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思い出を美化しに来てください~未来のために~

2019/9/9

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LIFESTUDIO OMIYA PHOTO

夏が過ぎ頃になると、井上陽水の少年時代の歌を良く聞くようになります。

この写真は炎天下の中、コーディから子どもたちに思いっきり水をかけてもらいました。写真を見れば分かる通り、楽しんでいる妹をよそに兄は水の勢いにたじろいでいる、そんな二人の姿が“楽と哀”のコントラストのように見えます。
私には子供心を表す無邪気さと純粋さが感じ取れるこの写真が、なんだか可愛らしく感じます。

 

話が変わりますが、今ではスマートフォンが普及し誰でも簡単に写真を撮れるようになりました。その中で写真が産業的な価値を高め、今ある写真館という形を持って存在するのはなぜなのか、どのような意味があるのかを考えることがあります。

私自身たまに家電量販店に行くと、スマートフォンコーナに立ち寄り一通り最新の機種を触ったりします。驚くことに最近のスマートフォンのカメラの性能は凄まじく眼を見張るものがあり、またカメラコーナを見てみると、ミラーレス機の進化も一言で言えば「ヤバい!(良い意味で)」と言えるほどに、下位機種(アマチュア用)のものであっても驚くべき性能があり決定的瞬間を簡単に残すことができるほどの進化を遂げています。

技術が発展することは良いことですが私はヒヤヒヤしてしまうのです。それは、多くの仕事がAI(人工知能)に取って代わられると言われる現代社会、いずれ写真業界もAIにとって変わられるようになるのではないかと、目まぐるしい技術革新を見るたびに思ってしまう自分がいるのです…。

そのような余談は、一先ずおいて。
写真を撮るという行為は人類に取って未だに重要なものと言えると私は考えます。
アメリカの著名な作家、スーザン・ソンタグは写真の役割についてこのように語っています。

「記憶というものにかけては、写真のほうが深く食い込む。記憶の基本的な単位は一つの映像であるから、記憶はストップモーションを掛ける。」

写真は記憶の装置です。そして現在はデジタル媒体がほとんどですが、物質として所有することができます。写真には動画のような力のある媒体ではないが、依然としてある力が存在しています。

人間は2年あまりで、細胞がすべて入れ替わると言われています。そういった意味では今の細胞が入れ替わった自分自身は過去の自分と全く別の存在なのかもしれません。

小さい頃のビデオカメラでとった動画などを見ると、「あれ?自分ってこんな感じだったっけ?」となんだか客観的な目線になってしまいます。しかし写真を手のとりじっと見つめていると「あぁ、ここでこんなこともしたよね!」と記憶がフラッシュバックするような感覚を味わいます。

スーザン・ソンタグの言葉をまた引用すると「問題は人々が写真をとおして記憶することではなく、写真のみを記憶することである。」

これは記憶自体が写真によって改変させられる危険性をはらんでいるということを、説明しております。

しかし記憶が改変されることは果たして悪いことでしょうか?

私も昔兄と喧嘩したときのことを写真を見ながら思い出すとなんだか、「それはそれで兄弟だったんだなぁ」とつくづく思ってしまうのです。

記憶は美化されてもいいのです。そのような意味合いで写真館は記憶を美化するためには最高の存在であると思います。もちろん写真を撮るカメラマンは客観的な存在ですが、他人がいるからこそ、だからこそ家族を再認識できるようなそんな空間になっているのだと思います。

思い出を美化しに来てください。未来のために。そんな言葉をここに残しておきたいと思います。

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