『この時、本当に楽しかったね』『あなたは人見知りで泣いて泣いて、大変だったのよ』と笑いながら話されるような、そんな時間でありたいと願い、私たちはいつもその為に、汗をかいては走って転んで、シャボン玉まみれになりながら、たくさん話して時に苦しんでそれでも笑いながら、毎日を過ごしているのではないでしょうか。
 
そういった楽しさで撮影空間を満たすこと、新横浜店でこの半年間共にした3人は、そこに価値を置く人たちだったと思います。
しかし、私たちが追求するべきことは、その価値を大前提に置いた上で、『普遍的に美しいBabyの写真』を撮影するということでした。赤ちゃんは可愛い、でも言葉での指示はできない、だから『可愛い』と感じたところでシャッターを切る。結果的に、『可愛い』写真は残る。それで満足してしまうこと、それは、撮影者の受動的な姿勢に繋がっていく認識でした。
『可愛い』のならば、何故可愛いと感じるのかを冷静に判断し、分析し、その可愛さの表現の為にファインダーの中を整え、『誰が見ても可愛いと感じる』ように表現する、ということを、自ら主体的に行っていく必要がありました。『可愛い』と感じるその感情を、感情を持たない機械であるカメラを通して、その機能をどのように活用しながら表現することができるのかを、考えなければなりません。私たちは撮影者として、この空間に訪れた家族を、Babyを、『美しく写真に残す』という責任があります。写真の構成要素の全てが、その被写体の表現に適切でなければならない、そしてそれが美しく構成されていなければならない。
撮影空間に満ちた楽しさもまた、写真を構成する要素のひとつとして、その表現に適切であるものとして必要な前提であり、それを踏まえた上で、私たちは『写真』、ただその1枚に集中しなければなりません。
被写体を動かし、美しさを求めて構成し、記録する。例えそれが、言葉による小難しい指示が通じないBabyであったとしても。
それが、私たちが敢えて『Baby撮影』とカテゴリを限定しているからこそ、果たすべき責任でした。
 
Babyを撮ることは、『ひと』を撮るということと、何ら変わるところはありません。
どんなひとだって赤ちゃんから始まり、大人になります。誰もが泣きながら生まれ、大人の庇護の元で育ちます。お腹が空けば機嫌も悪くなるし、眠いのに起きているのは辛いものです。安心できるところでなければ楽しむことはできず、楽しくないのに笑いはしないでしょう。
やがて成長するにつれ、自分のそういった欲求や感情に対して、適度な我慢をすることを学びます。節度だとか社会的立場だとか、周りに対する思いやりだとか、そんな様々な『大人の事情』に則って。
しかし、Babyであるうちはまだ我慢をする必要がなく、泣いたり愚図ったりしながら、眠いことやお腹が空いたこと、ただ何か嫌だと感じることを訴え、楽しいことや嬉しいことには、生えたばかりの白い小さな歯を見せて笑うことで、伝えてくれます。言葉がないからこそ、泣くことや笑うことといった感情表現は、その時の気持ちにシンプルで、ストレートで、剥き出しな『ひと』として素直な原点の姿であり、それだけでも美しいと感じさせる、ひとりの存在として露(あらわ)な姿であると思います。そんな彼らの存在を表現する為に、『ママ』という絶対的存在との関係性を写真の構成に組み込みました。
Babyはママがいることでより『Baby』として、ママはBabyがいることでより『ママ』として、その存在を露にします。写真の中で、相対的なその関係性が、Babyの存在を美しく表現する要素として、大きな役割を果たします。『母と子』という関係性に対して連想されるイメージは、見る者に温かさや匂いに至るまで想起させるような、具体的な感情を伴います。
誰もが、赤ちゃんから始まり、こんな時間を経て大人になる。
『ひと』にとって、極めて身近で、記憶の根底を揺さぶるもの。男女の間では時折見え隠れしてしまうような『愛』という概念だって、ここではこんなにもはっきりと確認できます。
相手のあるがままの姿を受け入れ、受容すること。そこに愛があると思えるのは、きっと自分自身も、頭では思い出せないけれど、からだやこころのどこかで覚えている、愛し愛された幼い頃の記憶の一片が、揺さぶられるからなのではないでしょうか。
そして、私達が求めてきた『普遍的に美しいBabyの写真』は、そんな『ひと』の記憶の根底を揺らして、温かさや匂いまで想起させる具体的な感情を呼び起こすものでありたいと思っています。

 

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
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