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だからこそ その先へ。

投稿日:2024/10/25

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Photo&Write by yoko , Coordinator by Narumi

 

 

自分の殻を脱するには、自分の中の固定概念を壊す必要を感じていました。

 

着物撮影は着物を着ていることがちゃんとわかるような写真を撮ること、着物が隠れすぎないように撮ることなど、要は「着物撮影は商業写真である」という考えとこだわり。

私は”着物かくあるべき”のような古い考えの持ち主でもありましたので、その考えが間違っているとは思わないけれど着物撮影においては良くも悪くもある一定の域からの脱することが非常に難しく、時に億劫で、正直に言えば怖くもありました。

 

そもそも私の着物撮影への固定概念とは一体なんなのか。

これは言い換えれば「間違った安定への甘え」なのかもしれません。

いつでも同じ写真が撮れるという安定。これはスタジオ写真においては必要なことだと思います。

ですが私たちが向き合っているのはその時に偶然的に必然として出会った唯一無二の被写体であり、本来私が大事にしたいと思っている「この子だからこの時この場所で」という思いと、先に述べた「いつでも同じ写真が撮れる」という安定とを並べてみたら、そこには矛盾があるのではないか。そう考えることもできます。

 

「いつでも同じ写真が撮れるということは安定ではなく衰退である。」

「安定とは被写体によって変わらないことではなく、被写体によって変えられることである。」

 

こう教えてくださった方がいます。

カメラを握って幾数年、今になって「安定」という言葉への理解がやっと深まってきたように思います。

 

もちろん同じ写真がいつでも高クオリティで撮れるということは良いことだと思います。

要は、私の中での考え方と、シャッターを切るまでの選択のお話です。

 

例えば良い光があるからといって被写体を見ずにそこで撮ることを最優先に選択してしまえば、それは誰にとっても非常に不自由な撮影になると思います。

写真を撮る目的とはその人を写し出すこと。この目的を忘れてはいけません。

良いインテリアと良い光がある、あとはそれが唯一無二の被写体に適切かどうか・どう使うかを判断し、選択すること。もちろん使わないという選択もありえます。

 

この1枚はそういった選択の積み重ねと、「かくあるべき」から一歩踏み出す勇気を一つまみ加えたうえでシャッターが押された写真です。

 

この写真を撮る最終的な要因は、コーディネーターの寺が被写体の彼女と彼女の選んだ着物に合うコーディネートをしてくれたこと。

これがまた違うコーディネートだったら、私はこの写真を撮る選択をしていなかったと思います。

 

そして何より、3年ぶりの再会だった被写体の彼女。

10歳にしてはとても大人びていて、恥ずかしい気持ちはありながらもやる気と楽しみの気持ちを内に秘めていたあなた。

撮影前のその印象があったからこそ、この写真を撮るという選択をすることができたのです。

 

 

シャッターを押すまでの過程と、目的を間違えないように。

被写体によって選択を変えられるように。

自ら衰退を選ぶことのないよう、これからも思考を続けていきます。

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